第五話:聖騎士の遺産

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 ロクラン王立博物館には、フレイムタイラントの炎から逃れた汎大陸戦争以前の文化遺産や、神世代からの歴史を振り返るさまざまな貴重な史料が展示されている。ここでの一番人気は、聖騎士レオンハルトが持っていたという伝説の聖剣、エクスカリバーだった。もちろん、本物は彼とともに所在不明なので、展示してあるのは精巧に作られたレプリカでしかないのだが。
 セテは閉館間際の閑散とした博物館で、他の展示物には目もくれずにまっすぐエクスカリバーのレプリカに足を運んだ。
 レプリカとはいえその作り込みようからくる金銭的価値は相当なものらしく、ガラスケースに厳重に保管されていて、その様子にセテは少々興ざめしていた。
 セテはエクスカリバーの前に子どものように張りついて、いつまでもいつまでも眺めながら、十年前に出会った伝説の聖騎士のことを思い返していた。
 英雄譚に名高い聖騎士《パラディン》レオンハルトの右手に燦然と輝く、聖剣エクスカリバー。幻の浮遊大陸。水晶の棺で眠り続ける美しい救世主《メシア》。伝説の一端に触れたあの日の出来事は、誰にも話したことはない。その後、あの山に登ってみることもなかった。
 それからしばらくして、アートハルク帝国が侵略戦争を起こし、例のクーデター騒ぎで帝国は崩壊。世にいわれているようにレオンハルトは死んで、パラディンの面汚しとまでささやかれている。でも俺は絶対にそんなこと信じない。俺は彼を信じている。レオンハルトは名誉のうちに死んだのだと……!
 ふと我に返ると、セテは自分の隣で、自分と同じようにエクスカリバーのレプリカを食い入るように見つめる少女がいることに気がついた。
(へぇ……この辺じゃめずらしくきれいな娘だな……)
 セテは少女の横顔を呆然と眺めた。細い顎のラインや筋の通った鼻梁から、横顔だけでも整った顔立ちをしていることが見て取れた。透けるような銀の髪が、遠くの窓からこぼれてくる西日に当たって七色に輝いて見える。
 ふいに、少女はセテの視線に気がついてこちらを向き、その大きなグリーンの瞳がセテを捕らえた。
 セテはその場に凍りついたように動けなかった。なぜか全身の皮膚が泡立つのを感じる。忘れようとしても忘れられなかった十年前の……そう、彼が禁忌とされた浮遊大陸で見た水晶の棺に横たわる美しい救世主と同じ顔が、今自分のすぐ隣で自分を見つめ返しているのだから。
 少女は怪訝そうな顔をしてセテを見つめている。セテは自分の心臓の高鳴りが博物館中に中継されているのではないかと思うくらい、鼓動が大きく、早く脈打つのを感じた。
 ……落ち着け……! あれから十年も経っているのに、いくらなんでもあのときより若い姿なわけはない。いや、そんなことより冷静になってよく考えて見ろよ、こんなところに救世主がいる必要があるか?
「どうかなさったんですか? 顔、真っ赤よ」
 鈴の鳴るような声がして、セテはどうにか正気に返ることができた。少女は相も変わらずグリーンの瞳でセテを見つめていた。さっきよりもぐっと近い距離で、下から覗き込むように。
「あ、い、いや……」
 どうにか、彼は声を出すことができたが、それでも語尾が震えてしまうのは隠せなかった。落ち着くために彼は深呼吸をしてみた。一回くらいでは効きそうになかったので、二回、三回と深呼吸をすると、隣にいた少女はくすくすと笑い始めた。
「そんなにあわてるほど、パラディン・レオンハルトのファンなのね」
「は?」
(よかった。たぶんアヤシイ奴とは思われたかも知れないけど)
「え? あ、え〜〜と……その、君もエクスカリバーに興味があるの?」
 我ながらなんともまぁ色気のないというか間の抜けた台詞だろうとセテは思ったが、少女はにっこりと微笑んで頷いた。
「ええ、エクスカリバーというよりは、これを持っていたパラディン・レオンハルトのことを知りたくてね」
 少しだけセテは気落ちした。この少女はまるっきりレオンハルトのことを知らないわけだ。バカだな、俺も。ありえない話だとは思っていたのに、彼女がレオンハルトとともに戦い抜いた救世主かも知れないなんてどこかで期待していたわけだから。
「レオンハルトについては詳しい?」
