第十三話:古代の禁呪

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 スナイプスの野太い声が訓練場に響き渡る。セテはスナイプスの剣の腹で背中をこずかれたあと、足をかけられて派手に芝生に倒れ込んでいたところだった。
「そうじゃない! このクソッタレ!! 何度言ったら分かるんだ! 相手が斬りかかってきたからってまじめに応戦するな! それくらい直前でかわせ!!」
 翌日の夕食後、先日の喧嘩騒ぎの一件で命じられることとなったスナイプス直々の剣の稽古で、セテは文字どおりぼろくそにたたきのめされていた。
「中央騎士大学ではいったい何を教えてもらってた! 実際の戦闘は踊りじゃないんだ! 型どおりに攻撃して勝てると思ってるのか!」
 スナイプスの激しい檄が飛ぶ。芝生まみれのセテは立ち上がり、もう一度剣を握り返して相手の脇に踏み込む。が、すぐにそれも切っ先でかわされてしまい、今度は剣の柄を腹に食らうはめになった。
「そらそら、そうやってすぐムキになる。貴様の悪いところは血の気が多いところだ。だからガキだっていうんだよ」
 腹に食らった強烈な一撃で吐き気を抑えるのがやっとのセテは、せき込みながら剣を握り直すが、手のひらに激痛が走り顔をしかめた。見ると、まめが破けて血塗れだ。
「今日はここまでだ。歩哨もあることだし、救護室で手当をしてもらって着替えてこい」
 スナイプスは剣を鞘に収めると、足下に転がっているセテの愛刀を拾ってやった。セテは右手で剣をつかむと、慣れない手つきで鞘に収めた。
「どうだ。中央騎士大学で教わってきたことなんかクソの役にもたたんだろう」
 スナイプスは愉快でたまらないといった様子でそう言った。セテは荒い息で肩を上下させながらスナイプスを見上げた。
「俺も中央騎士大学の出だ。俺は貴様と違って決して成績優良じゃなかったがな」
 スナイプスは嫌みともとれる台詞に皮肉な笑みを浮かべてそう言った。
「最初の任務は盗賊団との戦闘だった。極悪非道な奴らでな。アジェンタス大使の家族を人質に取って逃走しようとしていたところだ。入ったばかりの頃は、中央騎士大学で学んだ『騎士道』ってやつをそりゃぁ大切に守っていたがな。型どおりの剣の舞を舞っていただけだ。だが相手はそうじゃない。仲間が卑怯な手口で殺されているのに、そんなきれい事が通じるか。『騎士道』だって? へっ! そんなもんはブタにでも食わせちまえ」
 セテは服に付いた芝生を払い落としてスナイプスを見つめた。スナイプスはおもしろくなさそうに顔をしかめてみせると、
「どうして俺にそんなことを話すのかって顔してるな。それは貴様が使えそうなヤツだからだ。簡単に死なれては困る。心配するな。貴様の他にあと十人はこうして相手をしてやってる」
「じゅ、十人?」
 ということは、このスナイプスという男は、一日のうちに十人もの訓練生に直々に剣の稽古をつけてやっているというわけか。そのタフさに、セテは思わず絶句してしまう。
「正直、貴様みたいなガキを中央特務執行庁の鉄の淑女が太鼓判を押したなんて信じられなかった。入庁早々、前代未聞の出向命令は受けるし、顔は女みたいだし」
 セテは、統括隊長がまた自分の顔のことでからかうのを聞いて睨み付けた。スナイプスはそんなセテの様子を見てゆがんだ笑みを(おそらく彼は素直に笑うのが苦手なのであろう)浮かべると、
「いちいち顔のことでカッとなるな。お袋さんに似ていい顔をしてると言いたいんだ」
「……母を……知ってるんですか……?」
 セテは統括隊長が自分の母親を知っていることの驚き、目を見開いて彼の顔を見つめた。スナイプスは肩をすくめると、
