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フリートーク > 2002年8月20日バックナンバー

好きなジャンル、好きな文体、自分の目指すもの

 いや、ホントつまんないことなんスけど。昨日、晩ご飯の支度をしている最中、付け合わせにと思ってレタスを洗おうとしたんですよ。そしたらなんだかブツブツしたもんがついていて、「おや?」と思ったらその近くに蠢く物体が。毛虫ちゃんとそのご兄弟の卵でしたわ。わし、ひとりだったんだけど思わず叫んじまっただよ。私、あの軟体動物系がきらいできらいで。いつもの尊大な樋渡はどこへ。ちなみに、私は軟体動物系のほかに蝶や蛾の類も苦手。自分に向かってきたら悲鳴をあげて逃げます。まじで。<きゃっ! 女の子っぽ〜い(やめれ)
 それから怖くてレタスがさわれません(笑)。私にとっては重大なトラウマです。くだんのレタスも放置プレイ状態。つーわけで、主婦失格。しょんぼり。同居人に退治してもらおうと思ったのだが、やつは本日午前様(ほんとに7時頃に帰ってきやがった)だったのでレタスがしおしおになってるよぅ。頼む、誰かあのレタスの毛虫を退治してくれ。だけどあのレタスは二度と食べない。<徹底してるやつ

 最近はやっている「100の質問」「50の質問」系、私もご多分に漏れず、物書きへの質問などやってみたりしているのだが、そのなかでよく聞かれるのが「好きな小説のジャンルは?」とか「いま書いている小説のジャンルは?」なんて抽象的なこと。私は「SFやファンタジー、アクション系など」なんて答えるんだけど、これを読んだ人に私の嗜好のすべてが伝わるかどうかってのは謎だ。
 例えば同じ「ファンタジー」とか「SF」とかいったジャンルを上げても、日本と英語圏でのとらえ方や傾向ってまったく違う。小松左京とアン・マキャフリィは同じSFつっても全然違う。だからもっといえば日本向けのものと英語圏のものどちらが好き? なんて聞いてほしいなと私は思ったりする。
 どちらかというと私は、日本のプロの作家が書く小説というのはあまり読まず、おおよそ好きになる本というのが翻訳ものだったりする。ま、「邦楽と洋楽どっちが好き?」ってのと同じで、やっぱ両者は傾向って全然違うと思うのよね。
 ちなみに私は断然洋楽派。邦楽は(好きな人には悪いけど)くさくって聞いてられない。日本の匂いがプンプンするっていうか、自分たちの生活臭が見えてきて、いやになるんだよね。その点、英語ってじーっと聞いてたり歌詞カードを見ていないとなにを歌っているのか分からないし、ひとつの事象に対する表現も、微妙に日本ととらえ方が違ったりして、私の中では「ファンタジー」な部類に入る。
 映画もそうだな。洋画は文化の違いで(自分たちの)生活臭がしないから好き。邦画やテレビドラマを見ていると、例えばロケ地なんか自分のよく知っている場所が出て来ちゃって、そのとたんに萎えてしまう。要するに私は、自分をだましてくれるもんが好きなんだろうな。生活臭のしないところへ連れて行ってくれるもの?

 文体とか内容になるともっと複雑になってくると思う。自分で好きなものってのを体系化してみると、けっこう偏りがあることがわかっておもしろい。これまで意識していなかったけど、口に出してみると(言葉にしてみると)かなり徹底して好き嫌いがあるんだなぁと思ってみたりもした。
 基本的に私は文学はあまり好きではないらしい。だから、いわゆる純文学に相当するような書籍というのをあまり読まなかった記憶がある。そんな文学知らずの私の中では文学っていうと、なんとな〜く「日常に起こるできごとを叙情的に書いたもの」ってな無礼千万なイメージがあったりして。日常に起こることなんてなんともおもしろくないといってしまえばそれまでだけど、もちろんそれですばらしい作品がたくさんあるのは知っているし、すごい技量だとは思うのではあるが……。なんとなく私は日常にありえないことをおもしろおかしく書いたもののほうが好きだったりする。先に述べた「生活臭のしないところへ連れて行ってくれるもの」だというのが私の本に対する理想だったりするから。
 子どもの頃に好きだったのは、伝記とか歴史物とか(戦争ものなんかもね)、事実に基づいてある程度脚色したような話だった。中学生頃になるとけっこう岩波文庫なんかのカターイ難しい本を読み始めたりして、おいおい、いまの俺サマにはそんなの脳細胞がついていけないよってなのを読んでたりして。そしていま、大人になってからの私は完全フィクションのなかでも、アクション、ハードボイルド、SF、ファンタジーみたいな日常にないドキドキ感を与えてくれるものが好きだということが判明している。もちろん、ノンフィクションものも好きなんだけど、総じて翻訳ものばっかりで、いかに私が偏った読書歴を持っているかおわかりいただけると思う。
 比喩表現や遠回しな表現が多いものも苦手かもしれない。すごく叙情的でいいなぁと思う反面、もっとストレートに書いてもらってもいいのになぁと思うことがある。自分の想像力が足りないので、直接表現してくれないとよくイメージがわかないのかも。頭が悪いのか、はう。だから詩とか俳句とかってとても苦手だった。いまでも書けない。

