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フリートーク > 2003年2月7日バックナンバー

さあみんな! サイエンス・ファンタジーについて語ろうゼ!

 やっぱだめだよ、樋渡さん。あんた今週だけで何時間会社にいたのさ。仕事だからってなんでもかんでもイレギュラー案件ひきうけて、自分の仕事が時間内に終わらないってのは、もう少しキツくつっぱねたほうがいいよ。
 そんな言葉が今日は頭の中をグルグル……。11時近い電車に乗ると、まわりはいい感じに酔っていたりして、「あーあ、俺サマ、なんでこんな時間までこんなことやってるんだろう」なーんて、ちょいと切なくなってしまったのさ。しかも今日はちょっとテンパっていたおかげでデカいオペレーションミスやらかしたのでなぁ。おまけに社内での不穏な噂を聞いてしまったので、地下十数メートルまで沈んだよ。

 ちうわけでだ。ちょいと癒し系のニュースで心をなごませてみたり。
 アサヒコムのこの記事。ハイディ、お疲れ。オラクルのマスコットで有名なこのワンちゃん、私も実は前、オラクルの新宅社長に取材にいったとき、本社内で見たことがあったんですわ。
 オラクルの正面受付から入ると、ハイディの写真とか、オールドイングリッシュシープドッグのあのぬいぐるみとかがデデーンと飾ってあって、すごく印象的だった。確か月曜日と水曜日にオラクルの社内に「出勤」してきていたと記憶しているんだけど、すっごくひとなつこくてかわいいワンちゃんでね。取材が終わって部屋から出ると、ハイディがいてしっぽふりふり。なでてあげると顔をベロベロになめまわしてくれて、ごろんと床に転がっておなかを見せてくれた。かわいーんだぁ。ホントにクビから社員証をかけてるんだわ。新宅社長が超毒舌でMSをこき下ろしてくれたあとだったんだけど、なごんだ(笑)。
 私のいま勤めている会社の一階には、有名なデザイン事務所があるんですが、そこではちっちゃなワンちゃん、確かパピヨンだったかな、あれを飼っているんです。ちっちゃいくせにとっても勝ち気で(いや、臆病だからこそ、かな)、よく吼えられるけれどもヒャンヒャン鳴くのもかわいらしい。実家にいたときにはバカな犬を飼っていて、兄弟同然にいっしょにベッドで寝ていたんだけど、動物がいっしょにいるってのはすごく心がなごむよね。いまは会社の同僚たちと、「会社で犬か猫でも飼おうか」なんて話してます。
 こんなご時世だからこそ、IT企業のオフィスには動物が必須だよ。

 で、表題。「カルテット」が更新されてた。待ちに待っていた作品のひとつだったので、速攻読んでのけぞりました。zeroさん、めっちゃ私のツボ、押してるヨ。へなへな。
 ネタバレなので多くは語らないけど、ファンタジー要素の濃い物語の「謎」の部分に「科学的」な要素が見え隠れする、それこそサイエンス・ファンタジーの醍醐味なのですわ、と私は勝手に思っているんですけど、かなり以前にご本人が「カルテットは実はSFなんですよ」なんておっしゃっていた部分が、いよいよクローズアップされている感じ。その話を聞いたときには「もしかして、これってああいうこと?」などと口に出さずともいろいろ想像を巡らせていたんですが、見事に裏切られました(笑)。好きだー! こういうの! この調子で私を悶絶させてくれるに違いないです。<俺サマってばナニサマ?
 サイエンス・ファンタジーってなんぞや?という人も多いかと思われますが、「小説ネット井戸端」に詳しいです。それ以前に、なんだか勝手に私が命名してしまった造語「サイエンス・ファンタジー」について書いたファイルは、サイトリニューアルのときにおろしてしまったので、抜粋。↓