「ああ、貴様の父親もな。アジェンタス騎士団にいる頃のことしか知らんが、本当にいい剣士だった。貴様の親父は、当時俺たちのマドンナだった貴様の母親を射止めて、そりゃーもう大喜びだった。まったくうまいことやりやがったよ。確かにいい男だったし、俺たちの面倒見もよくて本当にいい先輩だった」
「……アジェンタス騎士団に……いたんですか、父は……」
「……知らんのか。自分の父親のことを……?」
 スナイプスはじゃべりすぎたというような顔をしてセテの顔を見つめた。それから、スナイプスは唾を吐いて腰の剣帯を結び直した。まるで今の会話がなかったことであるかのように。
「父は……アジェンタス騎士団の任務で死んだんですか?」
 セテはスナイプスに歩み寄り、その袖を引こうとしたが手のひらに激痛を感じたので手を引っ込めた。スナイプスは鋭い視線でセテに一瞥をくれると、
「親父さんがアジェンタスを出てからのことは俺たちも詳しくは知らない。余計なことを詮索する前にもっと腕を磨くんだな。親父さんに追いつくぐらいのな」
 スナイプスは自分の右腕を指で指して念を押すようなしぐさをしてみせた。セテはため息をつきながらけがをしていないほうの手で前髪を掻き上げた。
「言っておくがな。貴様をえこひいきしているなんて間抜けな勘違いはするなよ。俺は単に見込みのありそうなガキどもをさらに使えるように訓練してやっているだけだ。貴様のデータはガラハド提督も俺も目を通した。貴様のスピードと戦闘能力は高く評価しているつもりだがな。ここは騎士団という名を借りた軍隊だ。俺だって生き延びたいし、ガキどもにすぐに死なれちゃ夢見が悪い」
 そう言い残して、スナイプスは背中ごしに手を振りながら訓練場をあとにした。夜の照明の逆光に照らされて、スナイプスの体型がはっきりと見えた。鷹揚な背中。顔はまったく似ていないが、雰囲気や背格好は本当に聖騎士レイザークに似ている。腹の立つ言動までそっくりだ。だが、鬼の統括隊長という異名をとるほど、この男が鬼のような性格をしているとはセテには思えなかった。






「緊急出動命令! レッド隊、グリーン隊は装備を調え、正門前に集合! 繰り返す! これは演習ではない! レッド隊、グリーン隊は装備を調え、正門前に集合せよ!」
 セテが救護室の医療術者に手当をしてもらっている時に、騎士団宿舎に緊急出動命令の放送が響き渡った。グリーン隊に所属するセテは放送を聞きつけると、あわてて救護室を飛び出し、急いで装備を調えて正門前に駆けだした。
 スナイプスの統括する騎士は、レッド、ブルー、イエロー、グリーン、ブラック、パープルの六つの中隊に分けられており、訓練生もそれぞれの隊に均等に配置されていた。このうち、セテはグリーン隊に、レトはブラック隊に、幼なじみのクルトとオラリーはレッド隊に所属している。当然、セテとクルト、オラリーは装備を調えて正門前に集合しなければならなかった。夜分遅くに緊急出動命令が下ったことで、訓練生たちは尋常ならぬ緊張感を味わっていた。
 戦闘用の胸当てとショルダーパッドで武装したスナイプスが、集合した中隊全員に響き渡る野太い声で事態を説明した。
「昨日集団自殺をはかった狂信的宗教集団と同じ系統と推測される集団が、レクストン郊外にあるウラジミル寺院に立てこもっているとの通報を受けた。それによると、二百人近い人々が一昨日あたりから続々と詰めかけ、それからずっと中で一睡もせずに祈りを捧げているとのことだ。集団自殺の危険性もある。その前に首謀者を逮捕し、やつらを解散させ、惨事を食い止めなければならない。これが寺院の見取り図だ。後ろのヤツ、見えるか」
 スナイプスは大きな見取り図を上に掲げさせた。剣の切っ先で地図を指し示しながら、
