第三話:聖騎士の訪問

Home > 小説『神々の黄昏』 > 第一章:黒き悪夢の呪縛 > 第三話:聖騎士の訪問

 その日、セテ・トスキは学食の陽の当たるテラスで頬杖をつき、本日何度目になるかすら分からない長いため息をついていた。初夏の日差しに照らされて、明るい金色の髪が栗色になったり銀色になったり陽気な初夏の季節に反応しているというのに、当の本人はまったく覇気がない。片手で空になったコーヒーカップをいじったり、ティースプーンをくるくる回しては見つめ、長い長いため息をつくのであった。
 セテの憂鬱の原因を、周りの人間は誰もが知っていた。しかし今朝、セテが近くにいることに気づかなかった軽はずみな学生がうっかり口にしてしまった言葉に逆上したセテが、そいつを壁際に追いつめて一触即発になったのを知っているから、あえて誰も口に出そうとはしない。
 街の酒場で五人組の酔っぱらいに喧嘩を売られ、こてんぱんにのしてしまった武勇伝まではまだいい。決闘が剣士を目指す学生にとって御法度であり、大学側から厳しく罰せられてもたいていの者には効き目がなく、むしろ勲章のようなものだと思われていることも事実だ。しかし、問題はその後。身の程知らずにも聖騎士に喧嘩をふっかけ、ボロクソに負けたという醜聞は、王立大学内の学生全員が聞きつけていた。
 彼ら曰く、……さすがのセテでも聖騎士には勝てないよな。
 もう一度ため息をついてテーブルに頭を落とすと、ゴツンと鈍い音がして、セテはそのまましばらくは頭を上げることができない。
「……くっそ〜〜〜〜〜! なんでみんな知ってるんだよ〜〜〜!!!」
 口では強がりを言っていたが、レイザークの言うとおり今まで負けたことがなかった分、その反動は大きい。自尊心が大きく傷つけられたのは確かであった。ため息混じりに小声でひとりごちてみる。
「はぁ〜〜〜俺の人生もう終わりだぁ〜〜〜」
「そんくらいのことで何メゲてんだよ、らしくねぇな」
 乱暴にソーサーをおく音がして、隣の席に親友のレトが腰掛けてきた。セテはしおらしく涙目になって親友に肩にすがる。
「レトぉ〜〜〜俺、もうダメダメだぁ〜〜〜」
「なぁにいってんだよ、お前は! 気色悪い!」
 レトはセテの腕を軽くあしらい、コーヒーを一口すする。がっくり、といった音まで聞こえそうなくらいに肩を落とし、しょんぼりとしょげかえっているセテの横顔を見ながら、レトは考える。
(……こいつがこんなにしょげるのなんて初めて見るかも。たまにはあのくらいの薬もいいかもと思ったけど……ホントにショックだったんだなぁ……)
「……はぁ〜〜〜〜なんでみんな俺が負けたこと知ってんだろ……」
(……お前ねぇ、自分がどれだけ目立つ存在か分かってないんだな、ホントに。全然自覚ないかもしれないけど、お前ってば目立つような言動ばっかだし。お前のこと知らないヤツの方が珍しいくらいだって)
「……はぁ〜〜〜〜……まじで俺立ち直れないよ……」
(……あ〜あ、まじで落ち込んでるよ。今朝の講義中だって借りてきた猫みたいにおとなしかったもんな……)
「……はぁ〜〜〜〜……」
(……セテ、そんなのお前らしくないよ……いつだって堂々としてるお前しか俺は見たことないんだ……そう、お前はいつも自信たっぷりに……)
 レトはセテの横顔を見ながらそんなことを考え、ため息をついた。ふと、自分にまでもセテのため息がうつってしまったことに苦笑して、セテの柔らかな金髪をぐりぐりとかき混ぜる。
「あー、セテ君、いい情報があるんだが聞きたいかね?」
 教官の口調をマネしてレトは切り出してみるが、セテは気のない返事をしたまま顔を上げようとしない。
「ふ〜〜ん、残念だなぁ……パラディン・レイザークのその後の足取りに関する情報なんだがなぁ……」
 突然イスが大きな音を立てて倒れ、セテが出し抜けに立ち上がった。周りにいた学生たちは、セテが暴れ出すのではないかと思って後ろに飛びすさる。効果てきめん、レトは内心ほくそ笑む。さすが親友、セテを奮い立たせるツボは心得ているようだ。
「……ヤツはどこにいる……?」
 絞り出すような声でセテは問いつめた。目は怒りに爛々と燃え、肩はわなわなと小刻みに震えている。