「詳しいも何も、俺は……」
 うっかり口を滑らせてしまいそうになって、セテは口をつぐむ。危ない危ない。十年前レオンハルトに会ったことがある、なんていったら大騒ぎだもんな。
 セテはゆっくりとため込んでいた息を吐き出した。それに、彼との約束を違える訳にはいかない。たとえ彼が異世に行ってしまった今でも。
「俺は……なに?」
 少女は大きな目で首を傾げる。ああ、本当にそっくりだ。幻影だと思ったけど、俺は確かにあのとき、救世主が目を見開いたのを見たんだ。
「俺はこう見えてもレオンハルトファンクラブの会員第一号だ」
 セテの口から出任せに、サーシェスは大笑いした。セテも我ながらばかばかしい嘘をついたと思いながら大笑いしてしまう。ファンクラブねぇ、確かにそんなものがあったら、俺は真っ先に入会しているだろうからな。
「俺はセテ・トスキ。中央騎士大学に通ってる」
「私はサーシェス。中央騎士大学? すごい! エリートさんなのね! ね、もしかして騎士になるための訓練とかもしてるの?」
 サーシェスという少女は目を輝かせてセテに詰め寄った。間近で見ると、彼女が本当に美人であることに気がついて、セテは心なしか後ずさってしまうのだった。
「あ、ああ、まぁそのための大学だからね、剣士見習いというか……」
「すっごーーい! ね、ね、今度私に……!」
「サーシェス、そろそろ帰るよ」
 ふと、後ろの方から男の声がして会話が中断された。振り返ると、ラインハット寺院の紋章の入った修行衣をまとった長身の男が立っていた。
 が、再びセテは息を飲む。

 まったく、今日の俺はどうかしている。あり得ない。ここにいるわけがない。
 それでも、その男はセテが十年前に見た聖騎士の姿にそっくりだった。

 ……レオンハルト……!

 声にならない声でセテは叫ぶ。閉じていた瞼がゆっくりと開かれ、男のブルーグレイの瞳が自分をまっすぐに見つめたので、セテはぎょっとした。
 ……あり得ない。なぜならここにいる男の髪は輝くばかりのブロンドではなく、漆黒で、瞳の色は透けるようなエメラルドグリーンではなく、人を刺すようなブルーグレイ。彼じゃない。彼じゃないのに……。
「……私の顔に何か?」
 ぶっきらぼうに問いかける男の声で、セテはようやく我に返ったようだった。止めていた息をそろそろと吐き出す。隣にいたサーシェスが男のそばに駆け寄った。セテにとっては、まるで本物の救世主が聖騎士レオンハルトに寄り添っているような光景であった。
「あ、いえ……」
 気まずそうにセテは首を振った。そう、本当に俺は今日どうかしている。
「ね、フライス、こちらセテ。中央騎士大学の学生さんなんですって。セテ、こちらはラインハット寺院の修行僧で私の保護者役を務めてくれているフライスよ」
 セテが軽くフライスに会釈をすると、フライスもぶっきらぼうに頭を下げた。
「ね、セテ。私に剣の稽古をつけてくれない? 私も剣を習い始めたんだけど、やっぱり専門家に見てもらったほうがいいでしょ?」
 サーシェスはにこにこしながらそんなことを言う。まったく、さっき会ったばかりなのになんて積極的な娘なんだろう、と思いながらちらりとフライスの表情を見やると、彼の表情が一瞬険しくなって睨み付けられたかのような気がした。
(うひゃ、これは保護者っていうより……)
「サーシェス、そんな簡単に人に頼み事をするものではない。ご迷惑だろう」
「いえ、俺は別にそんな……時間はたっぷりありますから」
 フライスなりに遠回しにやんわりとご辞退申し上げているようだが、セテはなんだか悔しくてついそんなことを言ってしまった。別に張り合うとかそんなわけではないのに。
(……あ、やっぱり。保護者さんの目が笑ってない)
「ホント!? じゃあ、明日とかって時間空いてる? 私ラインハット寺院にいるから夕方なら時間とれそうなんだけど」
「夕方だったら俺も講義が終わっている頃だからいいよ。俺が迎えに行こうか?」
「ううん、私がそっちに行く。中央騎士大学って確か5番街よね。滅多に街には行けないから、たまにはいろいろ見て回りたいもの」
 ひえ〜〜、保護者の前でなんてこと言うんだ。なんてゆーか俺、針のむしろに座らされている気分。
 セテは隣にいるフライスの視線を感じて、背中に冷水を浴びせられたような気になる。
