フリートーク > 2001年9月13日バックナンバー
テロリズムと人間の尊厳
まず最初に、米国の多発テロの犠牲者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
知ってのとおり、昨日米国のワシントンDC、ニューヨーク、ペンシルバニアで起きた民間旅客機を使った無差別テロ攻撃は、史上最悪の大惨事となっている。
私も少ない知恵ながら、オンライン・オフライン問わずいろんな人とこの事件の黒幕、行方について議論してきたが、とにかく言えることは、いかなることがあっても、人間の尊厳を無視した無差別大量殺人は許されないということだ。
仮に、本当に現時点では犯行声明も出ていないため、仮にとしかいいようがないのだが、報道されているビン・ラディン氏のようなイスラム原理主義者の犯行だったとして、事件を語る前に我々はもっとイスラム教について知っておく必要がある。
樋渡は学生のとき、もっともつぶしのきかないといわれている国際政治学を学んでいた。専門は北米政治事情だったため、アメリカの中東政策の行動基準を探る過程でイスラム教についてちょっとだけ調べてみたことがある(たが、もうほとんど忘れているので、もし間違った記述や不適切な部分があった場合には、ぜひともご指摘いただきたい)。
コーランを読んだことのある人はそうはいないだろうが、ぶっちゃけていえば、唯一絶対の神アラーを信じているイスラム教徒以外は信用ならんということである。彼らはビジネスとして外国のビジネスマンとつきあうことはするが、実際には信用していないわけだ。なぜなら、異教徒はイスラムの教えにのっとった生活の規律を守っていないから。彼らの宗教とは彼ら自身の生活の規律を定めたものであり、それ以外のしきたりで暮らす人間を「悪」として認識している。だから彼らの価値観からすれば、異端者のすることは理解不能なのだ。
そこで「なんだよ、イスラム教ってひどい宗教だよな」というのは短絡的である。よく考えればキリスト教もそうだ。もともと宗教というのは人間の生き方を説いたもので、それ以外の人間を異端と見なし、排除してきたし、そうでなければ自分たちの宗教に無理矢理引きずり込もうとする。なぜなら、自分たちの宗教がもっとも「人間が幸せになる」ものだと信じているからだ。
この宗教がからんだ戦争というのは本当に古くから存在しており、それはイスラム教に限らず、土着の宗教を駆逐してきたキリスト教にも血なまぐさい歴史が残されている。自分たちの価値観を、他人に押しつけようとした結果が宗教戦争なわけだ。
ここで言いたいのは、「どちらか一方が悪で、どちらか一方が善である」とはいえないということだ。引き合いに出してしまったが、イスラム教もキリスト教も、自分たちの価値観における正義というものを持っているため、それが激しく対立したときに戦争となるわけで、自分たちに敵対するものを悪と決めつけているだけである。「これだからイスラム教は」というのは、イスラム教徒以外の人間が彼らをさしていう台詞であり、向こうにしてみれば「これだからキリスト教は」ということになる。つまり、こういった宗教問題を完全に理解しようとするには、どちらの宗教についても深く理解し、その価値観や行動基準をきちんと把握する必要がある。それをせずにただ「イスラム教はひどい」というのは、「黒人だから犯人に決まっている」だとか「朝鮮人だから悪いことをするに決まっている」といった、短絡的でレベルの低い発想だと言わざるを得ない。
今回の事件で、パレスチナやほかのイスラム勢力圏の人々が小躍りする様子が報道されていたので、それにショックを受けた人も多いかも知れない。だがよくよく思い返すと、我々は湾岸戦争のときにそういった光景を目にしていなかったか。冗談でも本気でも「イラクなんかぶっとばしちまえ」と口にした人も多いだろう。パレスチナで展開されていたあのお祭り騒ぎは、自分たちの敵が打ちのめされたときの当たり前の光景であるということを忘れてはならない。