「まぁまぁ、とりあえず座れよ」
 立ち上がって硬直したままのセテの肩をぽんぽんとたたき、レトは倒れたイスを起こしてセテに勧めた。しぶしぶとセテは腰を下ろし、ずいと身を寄せてレトに迫る。
「で、ヤツはどこにいるって?」
 レトは一口コーヒーをすすり、
「聖騎士会館へ行って会見だのなんだの済ませたあと、中央特務執行庁の支部へ行ったらしい。そこで特使のひとりをガイド役につけたっていうから、しばらくはロクランに滞在していろいろ見て回るんじゃないかな」
 セテは小刻みに震えたまま、こわばった顔に不敵な笑みをうかべる。突然、
「うぉっしゃ〜〜〜!!!! チャンス到来っ!!!!」
 レトを始め、周りの学生たちはセテの叫びに圧倒され、たじろぐ。
「あんのヤロ〜〜〜!! さんざん俺をコケにしやがって〜〜!! くっくっくっ……見てろよ、あのクソオヤジ、ぜってぇ汚名返上してやる!」
 震える拳を握りしめながら、セテは不敵な笑いで周りの人間をおびやかす。
 ヤバイ、また悪い癖が……レトの心配をよそに、セテはそばに立てかけてあった自分の長剣を握りしめ、剣帯に結びつける。ふとその手が止まり、セテは困惑したような表情でレトを振り返った。
「……レト、こんな情報、いったいどこで……?」
 レトは一瞬凍りついたが、すぐに頭をかきながら、
「なあに、ほかでもない親友のためなら、持てるポテンシャルのすべてをかけてでも情報収集させてもらうって!」
 ……まさかいまさら口から出任せとは言えるはずがない。だが、冷静に考えてみれば、聖騎士の行きそうなところといったらロクランでもほぼ限られていることが分かるのだが……。
 セテはくるりと背を向けて剣帯を結び直す。それから周りの音でかき消されてしまうくらいの小さな声で、ポショリとつぶやいた。
「……ありがと……な、レト」
 耳まで真っ赤にしているセテがかわいくて、レトはその背中に苦笑する。ホント、こいつって不器用だよな。おまけにコロリとだまされやすいし……。
 ぐいと腕を掴まれ、レトは我に返る。セテはレトの腕をつかんだまま、ぐんぐん食堂の廊下を進んでいく。
「な、なにすんだよ! セテ!」
「レト、お前も付き合え」
「は? つき合うって、どこ行くんだよ」
「レイザークを追っかけるに決まってんだろ!」
「はぁ??? お前、午後の講義はどうすんだよ!」
「さぼるに決まってんじゃん」
「セ、セテ〜〜〜〜〜!!!!」
 いまさらながらレトは、やっぱり今日くらいはセテにおとなしくしてもらっていたほうがよかったとひとり後悔するのであった。






 ノックする音が聞こえたので、白髪混じりの初老の紳士はいそいそとドアに駆け寄り、ゆっくりとドアを開けた。銀の刺繍の入った詰め襟タイプの黒いローブを着込んでいるこの紳士こそが、王立騎士大学学長サンスムであった。
 およそこの扉からは入ってくれないくらいの背丈がある大男が、扉の向こうに仏頂面で立っていたので、サンスム学長はドアを開けた瞬間に心臓が飛び出るくらい驚かされた。銀の甲冑に銀のマントを身につけた熊のようだ。それでも気を取り直して笑顔を作るのだが、大男の表情を窺うには、入り口から少し顔を出して、下から盗み見るような体勢にならざるを得なかった。
「これはこれは。聖騎士レイザーク様。ようこそおいでくださいました」
 学長は慇懃に礼をし、レイザークを部屋に招き入れた。レイザークは頭をかがめながら入り口をくぐり、のしのしと熊のように、勧められるまま応接室のソファに近寄った。歩く度に腰に下げた大剣の剣帯が鳴る。普段はひとりでいるには十分すぎるほど広い学長室が、レイザークが入ってきたことでまるで犬小屋のように感じられる。生きた心地がしない……学長は密かにそう思った。
 レイザークは鷹揚な態度でソファにどっかと腰を下ろし、足を組む。拍子に応接用のテーブルがひっかかって、がたんと音を立てて揺れるのを、学長はびくびくしながら見つめていた。
「さて……本日はどのようなご用件で……?」
 学長が早々に切り出すと、レイザークは室内を物色していた視線を学長に戻す。相手が萎縮しているのを見て、おもしろがっているような表情でもある。