「じゃ、明日の中央時間四時に正門前に行くわ。それじゃ」
 勝手に話をまとめて、サーシェスはフライスの腕を引っ張りながらエクスカリバーの展示室から出ていった。去り際のフライスの視線が妙に痛い。
 彼らが去った後をしばらく呆然と見つめながら、セテはふ〜っと長いため息をついて額を拭った。
 彼女はいったい何者なんだ? 話の流れでは意気投合してしまったけど、実は名前以外について自己紹介したわけではないのに、前からの知り合いみたいな態度で彼女は自分に接した。ラインハット寺院にいるっていってたな。彼女は修行僧のひとりなのか? 術法を学ぶ修行僧が剣の稽古? なんだか不思議な娘だな。
 そんなことを思いながら、セテも博物館を後にした。
 セテは夕闇の空を仰いだ。紫色に染まった雲がゆっくりと流れて行くのが見えた。
 もしかしたら自分は、レオンハルトの幻影を追い続けているだけなのかも知れない。だから他人のそら似でもあんなに動揺してしまうんだ。でも……やっぱり……。

 ……やっぱりレオンハルトに生きていて欲しい……

 成長した自分の姿を見て欲しいって思ってしまうんだ……。






「ちょぉ〜〜〜〜ビッグニュース!! ビッグニュースだよ〜〜!!!」
 修行僧の中等部に所属する小柄な少年がぱたぱたと廊下を走り、写本室に飛び込んできた。またか、というように他の少年たちがこの小柄な少年を横目で見る。たいがい彼のいうところのビッグニュースとは、それはそれはお粗末なものだった。
「なんだよ〜、まぁたお前のビッグニュースかぁ?」
 周りの少年たちがからかうと、小柄な少年は顔を真っ赤にしていきり立つ。
「違うって! 今度はほんとにほんとにビッグニュースなんだってば!」
「あー分かった分かった。言ってみろよ」
 少年は弾む息を押さえるために深呼吸をし、周りのメンツをぐるりと見渡した。それからにやりと不敵な笑いを見せると、
「聞いて驚くなよ。……サーシェスは今日、デートなんだってさ!」
「なにぃ〜〜〜〜!!!!」
 部屋中の少年たちが一斉に声をあげた。部屋の隅で、ばかばかしいとでも言わんばかりに本を読んでいたまじめそうな少年までもが、目をむいてこちらを振り返る。
「おい! お前、いい加減なこというなよな!!」
「なんだよそれ! 聞いてねーぞ!!」
「ほんとか! それ! なんでお前がんなこと知ってるんだよ!」
「まぢかよ!! 相手は誰なんだ!? フライス様か!?」
「ちょ、ちょっとちょっと! 一斉にそんなこと言われても答えられないじゃないか!!」
 取り囲まれ、わやくちゃにされながらも、少年は手を振り回してみんなを引き離し、それからもったいつけたように咳払いをしながら周りを見渡した。
「相手は中央騎士大学の見習い剣士だってさ。今日、大僧正様が話していたのを聞いたんだ」
 それを聞いて、少年たちはお互いの顔を見合わせ、ちょっとだけため息をつく。
「フライス様じゃないのか? なんか俺ほっとしちゃった」
「ええ〜〜? フライス様じゃなくたって俺、心中穏やかじゃないって感じだな〜」
 少年たちは口々に勝手なことを言いあう。情報屋の少年はしてやったりというような笑みを見せ、それから小声でみんなにささやいた。
「それでさ、今日のフライス様の荒れ様ときたらもう、すごいのなんのって。さっきもちょっと廊下を走っただけですごい剣幕で怒られたし、高等部の連中で修練中に居眠りしていた奴にはいきなりレベル1の雷撃食らわすし、もぉ歩く禁断術法って感じ」
 一同、し〜〜〜んと静まり返った。文書館長フライス殿が感情を見せないことは周知の事実であったが、たとえそれを目の当たりにしなくても、相手がサーシェスだということだけで妙に納得してしまうのであった。
「……あの人もニンゲンだったんだな……」
「鉄面皮だとばかり思ってたんだけど……」
「なんかそんなフライス様って、かわい〜よな」
「中央騎士大学の学生さんねぇ。やっぱ若さで負けちゃったのかな?」
 そんなことを言い合いながら、少年たちは大笑いした。
「……誰がかわいいって?」
 後ろから凍りつくような低い声がして、少年たちは一斉に口をつぐむ。声の主は分かっているけど、どうかそれが幻聴であって欲しいと切に願う。凍りついた笑顔のまま、少年たちは後ろを振り返った。
 ひえっ 歩く禁断術法が来たっ!