「レッド隊は裏口から回り込み、寺院中央にある広間の入り口までの通路を確保せよ。ハンコック、指揮は貴様がとれ。俺はレッド隊のしんがりを行く。グリーン隊は中央入り口左にある地下大聖堂への入り口から進入し、地図に従って広間入り口へ。指揮はバーコフ、貴様がとるんだ。そこでレッド隊と合流し、状況を見ながら広間を包囲せよ。その後は俺の指示に従え。分かったな!」
 レクストンはアジェンタス騎士団の本部のあるアジェンタス首都アジェンタシミルからわずか五キロも離れていないところに位置する。中隊はそれぞれ早駆馬に乗り込み、レクストン郊外ウラジミル寺院を目指した。
 寺院は薄暗い森に覆われた小高い丘に位置し、闇夜にうっすらと明かりがともっているのが見えた。一行は寺院へと続く坂道の手前で馬を下り、それぞれの指揮官の指示で徒歩で坂道を上った。その後、レッド隊は寺院裏手に回り、グリーン隊は左手の壁を乗り越え、地下大聖堂への入り口に慎重に歩を進めた。
 寺院の中からは護摩を焚くような異様な臭いと、死者の合唱のような薄気味悪い祈りの声が響いていた。内部は何千本ものろうそくに照らされているらしく、寺院内の像が、ときおり風に揺られる奇怪な影をはためかせていた。
 バーコフと呼ばれた指揮官を先頭に、セテたちは地下大聖堂に進入し、地図を頼りに地下から中央広間に通じる排水溝を逆行した。イカれた武装テロリスト集団と違って見張りがいないので楽だと先輩のひとりがこぼしたのを聞いて、セテは内心ホッとしていた。
 広間の入り口手前でレッド隊とグリーン隊は合流し、先頭の指揮官ふたりは扉の隙間から中を覗き込む。
「あいつら、完全にイカれてやがる!」
 ハンコックと呼ばれた指揮官が肩をすくめてそう言った。中では狂ったように身を揺すりながら、百人以上もの人間が大声で祈りを捧げていた。その祈りの言葉が理解できないところから、おおかた神聖語か、ロイギルの時代から受け継がれてきたイーシュ・ラミナの言語を口ずさんでいるのではと推測された。
 スナイプスは剣を抜き、全員がそれに習って静かに剣を引き抜いた。広間前方にはやはり教壇のようなものがあり、黒いローブをまとった人物が両手を広げているのが見えた。スナイプスは小声で「やったぜ」を意味する隠語をつぶやくと、広間の扉を押し開け、剣を掲げた。
「アジェンタス騎士団だ! 全員床に伏せろ!」
 突如祈りの声がやみ、うつろな二百もの瞳がこちらを向いた。生気のない、くすんだ目。全員が白いローブを着込み、ひさまづいていた。
「そのまま! 床に伏せるんだ! 下手なマネはするな!」
 壇上の黒いローブを着込んだ人物が、遠目にも分かるほど邪悪な笑みを浮かべていた。フードを目深にかぶって顔までは見えないが、顎のラインからそれが男であることが分かる。
「……来たな。虫けらどもが……!」
 黒いローブの男は腕を差し出すと、何かを小声でつぶやき、最後に救世主の紋章を空に指で描いた。すると、スナイプスに続いて広間に四散しようとしていた騎士たちの間から悲鳴があがった。
 見ると、彼らと騎士団との間に、この世のものとは思えない奇怪な姿をした生き物が立ちはだかっていた。頭はひとつだが、前と後ろの両方にどろどろに溶けた肉の塊のような醜悪な顔がついていた。腕はひょろ長く、ツメは鷲のそれよりもするどい。胴体から下には馬のような四本の足とひづめ。放つ悪臭は死臭とは比べものにならず、そしてその悪意に満ちたまがまがしい姿は、見る者の生気を吸い取るかのようだ。
「野郎! なめやがって!!」
 ひとりの騎士が化け物に斬りかかる。剣はたやすくかわされ、巨大な腕に騎士は捕らえられた。短い悲鳴が漏れたかと思うと、騎士の体は見る見るうちにしおれていき、骨と皮だけのミイラと化していた。
「暗黒の住人を召喚したのか!」