「なぁに、たいした用でもないんだが……ちょっと講義や訓練の様子を見学させてもらおうと思ってな」
「はぁ、それでしたらすぐにでも案内役をおつけしますが」
「いや、それにはおよばん。勝手に見回ってもよいならそうさせていただきたい」
 内心学長はほっと胸をなで下ろす。あの問題児のセテ・トスキが聖騎士に喧嘩を売ったということで、聖騎士団からおとがめを受けずにすむならそれくらいおやすいご用だ。
「それはもちろん。ご随意に」
 レイザークは学長の心の内が手に取るようで、大笑いをしたいくらいだった。
「ところで学長、ひとつ聞きたいのだが、今年この大学から聖騎士志望の学位は何人くらいいる?」
「はぁ……ちょっとお待ちを」
 サンスム学長はあわてて机の上のファイルを探り、すばやくリストに目を通す。
「請願書を書いた者だけですが……十二人ほど」
「そのなかで受かる見込みのありそうな者は……?」
「ふぅむ……どうでしょうかねぇ。それぞれ実力はあるのですが聖騎士となると別の問題がありますからねぇ……私にはなんとも」
 学長の答えは聞くまでもない。聖騎士は剣の実力だけでは評価されないからだ。少し考えてから、
「分かった。ありがとう。では学内を見学させてもらうとする」
 レイザークはそう言うと腰を上げ、邪魔したな、とでもいうように手を振ってドアノブに手をかけた。
「ああ、レイザーク様、ちょうど今聖騎士志望の学生たちが第四訓練棟で訓練中ですよ。渇をいれてやっていただけたらと思うのですが」
 レイザークは背中を向けたまま再び軽く手を振り、部屋を後にした。学長は止めていた息を一気に吐き出すような長いため息をつき、凝りに凝った肩を回す。
「どうもあのお方は苦手じゃわい」






 レイザークは通りすがりの学生に第四訓練棟の場所を聞き出し、ぶらぶらと周りを見回しながら歩いていった。途中、学生たちがその姿におののいて道をあけているのにも気がつかず。
 訓練棟の中から、剣と剣がこすれあう激しい音が響いてくる。教官はいない。どうやら自主的にプログラムを組んで学生たちだけで訓練をしている様子だ。
 レイザークは十人強の学生たちを見回して、お目当ての青年の姿がないことに気づく。すぐそばにいた学生ふたりに声をかけてみる。明らかにこのふたりはレイザークを見て萎縮してしまっているが、本人はお構いなしだ。
「ちょっと聞きたいんだが……ここに女みたいなキレーな顔した坊やがいるだろう? ほら、こうこれっくらいの長さの金髪で青い目の……」
 最初はいぶかしげに顔を見合わせる学生ふたりだったが、レイザークが一生懸命身振りで伝えようとしているのを見て、思わず吹き出す。そのうちのひとりが分かった! といわんばかりに頷いた。
「もしかしてセテのことですね。もしそうなら、俺たちと同じ今年卒業予定です」
 やっぱり! 俺の勘も捨てたもんじゃないな、とレイザークは内心ほくそ笑む。
「その坊やは聖騎士志望のクラスじゃないのか?」
「ああ……彼はその……」
 ふたりの学生は顔を見合わせ、言いよどんでいた。ん? 何か問題でもあるのか? と尋ねようとすると、
「彼はいわゆる問題児なんですよ」
 横からいかにも優等生といったタイプの学生が口を挟んできた。ふたりの学生があからさまにいやな顔をするのを見て、レイザークは吹き出しそうになる。いるいる、こういうヤツはどこにでもいるもんだなぁ。グループで言うと、このふたりはあの坊やと仲良しグループで、あのできすぎた兄ちゃんはどちらかというとそれに敵対心を燃やす対抗グループといったところか。そうレイザークは心の中で鼻を鳴らした。
 優等生(とレイザークは内心彼にそうあだ名をつけてしまっていた)は鼻を鳴らすようにしてふたりの学生を横目で見やると、
「剣の腕前は確かにこのあたりじゃ強いかもしれませんが、講義はさぼる、講義中に居眠りは当たり前、遅刻はするわ喧嘩はするわで教授たちも頭を抱えています。それになにより、術法がまったく身に付いていませんから」
 優等生は台本に書いてあるかのような流暢さでセテの悪行をつらつらと挙げつらう。問題児ではあるものの、セテが成績優秀者のひとりであることを、もちろん彼が説明するわけがない。