 少年たちはこわばった笑みを顔に張りつけて、フライスを見つめる。無言のまま、フライスは写本室に入ってきて、わざとしか思えないようにがたんと大きな音を立てて書棚に本を戻す。
「……私は本を戻しに来ただけだ」
 誰もそんなことは聞いていないのに、フライスは一言そう言って、来たときと同じように仏頂面で部屋を出ていこうとした。とりあえずレベル1の雷撃を食らわずにすんだことで、少年たちはフライスの背後で止めていた息を静かに吐き出す。と、ドアの前でフライスはくるりと少年たちに振り返り、
「……それから、言っておくが私はまだ二十七歳だ!」
 バタン! と乱暴にドアが閉まる音がして、足音も高くフライスが廊下を去っていくのが写本室の中まで響いていた。
 その日、中等部ばかりか小等部、高等部、果ては幼少部まで、こんな光景が一日中続いたという。






 レトは、めずらしく相棒が用事があると言い出したので、しかたなくひとりで中央騎士大学を後にするはめになっていた。
 ちぇ、帰りに一杯ひっかけてこうと思ったのに。
 まだ日も高いうちから、彼らは飲んでばかりのようだ。ふと、騎士大学の正門の横を通り過ぎると、女の子がひとり立っているのが目に入った。
(へぇ、結構かわいい娘。何の用だろ?)
 鼻筋の通った整った顔立ち。大きなグリーンの瞳がものすごく印象的で、長い銀の髪を後ろに束ねている。チュニックから覗く短めのスパッツからすらりと伸びた長い足。この辺りの女の子の中じゃ顔もスタイルも群を抜いている。ただ、右手には彼女にはおよそ不似合いな剣の鞘を握りしめているのが不思議に思えるのだが。
 ぼーっとその娘を眺めていると、ふと目が合ってしまい、レトは柄にもなくどぎまぎしてしまった。
「あ、ねぇ!」
 突然女の子が待ってましたとばかりにレトに駆け寄る。
「ここの学生さんで、セテ・トスキって人がいるはずなんだけど……」
 せ、セテだってぇ〜〜〜!!!???
 レトは心の中でのけぞる。ってことは、セテの野暮用ってこの娘と会うことか? ってゆーか、それってデート!? くっそーあの野郎、一言も言わないで……!!!
「あ、ああ、セテね、俺の友達だよ。連れてきてあげよーか」
 レトは引きつった頬を隠しながらかろうじてにこやかな顔を保とうと努力していた。少女が助かったというような顔をした。が、少女がレトの顔越しに向こうを覗くような仕草をしたので、セテがやってきたのが分かった。
「ごめん、ちょっと遅れちゃっ……」
 駆け寄ってきたセテの足がぴたりと止まり、レトの後ろ姿を見つけるやいなや彼は言葉をつぐむ。
(やばい、だから先に帰れといったのに!)
 レトはわざとらしくセテの肩に手を回して
「セテく〜〜ん? これはいったいどういうことか説明してもらおうぢゃないか?」
「あ、いや、別に隠していたわけじゃなくてその……」
 きょとんとしている少女と引きつり気味のレトの顔を交互に見やりながら、セテは自分が窮地に立たされていることを実感した。
「彼女はサーシェスっ! 俺が剣を教えてやることになったんだよっ」
 やけくそでセテは言い放つ。レトが拍子抜けしたような顔をしてこちらを見つめている。
(あーもー、だから俺はいやだったんだ)
「……あ、そう。なーんだ、そうなの」
 レトは面白がるような口調でセテをやりこめる。その後、サーシェスの方へ向いたかと思うと、
「初めまして、俺、セテの親友でレト・ソレンセンっていうんだ」
(うわっ なんだよ、こいつ、いきなり自己紹介しやがった。しかもいつもとはうって変わったその紳士的な態度はいったいどうしたってんだ?)
「初めまして。サーシェスです」
「お、おい! レト!」
 セテはレトの下心見え見えな態度が気に入らなくて、ふたりの間に割って入った。サーシェスは相も変わらず、あの無防備で無邪気な笑顔で頷いているだけだ。
「セテってさー、剣の腕前はめっちゃ強いんだけど、こう見えてもオクテで彼女いない歴二十二年だから、なんか粗相があったら遠慮なく俺に相談してよ」
「ちょっと! レト!」
(ったく余計なことを! 彼女いない歴二十二年で悪かったな!)
