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フリートーク > 2000年12月19日バックナンバー

最近どうよ

 うーー最近は掲示板へのリプライもままならず、みなさまにホントに忘れられてしまうのではないだろうかと不安におののく樋渡でありますが、みなさまいかがお過ごしですか。
 この土日に新居に半分だけ荷物を運び込んだのですが、いやはや久しぶりに自分の部屋を見渡してみると、いらないものが山とあってびびりました。とにかく「捨てること」、これが整理整頓の極意です。私なんかは割ともったいないお化けですんで、なんでもかんでもとっておいてしまうクセがあるんですが、さすがにもうこれはいらないだろみたいなもんは心おきなく捨てさせていただきました。
 服や本なんかが大半なんですが、笑っちゃうのがもう何年も前に書いた「神々の黄昏」の原案だとか設定集なんぞを見つけてしまい、捨てるかとっておくかしばし悩みました。ええ、でも捨てましたけどね。もういいや、デジタルにおとしてあるしーーみたいな(笑)。恥ずかしいラクガキ(笑)とかでてきちゃって、こりゃもう「資料室」行きかい! みたいなネタがわんさと出てきましたわ、おほほ。
 そんなこんなで、まだまだ引越の苦労は続きます。ひーー。もういやだぁーー。

 でもって、今週も始まりましたセブンデイズ。のっけからタクシー帰りってどうよと思いつつ、夕飯の酒がきいてまたまた樋渡荒れるの巻き。今度はアシスタントにまで文句を言い出したゾ(爆)。とにかくそいつ、学生のくせに目上の人間に対する口のききかたがなってないっつーか(私にじゃなくてね)、対する人間によって態度を変えるわ、自分が仕事できる人間だと思ってるわ、そのくせ全然仕事はできないわ、態度デカいわで、煮ても焼いても食えない。上司に言わせれば、「そーゆーやつは樋渡(仮名)が手玉に取るくらいじゃないとだめなんだぞ」ということなんだけど、でも人間的感情が許せない。くっそー。
 そんなこんなで終電乗り逃がしたから(別に文句を言っていて逃したわけではない(^ ^;;)タクシーで帰ろうと思えば、乗ったタクシーの運ちゃんが説教魔だったりして、あらあら、樋渡さん立つ瀬がないわ、ほっほ〜という感じ。
 おいおいおい、おやじーー、疲れて帰ってきた人間に人の生き方について説教するなよ〜。(ToT) だいたいさ、「日本はだめだ。日本人はアイデンティティがないから、英語で話して英語でものを考えなきゃいかん」とかさ、「最近の男性はだめだ」とかさ、「いまの子どもたちは全然だめだ」とかさ、なんつーかこう頭ごなしに自分の考え方を人に押しつけるようなしゃべりかたってどうよ。もちろんあっしはカチンときたので「それはどうかと思いますよ、そういう言い方こそ問題だと思いますけどね」なんてマジになって反論しちゃったり。えへへ、反省。
 その運ちゃんは54歳。俺のオヤジより10も若い。でもさ、よく考えたら、あんたたちの世代が日本をだめにしたんじゃないの? って思うよ。「日本はだめだ、だめだ」と言ってるけど、じゃああんたは日本のためになんかできたんかっつーの。責任転嫁する前に、自分の生き方はどうよ、とか思わん? 虚勢張ってえらそうに批判することが「人生を考えている、社会を憂えている」ってことじゃないと思うんだけどね。
 おっと、猛烈な愚痴モードに入ってきたので話題を変えようっと。

 先日FreeTalkに書いたメディアミックスについて、予想以上の反響をちょうだいしまして、改めて「あるひとつのメディアが違うものに姿を変えること」へのみなさんの要望、期待が大きいことを認識しました(こんなに反応が大きかったのは、らんとさんの鎖骨すけすけセテイラストと愛称占いのとき以来か!?)。
 ひとつのメディアが形を変えるっていうのはすごくたいへんなことです。原作者はもちろん、その新しい形に携わる制作者チームもすごくたいへんな作業です。そこには、原作のイメージを壊さないように、ファンのイメージを崩さないように、原作のイメージをいかにして違う形にして引き出すかという作業が待っているわけですから。
 例えば小説やマンガをアニメにした場合を例に取ると、往々にして失敗と語られることが多いですね。その原因を探ってみると、実は「映像の尺」という問題が浮上してきます。例えば、人間が10秒で黙読できる文字数と、10秒間で発音できる言葉を比べてみてください。10秒内でおさまる言葉というのは、本当に少ないことに気がつきます。小説の場合は、あるひとつの情景を言葉だけであらわすことができますが、アニメの場合はそうはいかない。台詞でそれを補わなければいけないシーンも出てきます。そうすると、例えば30分なら30分という枠に収めなければいけないわけですから、おのずとその尺に埋まるように脚本を書きますし、入りきらないエピソードはどんどんきって捨てられます。原作を知っていると、その切られた部分を知っているだけに、「つまらない」「サイテー」という評価が生まれてくるのだと思います。
 映像化ってのはホントに難しいんですねぇ。私は昔雑誌の編集をやっていたのですが、文字数が足りない場合は書き足すことは可能ですが、映像で尺が足りない場合は、最悪取り直しになるんですよ。これは大きな違いですね。
 それでも私は、自分の作品なり、知っている作品を違う形にして見てみたい。それはもしかしたら究極のわがままかもしれませんね。