 洗礼を受ける前とはいえ、レベル3程度の術法はマスターしておかなければ聖騎士試験を受けるための資格は与えられない。なるほどねと、レイザークは予想していた答えにいささか気の抜けたような思いだった。
「そうかい、いろいろと教えてくれてありがとよ」
 レイザークは優等生の肩を思い切り叩いた。ものすごい音がして優等生は肩を押さえて座り込む。レイザークにしてみればほんの挨拶代わりだったのだが、あとのふたりの学生は、それを見て溜飲が下がったとでも言わんばかりに笑い出した。
「ありがとよ、邪魔したな」
 背を向けたままレイザークはふたりの学生に軽く手を振ってそのまま訓練場を出ていった。ふてくされたような顔の優等生はやっとのことで起きあがると、ふたりを睨み付け、そのまま訓練に戻っていった。
 ふたりの青年はレイザークの後ろ姿を見送りながら、お互いの顔を見合わす。
「……考えたくないけど……」
「……お前もそう思った……?」
 ふたりは同時につばを飲み込む。
「……今のってもしかして……」
「……聖騎士……レイザーク……?」
 もう一度ふたりはレイザークの去っていった方向に目を向ける。彼を追って飛び出していった無鉄砲な青年を思い浮かべながら。
「……どうする? セテに話すか?」
「……いや……やめておこう。また暴れられたらかなわん……」
「そうだな。このことは内緒にしとこう」
 ふたりは魔除けに自分たちの剣の柄に口付けした。とりあえずはあのふたりが鉢合わせしないようにと祈りながら。






 中央特務執行庁の官舎がある大通りは、いつものように市場が並び、賑わっている。甘い香りを放つ果物や護身用の武器(ほとんどがまがい物に近いような粗末な出来ではあるが)、色とりどりの光彩を放つ生地など、ありとあらゆるショップが所狭しと並んでいた。
 道の両側に並ぶ店をひとつひとつ覗き見しながら歩くレトを引っ張りながら、セテは目的の聖騎士の姿を見つけようと懸命に目を走らせていた。
 この大通りはロクランの中でももっとも活気のある市場が並び、観光客は必ずといっていいほどここで買い物をしたり食事をしたりする。短絡的だがここを張っていれば、必ず憎き大男が現れるに違いないと、セテはレトの入れ知恵ながらも確信していた。
「お〜〜い、セテ、もう少しゆっくり歩いてくれよ。たまに市場に来ているんだから少しは買い物だってしたいし……」
 セテに吹き込んだ手前、多少の罪悪感はあるにしても、レトはとりあえずセテにやんわりと提案してみた。セテはレトを振り返り、睨み付ける。
「うわっこえ〜顔。お前、そんな顔してたら誰だって近寄りたくなくなるぞ?」
 レトのおどけたような声に、セテは少し苦笑して軽くため息をついた。
「……そうだな……」
 やっとセテはレトの袖を放し、肩の力を抜く。やれやれ、こいつの一本気も考え物だな、とレトは思う。
 ふと、大通りの向こう側から楽器の調べと歌声が響いてきた。即座にわっと歓声が上がり、人垣ができていた。見ると、噴水のある広場で旅の楽師の一座が青空演奏会を始めたところであった。ふたりはそれに引き寄せられるように人垣の輪に入り、演奏に耳を傾けていた。甘く切ないような調べに、独特のハスキーな歌声が被さって、えも言われぬようなもの悲しい雰囲気を醸し出していた。
「……懐かしいな……この曲。アジェンタスの古い民謡だ」
 レトがささやくような声でつぶやいた。セテも無言で頷き返す。
 本当に、この曲を聴くのは何年ぶりだろう。幼い頃は祭りや何か街の行事がある度に、宴で必ず披露されていた曲だ。当時はレトを初めとする悪ガキ仲間と一緒に、輪になってこの曲で踊ったものだった。母さんもこの曲が大好きで、よく口ずさんでいた。
 アジェンタスを離れて四年。半年に一回は帰郷していたが、母ひとりをおいて、親不孝をしているような気は否めなかった。
 ……母さん……元気にしているだろうか……
 聖騎士になる夢を抱いてやってきたロクラン。しかし、四年経った今でも、その夢はいまだに叶えられそうにもない。
 ふと、人垣の向こうに、周りの人よりも頭ひとつは出ている影を見たような気がして、セテははっと息を飲んだ。
 ……見つけた! ヤツだ……!!