 憤慨して口を挟もうとするセテを押しのけ、レトはサーシェスに満面の笑顔で微笑んだ。サーシェスもサーシェスで、あの大きな瞳でにっこりほほえみ、
「ご心配なく。剣の稽古に無理矢理誘ったのは私だし、私こう見えても男の人には慣れてるから」
 その一言にレトはたじたじとなったが、傍らのセテはもっとたじたじだった。
(な、慣れてる? あ、そっか、彼女、ラインハット寺院にいるんだっけ。そりゃ分かるけど、ちょっと世間知らずっぽいところあるしなぁ。あーもーめんどくせーー!)
「行こうか、サーシェス」
 レトを押しのけ、セテはサーシェスの腕をつかんで学内に戻っていった。セテにしては大胆な行動に、レトは一瞬呆気にとられたが、耳まで真っ赤にしているセテの後ろ姿がなんだかほほえましくてついついからかいたくなってくる。
「がんばってね〜〜セテく〜〜ん」
 と、なんともまぁ気味の悪い猫なで声でレトが背後から冷やかしてくる。そんなんじゃないんだってば! くそ、あいつには後でよ〜〜く言っとかないとな。セテは小走りでその場を離れようと努力した。
 セテの背中に手を振るレトは、ため息混じりにこうひとりごちた。
「こないだの赤毛の女剣士といい、あいつ最近モッテモテだな……なんか悔しいぞ。まぁ生まれて二十二年、遅すぎた春の到来って感じか?」






 セテはレトをやりおおせたつもりだったが、騎士大学内は騒然としていた。
 あのセテ・トスキがめちゃめちゃかわいい女の子を連れて歩いている!!
 幸か不幸か、セテ本人は自分がどれだけ学内で目立っているかも意識していないから、彼はサーシェスを連れて稽古場を探しに学内を闊歩する形になってしまっていた。そこここで学生たちの視線を浴びるふたり。
 やっと邪魔の入らない場所を見つけて、セテはほっとため息をつく。
「ごめん、うざくてむさ苦しい奴らばっかりだろ?」
 セテは肩をすくめて見せた。サーシェスはそんなセテを見てくすくす笑い出して返事どころではなかった。
「な、なに? 俺、なんか変なこと言った?」
「だって……!」
 サーシェスは笑いすぎて目の端に涙まで浮かべてセテを窺い見る。
「あなたってすごい人気者なのね! 学校中のみんながあなたのこと見てたわよ」
「それは単に女の子が物珍しいだけだよ。君みたいな若い女の子とお近づきになれない野郎どものヒガミさ」
(まぁ、俺だって本当にこんなかわいい娘とお近づきになれたことなんてないんだけどさ。棚ボタの役得ってまさにこのことだよな)
「おや、セテ君、今日は相棒と一緒じゃないのか?」
 陰険な声がして、セテの目の前には例の優等生とその取り巻きが立っていた。
 うわっ いや〜な奴が来た。セテは露骨にいやそうな顔をする。セテのそんな顔を見て、サーシェスでもこのふたりの仲の悪さにピンときた。
「ずいぶん余裕だね、もうすぐ実技試験だというのに」
「お前には関係ないだろ、ビヨルン。俺は空いてる時間を使ってこの娘に剣を教える約束をしただけだ」
(あーまったく、勢いに任せたとはいえ、なんで会って間もないこの娘に剣を教えるなんて言っちゃったんだろう。こいつらの揚げ足取りの絶好のチャンスを与えてしまったようなもんじゃないか)
「空いてる時間……ねぇ……君にはそんな余裕はないはずだけどね。アジェンタス騎士団の入団試験も間近だし、中央特務執行庁も今年はもう再来週の試験で最後だったはずだけど?」
 優等生ビヨルンの言葉に、セテはぴくりと反応した。サーシェスは驚いてセテの顔を見る。
「ま、君だったら聖騎士団以外の試験は軽〜く流す程度かも知れないけどね」
 サーシェスは鞘をつかむセテの腕がわずかに震えているのを見た。
「ご進言ありがとうよ、ビヨルン。肝に銘じておくよ。お前もせいぜい手合わせしてもらう聖騎士にぶった斬られないように気をつけるんだな」
 ビヨルンとその取り巻きは忌々しそうに鼻を鳴らすと、どかどかと足を鳴らして去っていった。
 サーシェスの傍らで、セテはたまっていた息を吐くようにため息をついていた。自然と肩に力が入っていたのに気づいて、肩の力を抜く。よかった、もう少しで俺キレちゃいそうだったけど……この娘の前でみっともないマネしたくないもんな。ヘンなの、俺ががまんできるなんてさ。
「どうしてそんな大事な時期に私にかまっていられるの!」
 サーシェスはビヨルンたちが去ったのを見届けると、ものすごい剣幕でセテに詰め寄った。
「試験だなんて……そんな大事な時期に、どうして断らなかったのよ!」
 だって……断るも何も、君が勝手に話をまとめちゃったんじゃないか。
「私のせいであなたの一生だめにしちゃうかもしれないのよ!? それなのに……」
「一生だなんておおげさな」
 セテが困ったように肩をすくめると、サーシェスは憤慨して
「一生よ! あなた剣士になりたいんでしょう!? もっと自分を大事にしてよ!」
「知りもしないくせにそんな勝手なこと言うなよ! 俺だって好きでブラブラしてるわけじゃない!!」
 しまった! 言い過ぎたか!