 好きな作家について聞かれると、必ず挙げるのがバーナード・コーンウェル(代表作は「炎の英雄シャープ」シリーズ、「小説アーサー王」シリーズなど)、アン・マキャフリィ(代表作は「歌う船」シリーズ、「パーンの竜騎士」シリーズなど)、ディヴィッド・エディングス(代表作は「エレニア記」「タムール記」などの聖騎士スパーホークシリーズなど)、それから菊地秀行(代表作は「吸血鬼ハンターD」シリーズ、「魔界都市」シリーズなど)だったりする。
 バーナード・コーンウェルは私がもっとも近づきたいと思っている文体を持つ作家だ。この人は冒険作家で、とにかく波瀾万丈な冒険活劇を書いているのだが、それにしても語りが淡泊。例えば戦争の描写なんかでも、淡々と書く。それなのに、まるでそこにいてその状況を見ているかのような臨場感を読む者に与える。例えば「小説アーサー王」の第一部「エクスカリバーの宝剣」(余談だけどこの邦題だけはなんとかしてくれ。原題は「The Winter King(冬の王)」なのに……)の序盤、敵軍に囲まれ、満身創痍で追いつめられた主人公ダーヴェルの視点で描くあの緊迫感はものすごいものがあった。もうだめだというときに角笛が鳴り響き、アーサー率いる味方の軍隊の、赤いドラゴンを刺繍した軍旗が翻ったのを見たダーヴェルの感動そのものが伝わってくるようだった。「小説アーサー王」は、アーサーの部下であり友人でもあった剣士ダーヴェルが、のちにキリスト教徒になって密かにその当時を思い出しながら回顧録を記しているというシチュエーションで書かれており、ダーヴェルが見たものはダーヴェルの視点で、それ以外のことは彼が見聞きしたものとしてあっさり書かれている。その対比もおもしろいのだが、違和感なく、とにかく最後まで手に汗握る展開が続く。そのかわり、心理描写は稀薄。こういった物語には心理描写はさほど必要ないと思われるから、これでちょうどいいのだと思う。
 これに対してアン・マキャフリィは、女性ならではの繊細な心理描写を間に挟み、女性的な観点からエピソードを語っている。かといって(非常に言葉は悪いが)女々しさはまったく見られず、徹底的なSF的背景で物語を突き進めていくので好感も持てる。私はどちらかというと「歌う船」シリーズは感情的なものが強くて読んでいて疲れるので、純粋にSFと人間関係をしっかりと描いた「パーンの竜騎士」シリーズのほうが好きなのだが、主人公が「自分の意志をしっかり持っている独立した女性である」ということが彼女の作品のすべてにいえることだ(競作やシリーズのなかでは、男性が主人公になっているものもあるが)。
 いまの私の文章は、もしかしたらコーンウェルを目指しているが、その過程でマキャフリィから心理描写を少々抜き取ったくらいって感じかもしれない。自分で言っておこがましいと思うけど、傾向的にやっぱり、尊敬する作家に似てしまうというのはあると思う。
 ディヴィッド・エディングスは完全にエンターテイメント向きの書き方をする作家だ。とにかく台詞まわしや仕草の描写に現実味があって、これが映画の登場人物たちが動いているかのようにまざまざと見える。台詞のかけあいなんかはブラックユーモアを含めてユーモアたっぷりで、そこかしこにお約束的ないいあいが存在する。悪態のつきかたの描写でいちばん影響を受けたのはこの作家で、セテが悪口雑言をはき出して暴れるところとか、かなりエディングス入ってる(笑)。ところがストーリーはとてもシリアスで、戦闘シーンもかなり多い。それなのに重苦しくない、楽しくて仕方ないというのは、エディングスの才能だろう。エディングスはとくにフェミニストなのか、彼の作品には必ず、奥さんや恋人、娘に頭のあがらない主人公が登場する。彼女たちは決して聞き分けがないわけではなく、自分の意志を持っており、たいがい女王などの確固たる地位を持っていて、頭もいい。こういうふうに女性を描ける男性というのは尊敬する。私に足りないエンターテイメント性を持つ、尊敬に値する作家のひとりだ。
 最後に菊地秀行だが、個人的には彼の文体はあまり好きではない。先に挙げた比喩表現が多すぎて、疲れてしまうのだ。そのかわり、私は彼の作品に必ず存在する「お約束」というものを毎回楽しみに読んでいる。彼はお約束のうまい作家なのだと思う。彼の作品のほとんどが、主人公は超絶美形青年。Dも秋せつらもメフィストもそうだ。彼らが毎エピソードの冒頭で登場するときに、菊地氏がどんな描写を使って、いかに彼が美形であるかを説明するのが楽しみだったりする。はっきり言ってしまえばケツがかゆくなるような描写が続いたりするのだが、それでもやっぱり読んでしまう。とにかく美形で、最後には必ず勝つ主人公のお約束を、きちんとわきまえているのが好きだ。ついでにエロティックな描写も忘れていない。自分の小説になにを求められているかをよくわかっている作家のひとりだと思う。ところで、私はやっぱりDが最強のヒーローだろ思うのだが、続編ってまだ出ているのだろうか。謎がわかってしまったらおもしろくないので、完結せずにこのままシリーズを続けてほしい。