 突然走りだそうとするセテに驚いたレトは、人混みをかき分けて進もうとするセテの袖口を引っ張って呼び戻そうとした。
「おいっ どうしたんだよっ 急に!」
「ヤツがいる! 見つけたぞ! あのクソオヤジ!!」
「おいっ 落ち着けよ!」
 レトの腕を振り払って走り出そうとしたセテの足を、突然の悲鳴が引き留めた。振り返ると演奏は止んでおり、楽師たちを囲んでいた人垣は遠巻きになって様子をうかがっているようだった。緊迫した空気があたりに漂い始める。
 酔っぱらいの剣士数人が、楽師の前に立ちはだかるひとりの若い剣士を取り囲んでいた。もう一度悲鳴が上がると、剣士たちはおのおのの剣を抜いて睨み合っていた。
「なんだ? どうしたんだ?」
 セテは近くにいた商人らしき男にいきさつを訊ねる。
「いや、あの酔っぱらいの剣士どもが楽師たちにインネンをつけはじめてね。それに見かねたあの剣士様が仲裁に入ったというわけで」
 へぇ、とセテは背伸びしてその様子をうかがう。突然剣と剣が触れあう金属音が鳴り響き、突如この広場は大立ち回りの舞台となってしまった。
 年の頃は十七〜八だろうか。すらりと背は高いが、質素なマントを羽織っていても、華奢でまだ体ができあがっていないのが見て取れる年若い剣士。美少年といった感じなのに、剣の腕前の方はなかなかどうして捨てたものではない。
「あの剣士……けっこうやるなぁ。だが相手があの人数じゃ……」
 商人がそうつぶやくのを聞いて、レトはふとセテの顔を見つめる。またこいつの悪い癖がでなければいいが……。
 剣士の背後に刃が光る。危ない!! そう思ったのが早いか、すでにセテはその喧噪のまっただ中に突っ込んでいた。レトはぴしゃりと額を叩いてひとりごちた。
「忘れてたよ、あいつのいちばん悪い癖! お祭り大好き病!」
 セテの自慢の愛刀が煌めき、少年剣士の頭上で酔っぱらいの太刀をしっかりと食い止めていた。セテは得意げな笑みで剣士の顔を覗き込む。
「危機一髪だったな。助太刀するぜ」
 安堵の笑みが返ってくるかと思いきや、
「誰だか知らんが余計なお世話だ! このくらいの人数、ひとりでやれる!」
「なっ なんだとこのガキ〜〜!! 人が親切にしてやってるってのに!」
「人の獲物にあんたが勝手に手を出そうとした。それだけだろ!?」
 レトはこんなやりとりをどこかで聞いたような気がするなぁとひとり苦笑する。あの酒場でのレイザークとのやりとりを、そのまんま再現しているわけだ。ただし、今回は立場が逆だが。
「くるぞ!」
 若い剣士はそう冷たく言い放つと、再び斬りかかってきた酔っぱらいの太刀を受け流す。セテも彼なりに軽く太刀を受け流し、相手を追いつめていく。とうとう酔っぱらいたちは追いつめられて観念し、散り散りになって逃げ出していくはめになった。周囲から割れるような歓声が上がると、ふたりはそろって剣を振り払い、鞘に収めた。
 若い剣士はセテなど眼中にもない様子で、怯えて縮こまっている楽師の一団に目を向けた。楽師たちは剣士に会釈をし、再び楽しげな演奏が再開された。その様子が気に入らなくて、セテは剣士の腕をつかみ、こちらに向き直らせる。
「おい、礼のひとつくらい言えないのかよ」
「邪魔をしてくれてどうもありがとう、って?」
「この野郎!」
 頭に血の上ったセテは剣士の胸ぐらをつかもうと手を伸ばしたが、あらぬ場所に手が行ってしまい、その柔らかい感触に思わず声をあげる。
「おっ、お前っ お、女ぁ〜〜〜〜〜??☆!??★!」
「それがどうした!! このスケベ!!」
 剣士の見事な平手打ちが炸裂し、セテの頬は見る間に赤い掌の跡で埋め尽くされていた。少年剣士──少女がマントのフードを払うと、短く刈り上げた見事な赤毛が太陽の光を受けて、燦々と輝いていた。つり上がり気味の大きな茶色い瞳が、勝ち気な少女の性格をよく表しているようだった。その瞳は挑むようで、女で悪い? とでも言いたげだった。