 セテの激しい言葉にサーシェスは驚いて目を見開いていたが、やがて力無くうなだれてしまった。
「……ごめん……なさい……私、会ったばかりのあなたに勝手なことばかり……」
「ご、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。言い過ぎたよ。断じて君のせいじゃない。でなきゃ俺だって最初から断ってた」
 なんてことだ。彼女にやつあたりしちまうなんて……!
 セテは深く息を吐き出して、芝生に座り込んだ。サーシェスがまだ力無くうなだれたままだったので、セテは身振りで自分の隣に座るように示した。サーシェスはおずおずとセテの隣に腰を下ろした。
「ほんとだって。俺は自分がいやなことは引き受けないたちなんだ。俺は今までだって自分がしたいと思ったことだけしてきた。君に剣を教えたいと思ったから教える。それでいいじゃないか」
 セテは大げさな身振りでうつむいたままのサーシェスの気を引こうと努力する。
「それに……」
 ふと、サーシェスが顔を上げてセテの顔を見つめた。セテはその先を息とともに飲み込んでしまう。吸い込まれそうなほど大きくて深いグリーンの瞳……。思いがけずナイスなアングルで、サーシェスと自分が向かい合うような感じになってしまい、セテは柄にもなく心臓が高まるのを覚えた。

 言えるわけないじゃないか。君が救世主に似ているから……なんて。

「あいつらの言ったことなんて気にするなよ。あいつらは何かと俺につっかかってきて因縁をつけたがるんだ。俺が気に入らないんだってさ。いつものことだよ」
 セテが人ごとのように言うのを聞いて、サーシェスは憤慨したように、拳で芝生を叩く。
「ほんっといやな奴! あんなウジ虫ども、こてんぱんにのしてやってよ! クソ食って死ね! ってかんじだわ!」
 まさかサーシェスの口からそんな汚い言葉が出てくるとは夢にも思わなかったセテは、呆れたようにサーシェスを見つめる。と、サーシェスは思わず口に手を当てて口をつぐむ。
「……け、結構……見かけによらず言うんだね」
「ご、ごめんなさい! 私って口が悪いの。いっつもフライスに注意されるんだけど、修行僧の男の子たちといるとついついうつっちゃって……!」
「フライス……って、ああ、昨日の……保護者さん」
 昨日の去り際に残した彼の冷たい視線が思い出されて、思わずセテは身震いしそうになった。察するに、今頃彼は荒れているんじゃないかな。俺だったらどこの馬の骨か知らないような男と遊びに行かせるなんてマネさせないもんな。あ、遊んでいるわけじゃないけど、と、セテは自分をフォローする。
「そう、ああ見えてもすごい頑固者なのよ。無口で女嫌いで堅苦しいことこの上なし!」
(女嫌い……ねぇ、でも俺に対するあの目はどう見ても恋敵を見るようなもんだったけどな。この娘、気づいていないのか? それとも当てつけに、わざと?)