 自分の書いている文体について分析してみると、少なくとも私の書いている文章は文学的でもないし、叙情的でもない。かといってエンターテイメント性にすぐれているかといえばそうでもない。とにかく文章を飾り立てるだけの技量がないので、直球勝負。以前、私の文章を読んだ人が、本気で私が男だと信じていたことがあるのだが、さもありなんという感じかもしれない。
 とにかく私は職業柄、文章を飾り立てることはあまりせず、ありのまま、わかりやすく書くようにしている。それが小説の文体として正しいかどうかはわからないが、簡潔でわかりやすく、状況を的確に説明することを信条としている(なにも考えていないようでも(^ ^;;)。だからとてもあっさりした、男性っぽい文章になってしまうのかなとも思う。本編での心理描写も最近少しだけ多くなったかもと思うのだが、そういうときは話が進まなくて困っているときだったりする(おい)。心理描写ははっきり言って苦手で、どちらかといえば剣での戦闘シーンやら、対術法戦なんかのシーンを書いているほうが楽しかったりする。エロ書くよりも戦闘シーンのほうが好きだと某サイトマスター氏もおっしゃっていたが、まさしくそれかも。

 よく、「小説をうまく書くためにどんなことをすればいいか」という話がのぼる。うまい人をまねるというのはどんなことに対しても上達への第一歩だと思うし、私も好きな作家の文体を真似てみようとがんばった時期がある。が、けっこう長続きしない。
 また、小説をたくさん読むことという答えもよくあがるのだが、私、小説って意外に読んでないんだわ。ノンフィクションやら新聞記事を読むことのほうが多いし、自分でも職業柄、事実を伝えるわかりやすい文章を書くことばかりなので、小説の練習(笑)ということはまったくしてない。困ったもんだ。
 でも、この「事実を伝えるためにわかりやすく簡潔に書く」ということはなんにおいても重要なことだと私は思っていて、それを小説に当てはめて、「わかりやすく簡潔に書かれた文体」ってのを目指しているのは、自分の持ち味のひとつなのかなと思ってみることにした。淡泊だけど、ストーリーの流れに忠実に書いていく姿勢を貫くってのも、けっこう楽しい。
 果たして記事的な描写方法が、巷で言われている「小説のありかた」みたいなもんに沿っているかどうか分からない。記事ってのは記名だろうが無記名だろうが事実を伝えるものであって、個性は必要とされていない(逆に個性を出したらアウトになる)。ところが、小説はフィクション、ノンフィクションにしても、個性が勝負だ。小説における個性を出すってのはなかなか難しい。例えば文体で個性を出すなんて、それこそ模倣で終わってしまうこともある。とすれば、やはりストーリーで個性を出していくほかない。
 私はどちらかというと、文体で個性を出して「あ、これ樋渡さんの小説だね、文体ですぐ分かったよ」なんて言われるよりも、話を淡々と語り続けることを優先したい(技術的にも文体で個性なんぞ出せん!<逆ギレ)。それでいつかは、「樋渡さんの書くストーリーはぐいぐい引き込まれるよね」なんて言われてみたい。そんなストーリーになるなんて、この物語では一生ないかもしれないけどな。はっはっは。