米国の歴史をひもといてみると、もともと英国の支配から逃げてきた人々が「自由の国」という精神のもとに作り上げた国家であることがわかる。彼らは自分たちの力で作り上げた国家をたいへん誇りに思っており、その考え方を世界に広めようとする行動基準が見いだせる。端的に言えば、アメリカがベトナムやら中東やらに手を出そうとするのは、「自分たちのようなすばらしい国家」の価値観を押しつけて、世界中をアメリカのいうところの「自由の国」にしてしまうためだ。そのために、アメリカは「強いアメリカ」を誇示し、「世界の警察官」として活躍しようとするわけだ。
しかし、しょせんは彼らのなかでの行動基準であって、それが世界に通用するわけがない。当然、イスラム教徒はそういったアメリカ的価値基準を「悪」であるとして反発する。アメリカはユダヤの資本も多分に入っており、相容れるわけなどないのだ。そこで当然武力衝突が起きる。
湾岸戦争のとき、大半の人がなぜイラクがクウェートに侵攻したのか理解しないまま、テレビゲームの感覚でパトリオットが飛んでいくのを見たことだろう。もともとクウェートはイラクだけでなく、ほかの近隣のイスラム教圏で嫌われ者だった。イスラム側にしてみれば、イラクの侵攻はしごくもっともなものだったのだが、そこへ「世界の警察」を名乗る第三者アメリカが乗り込んできたわけで、余計なおせっかいついでに見事な軍事パフォーマンスを繰り広げてくれた。イラクの民間人の悲鳴は、アメリカ国民には届かなかったらしい。
それと同じことが今日起きているというわけだ。アメリカ国民の悲鳴は、イスラム教原理主義者の耳には入らないのだ。
私はどちらが悪いとは言いたくないし、考えたくもない。ただ、価値観の違いだけで対立したときに、武力でしか解決の糸口が見つからないというのはたいへん哀しいことだと思う。湾岸戦争のときはイラクを攻撃し、今度はイスラム原理主義者に攻撃されたから報復攻撃をする。特に、アメリカは建国以来、本土に攻撃を受けたのは真珠湾だけなので、面目丸つぶれ、対外的にも「強いアメリカ」を誇示するために絶対報復措置をしなければいけない。その結果、報復が報復を呼んで泥沼の戦争を引き起こすのは目に見えている。何度同じことを繰り返しても結局相容れないのなら、ほっておけばいい。頼むから民間人を巻き込むようなまねだけはしてほしくない。自分たちの価値観を武力で押しつけるようなまねだけはしてほしくない。どんな宗教であっても、人を殺すことをよしと教えているものはないはず。人間の尊厳を無視してまで押し通そうとする価値観などなくなってしまえばいいのだ。
今回のテロリズムは、人間の尊厳を無視した、まったくもって許し難い犯罪だ。宗教だろうがなんだろうが、人間の尊厳をはかれないヤツは、豆腐の角に頭ぶつけて死んでほしい。とにかく、巻き込まれて亡くなった方々や遺族には、謹んでお悔やみを申し上げます。
いろいろ書いてきたけれど、自分の小説を振り返って「本当に人がよく死ぬ物語だなぁ」と思う。小説の中で読むぶんにはいいが、これが現実だったらすごいことだ。安易に人の死を扱っていないかどうか、不安になってくることもある。
特に、もし第一章の最後まで読んでいない人にはたいへん申し訳ないのだが、ピアージュの扱い。彼女はやはり操られていたとはいえ、あれだけの人間を殺してきたのだから、やはりなんらかの処罰を受けるべきだったのではないかとも思ってしまう。私は「罪を憎んで人を憎まず」の精神を、ピアージュで体現させたかったのだが……。あれを不適切だと思う人がいるかもしれないということを念頭におくべきだったのかなと少し反省している。
ものを書く際、人の死を軽く扱わないように注意しているつもりだったのだが、今回のテロの報道を見ていると、自分はまだまだ死を他人事のように思っている節があるのだなぁと感じた。ものを書く際にも、人間の尊厳をおろそかに扱ってはいけないということを自覚して精進しようと思う。