 そう考えると、なんだかセテはむかむかしてきたので、ふと立ち上がり、
「そろそろ始めようか」
 なんて言ってみる。サーシェスも待ってましたとばかりにはじかれたように立ち上がり、腰にぶら下げた剣の鞘をつかむ。
「まさかいきなり真剣でやるつもりか?」
 サーシェスが抜いた剣を見ながら、セテはくすくすと笑い出す。
「そうよ、ラインハット寺院ではダミーの剣を使っていたけど、専門家のレッスンを受けるのにそれはないでしょ?」
 思いのほか気が強くて負けず嫌いなところに、セテは共感を覚えた。それから自分も剣帯をはずして愛刀を抜く。すらりとした細身の長剣で、刃こぼれひとつしていない刀身が夕日に照らされて輝く。黒い柄にはターコイズブルーとブルーの糸に金糸が交差して巻かれており、鍔は金とターコイズで七宝焼きのように象眼されている、立派な剣だ。
「きれい……」
 サーシェスはセテの愛刀を見つめてため息をつく。セテは自慢げににっこり微笑むと、
「オヤジの形見らしい。ここにくる前、お袋に持たされたんだ。『飛影《とびかげ》』っていうのがこいつの名前」
「お父さんの……?」
「俺がうんと小さい頃おっ死んじまったらしいんだけど、俺はオヤジのことなんか全然覚えていないんだよね。だから形見とか言われてもピンとこない」
 私と同じだ……。サーシェスもこの青年に共感を覚えていた。いや、それは今に始まったことではなくて、昨日博物館で出会った瞬間にすでに共感を覚えてはいたから……だから強引につき合わせてしまったのかも知れない。
「さ、構えてみて」
 セテに言われて、サーシェスは自分の剣を構えてみる。なかなか様になっている。セテはサーシェスの横で同じように剣を構えて、
「んーー、もう少し腰を落として、もっとこう脇を締めて……あ、ごめん、俺左利きなんだよね。じゃ、俺が正面に立つから。そうすれば鏡を見ているようになるだろ?」
 セテはサーシェスの正面に立ち、お互いの剣を交差させるように構えて向き合う。サーシェスはセテの構え方を見ながら真似てみようともぞもぞと体を動かす。
「んじゃ、本気でかかってきていいぞ」
「え? え?」
 困惑するサーシェスに、セテはにやりと笑うと、
「だぁ〜いじょうぶ。言っくけど俺様は強いから。だから試験勉強なんかしなくてもぜ〜〜んぜん余裕なの!」
 セテのおどけた表情にサーシェスはくすくす笑いだし、重荷が消えて一安心したようだった。そして息を吸い込むと、サーシェスは思い切り剣を振りかぶり、セテに斬りかかった。
 さすがに、中央騎士大学の学生ともなると半端ではない。寺院で教えてくれていた下男も元剣士見習いだとは聞いていたが、やはり現役の剣士見習いには及ばない。思い切り剣を振り回すサーシェスを、彼は剣の切っ先だけで交わし、気がつくとサーシェスは彼に背中を見せてしまうような形になって、そのたびに彼に剣の柄で背中をこづかれてしまうのだった。
「そろそろ本気でかかってきてもいいんだぞ?」
 セテはからかうような口調でそう言うと、自慢の飛影をくるくると回して挑発する。
「わ、私は本気よ!!」
 頭に来てサーシェスは闇雲に剣を振り回すのだったが、セテはひょいひょいと交わし、剣の切っ先だけでサーシェスの攻撃をはねてしまう。
「ただ剣を振り回すだけじゃない! それじゃ余計に消耗するだろ? 相手の動きを見て、次に相手がどう動くかを先読みするんだ。で、相手の力の反動を利用する!」
 頭では分かっていても、なかなかできたものではない。剣を振り回し、相手を追いつめようとするが、今度は剣をはじき飛ばされ、ついとのどに切っ先を当てられて動きを封じられてしまった。
「少し休もうか」
 さっきまでとは違う優しい表情で、セテはサーシェスに微笑みかけた。サーシェスは気の抜けたようにへたり込んでしまい、その場を動けない。
 セテは両肩で息をするサーシェスに飲み物を差しだし、サーシェスはそれを受け取ろうと手を伸ばすが、グラスが触れた瞬間に掌に激しい痛みが走って顔をしかめる。見ると、両の掌は豆がつぶれたようで真っ赤に染まっていた。
「ごめん、ちょっと力が入りすぎちゃったな」
 セテは困ったような顔をして辺りを見回し、サーシェスの手をつかむと水道のそばまでひきずっていった。蛇口をひねると勢いよく水が飛び出し、その冷たさと痛さでサーシェスがうめき声を上げる。
「ごめん! しみた?」
「……大丈夫。ふふ、なんだか謝ってばかりね、セテ」
 蛇口をしめるとセテはハンカチを取り出し、サーシェスの掌にそっと巻いてやった。はじめて手と手が触れ合い、セテは相手の体温が伝わってくるのを感じてしばし動揺する。すぐ目の前で、サーシェスが困ったような満足したような不思議な表情でセテをうかがっている。
(はっ 俺ってばなんて間抜けなことを! この娘はラインハット寺院の修行僧じゃないか。レベル1の癒しの技くらい……!)