「そういうあんただって、女みたいな顔しちゃってさ! お互い様でしょ」
 うわちゃっ またセテに言っちゃならんことを! と、レトは頭を抱える。よりによってどうしてこう揃いも揃って「禁句」を軽々しく口にするのか。おや? めずらしくセテがおとなしくしている。なんだよおい、相手が女の子だと別にいいのか? 案外セテってばゲンキンなヤツだな。
 レトには理解しようもない。今セテは、生まれてはじめて言われた「スケベ」の三文字に押しつぶされているということを。
「あたしはね、弱いくせに弱い者いじめする腐った輩が大嫌いなの。見て見ぬふりする野次馬の輩もね。あんたも野次馬と同じ口なわけ?」
 少女はマントの裾を払いながらセテを睨み付ける。本当に、勝ち気さを絵に描いたような挑戦的な茶色い瞳。
「誉めてほしいのかよ。人の好意を無視してまで弱い者を守ろうとするその勇気と正義感はあっぱれなものだって」
 セテはいまだ焼け付くような頬を押さえたまま、ふてくされたように言葉を吐き出した。少女はたまらない、といった感じに吹き出した。
「あら、ごめんなさい。プライドを傷つけちゃったかしら? あなたもたいそうな正義感の持ち主みたいね。王立騎士大学の学生さん」
 なぜ分かった? とセテは一瞬ぎょっとする。少女は意味ありげな笑みを浮かべてマントを羽織り直し、ついとセテの顔に自分の顔を近づけて、
「気にしないで。あたしの特技のひとつなの。生きていくためにはいろんな特技が必要でね」
 そういうと、少女は再び意味深な含み笑いを見せる。
「喧嘩っ早いのも今のうちに直しておいたほうがよさそうだよ。それに、正義感だけじゃこんな世の中生きていけないよ」
 そういい残して、少女は逃げるように喧噪の中に姿を消した。お互いに名乗りあうこともなく。
 残されたセテ本人は、腫れた頬を押さえたまま呆然とその後ろ姿を見送るだけだった。レトがにやにやしながらセテを肘でこづき、少女の後ろ姿とセテの顔に視線を往復させる。
「おいおい〜硬派のセテ君はどーしちゃったのかなぁ〜〜? いつもの『俺の顔のことでケチつけるな!』ってイキオイはど〜こいっちゃったのかなぁ〜〜〜? 胸まで触っちゃってのぼせちゃったのかしらぁ〜〜?」
 セテは無言でレトをどつき、背中を向ける。
「……『スケベ』って言われた……」
「はぁ!?」
「……しかも女に馬鹿にされた……俺、もう立ち直れない……」
(ま〜た始まったよ、この間の一件でイジケ癖がついちゃったのかな?)
 ふと、 レトはさっきまでセテが息巻いていた本当の目的を思い出して、
「そういえばお前、聖騎士レイザークを見かけたんじゃなかったっけ?」
 とたんにセテが息を吹き返したようになる。そのギャップがまたまたおかしくて、レトはげらげら笑いそうになる。
「くそ! あのクソオヤジ、どこ行きやがった!!」
 辺りを見回すが、それらしき人影はもう見あたらず、楽師一座の絶妙な演奏だけが響きわたっているだけだった。さっきの喧噪に巻き込まれていなかったらヤツともう一戦交えることができたかもしれないのに。セテはがっくりと肩を落としてため息をつくが、さっきまでのことはもう考えないことにした。それにしても……。
 小生意気な少女剣士。人をさげすむような、挑発するような茶色い瞳。燃え立つ激しい炎を思い出させるような赤い髪。思い出したくもないほど腹は立つのに、なぜか彼女の顔が頭から離れない。

 ……そういえば……名前も聞かなかったな……

 セテは少女の歩み去った方を見つめながら、レトには聞こえないようにつぶやいていた。

全話一覧

このページのトップへ