 スナイプスは騎士たちを散り散りにさせると、剣を構えて化け物の様子をうかがった。化け物は巨大な腕を振り回し、騎士たちを次々となぎ倒していく。
「ハンコック! 右手に回れ! バーコフ! 左だ!」
 スナイプスが指示をして、レッド隊とグリーン隊は化け物の左右に回り込んだ。再び、信者たちは奇怪な祈りを捧げ始めていた。
「化け物め! これでも食らえ!」
 スナイプスは太股に仕込んであった針剣を引き抜き、化け物の顔めがけて投げつけた。正面の顔に命中し、化け物は悲鳴を上げる。が、すぐに首がくるりと回転して後ろにあった顔が正面に回り、スナイプスを睨み付けた。化け物は右腕を振り上げるとスナイプスめがけて振り下ろしたが、間一髪スナイプスはそれをかわし、化け物の四本ある足の一本を斬りつけた。膝から下が吹き飛び、スナイプスは悪臭を放つ体液を頭から浴びる。化け物はバランスを崩して右に倒れかけた。
「ハンコック!」
 レッド隊指揮官はすかさず化け物の右腕を切り落とした。間髪入れずとどめを刺そうとするが、化け物は怒り狂い、左腕で指揮官を叩きのめした。ハンコック指揮官は広間の柱にたたきつけられ、意識を失った。
 怒り狂った化け物は叫び声を上げながらレッド隊に突進していく。騎士たちは左右に走り去ったが、そのどさくさでクルトは足をひねり、そのぽってりとした体は思い切り床に倒れ込んだ。
「クルト! 早くよけろ!!」
 セテは化け物の左側から叫んだが、化け物はクルトのすぐそばまで迫り、残った巨大な前足の蹄を掲げた。クルトは恐怖で足がすくみ、起きあがることもできない。鋼鉄のような黒い蹄が音を立ててクルトの頭上に迫っていた。
「クルト!!!」
 豆腐をたたきつけるような音だった。幼なじみの体は黒い蹄の下敷きとなり、赤い液体と内臓が無惨にもあたりに飛び散っていた。
 化け物はさも愉快だといわんばかりに耳までさけた醜い口を開き、グリーン隊の面々を睨み付けていた。その瞬間、セテは飛影を握り直し、叫び声を上げて化け物に突進していった。
「戻れトスキ!! 命令だ!!」
 スナイプスが叫ぶのも聞かずに、セテは飛影を下段に構え、正面から間合いに踏み込んだ。化け物の腕がセテの体をかすめたが、セテはそれを素早くかわし、剣を下からなぎ払う。関節から下を見事に切り落とされ、苦悶の叫び声とともに化け物の腕は空を舞った。
「死にやがれ!! クソ野郎!!」
 セテの飛影がひらめき、次の瞬間には化け物の体はまっぷたつに切り裂かれていた。化け物の体液を浴びたセテの後ろで、死骸は轟音とともに床に崩れ落ち、やがて霧のようにかき消えていった。後ろで騎士たちが歓声をあげるのを耳鳴りの中で聞きながら、セテは前方の壇上にいる黒いローブの男めがけて走った。
「トスキ! 戻れ!! 命令違反だぞ!!」
 スナイプスが後を追いかけて走ってくる。その様子を見ながら、壇上の男はにやりと笑い、再び腕を前に差し出した。見えない壁のような力がセテを正面から叩きつけ、セテは祈りを捧げる信者の上に倒れ込んだ。だが、それでも信者たちは一心不乱に祈りを捧げ、まわりで起きていることに何の関心を払おうともしない。
「……おもしろい。ずいぶん楽しませてもらったが、それもここまでだ」
 男は隙間だらけの歯を見せて笑った。
「この……腐れ外道が……!」
 セテは体を起こして剣を握り直す。さきほどの衝撃波で体の節々がきしむ。男はローブの中から短剣を取り出し、自分の頸動脈に押し当てた。
「よせ……!」
 セテは首を振る。男は顔を上げ、狂気の光が宿るうつろな眼孔でセテをひたと見つめた。セテは自分の心臓の音が高鳴るのを聞きながら、飛影をゆっくりと床に突き立て、片手を男に差し出す。動物をなだめるように。