「ありがとう。私、術法はてんで覚えていないから」
「へ?」
(そうなのか、もしかして俺をたててるんじゃないだろうな。でもまぁ、もし術法が使えるならもっと早くに自分で治していただろうし)
「そ、そうなんだ。実は俺も術法はまるっきしだめでさ。治してあげたいのはやまやまなんだけど」
 ごまかすようにセテは頭をかいた。やばい、これじゃ俺はばかみたいじゃないか。
「大丈夫よ。フライスに治してもらうから。明日になればこんな傷、跡形もなくなってしまうもの」

 フライス……ね。

 セテはちりりと胸が痛んだ。なんなんだ? この感情は?
「……私、やっぱり向いていないのかしら。まじめに術法を勉強していたほうがいいのかもしれない」
「そんなことはない。はっきり言って君はものすごく機敏だし、体力のない分はスピードでカバーできるんだよ?」
「ん……でも……レイザークって聖騎士に言われちゃったのよね。女は黙って祈ってろ、みたいなこと。なんか悔しいけどそのとおりだと思う」
「レイザークだって?」
 宿敵の名前がこの少女の口から飛び出してきて、セテは身を固くする。あのクソオヤジめ、ラインハット寺院まで訪れたのか。
「知ってるの?」
「あ、いや……ちょっとした成り行きでね」
 まさかレイザークに喧嘩をふっかけて負けたとも言えないので、セテは適当にごまかしてみる。ふと、サーシェスが潤んだ瞳でこちらを見つめていた。
「セテは……なんで剣士になろうと思ったの……?」
「俺は……」
 俺はなんで剣士になろうと思ったんだろう。レオンハルトの剣技に魅せられて。レオンハルトに憧れて……いつかあの人の横で一緒に戦いたいと思ったから。正直なところはそれだけだ。
「レオンハルトに憧れて……ってのが正直なところかな。俺、他に取り柄があるわけじゃないから。でも……聖騎士になるのは思ってた以上に難しすぎるみたいだけど」
 聖騎士になるためにはレベル3までの術法を会得していなければならない。しかし、剣技はさておき、セテはレベル1の術法でさえ、満足にマスターできていなかった。
 あの人の……聖属性の術法はすごかったな……。死霊どもを一瞬の煌めきだけで消滅させてしまうほどの禁断術法を、あんなにも軽々と発動できるなんて。エクスカリバーがなくたって、彼の強さは変わることはない。今生きていれば彼は最強の聖騎士のはずだ。
「セテがうらやましいな……」
「なにが?」
「だって、自分の夢につながるほどの強い想い出がいっぱい詰まってるって感じだもの。私にはそういったものは全然ないから……」
 セテはサーシェスの言うことが分からなくて、きょとんとした顔で首を傾げている。
「……記憶が……ないの。私、記憶喪失なの」
 サーシェスは寂しそうに笑った。記憶喪失なんて本の中での話だけだと思ったけど……。ああ、そうか、この娘が持っている不思議な雰囲気は、無垢で何も知らない無邪気さからくるんだ。頼むからそんな寂しそうな目で見つめないでくれ。俺、理性が飛んじゃうかも……
 セテの手がすっと伸び、サーシェスの柔らかな頬に触れた。本当に自然なひとコマ。サーシェスがその手に自分の掌を重ねて、しばしふたりは見つめ合った。
「……冷たくて気持ちいい手……」
 サーシェスがふふっと笑ってセテはようやく我に返り、あわてて彼女の頬から手を離した。怪しまれただろうか? セテは咳払いでその場をごまかし、サーシェスの剣を拾い上げた。もうまともに彼女の目を見つめられない。彼女のグリーンの瞳には、魅惑の術でもかかっているのだろうか。
「……送ってくよ、そろそろ帰った方がいい」
「あっ! ほんと!」
 サーシェスはハンカチを巻かれた不自由な手で服をはたき、遠くで鳴っている夕べの祈りを知らせる鐘の音に耳を澄ませた。

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