ファンタジーからサイエンスフィクション、そしてサイエンスファンタジーへ


 もともと私のルーツはファンタジー的な部分を根元とするのですが、「神々の黄昏」はただのファンタジーではありません。
 もちろん、この話を土台に、年を経るごとにさまざまな要素が加わっていきました。世界観や人物設定が変わっても、「神々の黄昏」の原型はずっと私の中で育っていき、その時代時代で書き続けたのです。
 最初の話はもろにファンタジーの影響を受け、ペガサスやユニコーン、妖精、そして人智を越えた見えない力によってストーリーが進んでいきます。そしてその次には、これにSF、サイエンスフィクションの要素が加わります。
(中略)
 宇宙船や宇宙ステーションも登場するが、その一方でユニコーンやら妖精やら翼の生えた人物(これは現在の『神々の黄昏』にも登場する予定)が登場し、さらに主人公の少女の武器は「光の剣」という不思議なエネルギー体を帯びたサーベルという、SFとファンタジーをミックスしたような話となったのです。
(中略)
 90年代に入ると、SFらしさは少しひいていきました。それはおそらく、ケルト的なものや中世的なものに興味を持ち始めたからだと思います。
 超SF的な宇宙船や連邦軍は影をひそめ、かわりにより伝説的、神話的なストーリー、超人的な英雄を求めるようになったのです。それは、レオンハルトという伝説の剣士や、彼の持つエクスカリバー(これはアーサー王が持っていた剣の名前であるということからも明らかでしょう)へと注がれています。そして、やっと現在の「神々の黄昏」のストーリーとして落ち着いたのです。
 しかし、「神々の黄昏」は決してファンタジーではありません。私自身は、SF的な要素を含めたファンタジー、つまり、ここで定義させてもらえるなら「サイエンスファンタジー」であると思っています。
 剣や魔法(この話では『魔法』という言葉を使わずに『術法』という言葉を使っていますが)が支配する世界であっても、「失われた古代の知恵」とか「古代戦争」といった、SF的な要素を取り入れているのです。世界観はファンタジーであっても、そこに生きる人々やそこでの歴史などはSF的でありたい。



 なんだかめちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってたな、3年くらい前のわし。とほほ。前略してしまっているのでまったくわけわからんことになっていて恐縮ですが、「神々の黄昏」の原型になる話は、私が小学生のころくらいに思いついた「トンでも話」でした。小説を書こうなんて気はさらさらなくて、ノートにラクガキみたいな漫画を描いては悦にひたっていたころ。そのころから現在にいたるまでの変遷を書きつづった雑文でした。ちなみに、文中で出てくる「主人公の少女」は、現在ではサーシェスのこと。もともとセテが主人公ではなく、サーシェスの原型だった少女が主人公のお話だったんですね。おばちゃんびっくりよ。
 ま、それはさておき。「神々の黄昏」を「ファンタジー」のカテゴリであちこちの検索エンジンに登録している身としては、けっこう最近の自作のネタバレ具合については痛いところ。「プロローグ:空中楼閣の聖騎士」の典型的ファンタジーRPG系でスタートしたのに、読んでいくと「あれ?」ってな具合で話が正統派ファンタジーノリから遠ざかっていく。しかも第二章「黄昏の戦士」に至っては、けっこうボロボロとこの世界のことや出てくるアイテム、事象についてネタバレを始めていて、あげくにサイトリニューアルしたらSF色を前面に押し出したデザインになってたりして、「ちくしょう! だまされたぜ!」なんて人も多いのではと、内心ドキドキしてます。
 が、これも全部狙った効果だったり。ファンタジーっぽいけど実はSF!みたいなのは、「神々の黄昏」の最終地点。といっても、ハードSFのような鋭さは抑えて、微妙に「ふーん、なんだか不思議だねぇ」みたいなものを匂わせたい。その「不思議だねぇ」なところがファンタジーの役割だと私は勝手に思っています。手塚治虫の「火の鳥」が、「宇宙編」だろうが「ヤマト編」だろうがなんだろうが、唯一絶対、不可侵の「人智を越えた存在」であり続ける、みたいな感じ?(ちょっと違うか)
 私の大好きなアン・マキャフリィの代表作「パーンの竜騎士」なんて、書評も何も見ず、「竜」という単語に脊髄反射して買ってしまったんですが、ファンタジーだと思ったら生粋のSFだった(笑)。世界観はファンタジーっぽいけど、その背景にあるものがすっごくしっかりしている。外伝までよむと、「ああ、やっぱりこれ、SFだわ」ってな具合で、ファンタジー的な世界観にばらまかれたSF的な要素、匂いと、徐々にファンタジーからSFへ脱皮していくその流れが、すごいなと思った。実は私が目指している方向性にたいへん似ていたので、ものすごく感動した覚えがあります。
 そういうふうに書けたらいいな〜と思っているのですが、最近本編の中で「書きすぎてしまうジレンマ」に陥って困っています。小出しにするつもりで書きすぎてしまって、「不思議だね〜」の部分がどんどん薄れていっているような。隠しておきたかった部分まで勢いつけて書いてしまったために、あとからこのネタ使えないとか、伏線が薄れるとか、物語全体の進度が遅くなる、みたいなのもあって、すっごく停滞気味。小出しにする謎のさじ加減、これ、本当に難しいですねぇ。