「若いの。よく見ておくのだ。我々は死にゆくのではない。救世主の御許で永遠の魂と強大な呪力を手に入れるのだ」
「やめろ……剣を離せ……!」
「救世主よ! 我らに永遠の命を!!」
「よせ!! やめろぉーーーっ!!!」
 男が短剣を強く引くと、セテの視界は真っ赤に染まった。男の瞳は最後までまっすぐにセテを見つめ、そしてそのいまわの表情は、勝ち誇ったような不思議な微笑み。それを合図に、百人もの信者たちは持っていた短剣を首筋、あるいは胸元に突き立て、祈りの言葉とともに絶命していった。誰ひとりと躊躇することもなく。
 突然、壇上に描かれた救世主の紋章と魔法陣が輝きを放ち、まるで死者の魂を吸い取るかのように信者たちの体から白い煙のようなものを吸い上げていく。それは太い光の柱となり、広間全体を真昼のように照らした。やがて光が一本の糸のように収縮していくと、何事もなかったかのように再び薄暗い広間に静寂が訪れた。
 頸静脈から吹き出たどす黒い血を浴びて、セテは呆然と立ちつくしていた。荒い息を吐きながら、周りの惨状をただ見つめる。辺り一面の血、血、血。子どもを抱えた女性の姿が見え、その腕に抱かれた子どもも、無惨に喉を切り裂かれていた。壇上の男は、死してなおセテにうつろな瞳を向けている。まるで笑っているような表情をしたまま。
 後ろから駆けつけたスナイプスがセテの肩を揺すると、セテは統括隊長の腕に倒れ込み、そのまま意識を失った。






 真紅のビロードのカーテンがひかれた執務室で、ランプの炎が静かに揺れていた。ガラハド提督はお気に入りのコーヒーカップをソーサーに戻すと、険しい表情で報告書に目を通し、それからデスクの向こう側に立っているスナイプス統括隊長の顔を見つめた。
「スタンドプレーが過ぎたな」
 ガラハドは報告書を挟んだファイルを閉じ、腕を組んでイスに座り直した。
「トスキ訓練生が首謀者を挑発するようなマネをせず、話を引き延ばしていれば、少なくとも半数の人間を寺院の外に引きずり出すことができたはずだ。違うかね、スナイプス」
 スナイプスはガラハドの傍らのファイルに目を当てたまま、返事をしない。
「幼なじみの人間が死んだからといって逆上し、上官の指示も待たず、命令を無視して突進していく。危険きわまりない、向こう見ずな行動だ。実際の戦闘で後先考えずに敵につっこんでいくのが美徳だと誰が考えるかね?」
「遅かれ早かれ、トスキがいようといまいと、彼らは集団自殺を図ったでしょう。信者たちの生命の確保をなによりも優先するのを怠ったのは私の判断ミスです。しかし、報告書のとおり、首謀者は暗黒の住人を召喚し、おかげで二名が死亡、三人がケガを負い、うちひとりはあばらを折るほどの重傷。他の連中は」
 スナイプスは肩をすくめながら眉を上げると、
「つまり、ビビってた。私は前方を、バーコフ指揮官は左方を守っていましたが、とてもあの化け物をかわしながら信者たちを引きずり出すのは無理でした。トスキが突破口を開かなければ、我々は化け物とじゃれあいながら信者たちが自殺するのを見守っていなければならなかったでしょう。しかも、全滅して、私は今ここで閣下に報告することもできない」
 ガラハドはため息をつき、身を乗り出してスナイプスを見つめた。
「化け物を両断した腕は認める。君やバーコフ、ハンコックが足や腕を切り落とすのがやっとだったいうのだからな。だが、血の気が多すぎる。彼は使い物になるかね?」
「若者はいつでも」
 スナイプスは一呼吸おいて首を傾げて見せ、自分の頭を指さした。
「血の気が多くてイライラしているもんです。ホルモンのバランスが悪くて、女のこととか政治のこととか、ちょっとした刺激で興奮したり、いつも何かに怒っている。お忘れですか?」
 スナイプスの言葉にガラハドは笑いだし、コーヒーを一口すすった。