 オンライン小説の中で、私が「これはサイエンス・ファンタジーだ」と思っている作品は、現在4作品あります。前述の「カルテット」とか「平原」(Decoさん作)は、おそらくファンタジーからSFへの脱皮をうまく成し遂げた(あるいは成し遂げようとしている)作品だと私は思っています。「平原」は土着の雰囲気を持たせた猫たちの世界と、思いっきり未来世界を前面に出した人間たちの世界とが中盤以降交互に訪れますが、猫たちの章のときは章タイトルが日本語で、人間たちの世界を描くときは英語、このあたりの区分けもきっちりしていて、かなり計算されているってのがうかがえます。読み進めていくうちに同時進行で平行して走っていたふたつの世界が、後半ひとつの流れになっていくあたり、SFとファンタジーの見事な融合だと思ったです。
 また、「汎神族」シリーズと「紅蓮のエイカ」(うう……邪楽さん、続きが読めないのがとても残念です)は、先の二作品とはまったく違った形のサイエンス・ファンタジーかなと。種明かしをする必要のない、でもなんだか想像を絶したものすごい仕掛けが出てくる。「汎神族」では神と呼ばれている種族は、おそらく人間を超えた超人類だと思うのですが、彼らの世界の常識(あるいは技術?)が、もはや私たちに理解できない。理解できないけど、すごい水準の科学力を持っているってことだけは想像できるんですよね。「エイカ」もそうなんです。その世界の人たちには理解できない、なんだかすごい仕掛け(というか物体?)が出てくるんだけど、私たちの知っている知識、科学の延長にあるものとはまったく違うものなんですよね。たぶん、この二作の「不思議だな〜」って部分は、種明かしをしてしまってはいけないものなんだと思います。

 そういえば、よくあちこちで聞かれる「ファンタジー世界観の中での表記」の議論なんですけど、あたしゃそんなことより物語がおもしろければいいんじゃないの?って思ったり思わなかったり。どっしりした世界観にカタカナ用語が似合わない、と感じる人も多いかも知れないけど、元来エンターテイメントである「小説」については、さほど問題ではないのかなとも思う。あたしゃ単位はメートル法使ってるし、あえてカタカナ語を使ってみたりしてますが、それがあまりしっくり来ないって人も中にはいるでしょう。特に単位についてはものすごくみなさん悩んでいらっしゃるようですが、メートル法って、日本人にはとてもなじみやすい単位じゃないですか? 読み手が想像できる、あるいはわかりやすい、伝えやすい、というのであれば、私は何を使ってもいいのかなと思います。ごめんなさい、言葉が悪いようですけど、人様の作品の中の単位や表現方法などについてあれこれうるさくつっこむのって、書き手(兼読み手)の人に多いような気がします。分からなくもないのですが、表現方法だけにこだわってしまうのは、なんだか「小説を読む」という本来の楽しさまでたどり着いていないんじゃないかなぁ、なんて思ったり。
 ヴァレリオ・マッシモ・マンフレディ作の「アレクサンドロス大戦記」という作品があるのですが、これはアレクサンドロス大王が活躍する様子を描いた戦記物です。ところが、読んでいてふと思ったのは「なんだかすっごく表現方法が現代的」ってこと。彼が生きた時代は古代ですよ、ところが幼きアレクサンドロスが父王に「パパ」と呼びかけるシーンが続出して「ええ〜? パパぁ〜?」なんてぶっとんだのです。ほかにもいろいろ現代風の言い回しとかがたくさん出てきていたんですが、でも全然気にならなかった。読み終わった後に訳者あとがきを読んで納得。マッシモ・マンフレディは古代に生きたアレクサンドロスを、あえて現代風に書いてみたんだそうです。だから、訳者も最初はとまどったけど、訳をするときに本人と電話で話をしてそれを聞いて、そのまま訳した、とのことでした。いいか悪いかは別として、共感を得やすいように、あるいはいまを生きる私たちにわかりやすいように、あえて現代風に書くという手法もあるのだよと、私はものすごい衝撃を受けました。もちろん、手法も作風しだいでしょうけどね。

 あ! そうだ!
 人気投票に、なぜだか「ゆうぞーさん」という項目が追加されていますが(笑)、まじで入れてくださる方がいるとは思わなかったのでびっくりです。お気遣いありがとうございます。でも、なんにもおだしできないんですよ、これが。しくしく。申し訳ないっす。がんばって更新します。