「そうだな。私もそうだった」
 それからガラハドはファイルを「処理済み」のラベルのついた棚に放り込むと、もう一口コーヒーをすする。
「この宗教集団について何か分かったことは」
 セテの件についてガラハドが不問に付す決断をしたのをスナイプスは内心ホッとしながら、持っていた別のファイルを広げ、ガラハドに差し出す。
「ここ半年くらいの間に急激に大きくなった狂信的な集団です。ハイリーチェスを中心に活動を行っており、教祖はアンドレイ・ポルナレフ。我々の目の前で首を掻き切った小汚い老人です。救世主の復活と奇跡を信じており、『神々の黄昏』思想にかぶれたサイコ野郎で、もうすぐ世界の終末が訪れると人々に説いて回っていたとか」
「『神々の黄昏』ね……。よくある手だ」
 ガラハドは鼻を鳴らした。
「『血の洗礼』と称して、しばしば生け贄を捧げてもいたようです」
「人間を……か?」
 スナイプスは頷き、先を続ける。
「偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》の血を飲めば、永遠の命が与えられるとも本気で信じていたようです。おかげで、最近捜索願が出ていた行方不明事件はほとんどが解決しました」
 ガラハドはファイルに混じっていた行方不明者のリストをちらりと見やると、その数の多さに顔をしかめた。
「魔法陣には古代の術法が仕込まれていました。人の魂を集めて凝縮する、イーシュ・ラミナの呪われた禁呪です」
「ネクロマンシーか。悪趣味な……。教祖は死んだと言ったな。では術法で吸い上げられた魂はどこへ集められたんだ」
「問題はそこです」
 スナイプスはファイルを閉じながら、持ってきたアジェンタス全域の地図を広げ、赤鉛筆でドゥセリー、レクストンに順番に印を付けた。
「この禁呪は救世主の紋章を媒介にして行われています。救世主の紋章はM字とV字を組み合わせたもので、専門家の話によればこの紋章のそれぞれの頂点を儀式の場に選んでいる可能性があると」
 ガラハドは小声で毒づき、地図を見つめる。
「ということは、少なくともあと六箇所で同じことが起きるというわけか」
「そして、紋章の中心点に力が凝縮される」
 ガラハドは地図を見つめ、その赤鉛筆の印の上に頭の中でいくつもの軌跡を思い浮かべた。この二箇所が紋章のどの頂点を通るにしても、この術法はアジェンタス全域をすべてカバーするほどの範囲で行われていることになる。
「広すぎる……! アジェンタスを大混乱に陥れるつもりか……!」
 ガラハドは舌打ちし、それからイスに深く座り直してスナイプスにするどい視線を投げかけた。邪悪に対するやり場のない怒りと憎しみの瞳だった。
「どこの誰だか知らんが、私の在任中にアジェンタスで勝手なマネはさせん!」






 救護室の白いカーテンで仕切られたベッドの傍らで、レトがセテを見守っていた。ちょうどセテの顔がよく見える位置にイスを持ってきて腰掛けているのだが、セテは頭から布団をかぶっていて顔を見せようともしない。
 レッド隊、グリーン隊が帰還した際、担架に横たわる血塗れのセテを見たときには、心臓が飛び出るくらいに驚いたが、自殺者の返り血を浴びたのと軽い打撲で意識を失っているだけだと聞いて、とりあえず一安心したのだった。
 レッド隊に所属しているオラリーから、クルトが化け物の蹄の犠牲になったことを聞かされた。レトは、取り乱して大人げなく泣きじゃくるオラリーを慰め、それからずっとセテの傍らに付き添っていた。気づけ薬を与えられて目を覚ましてから、セテは一言も口を利かない。時折、肩が震えているのを見ると、セテは声を殺して泣いているのかもしれないと思う。
 ふと、救護室の入り口にスナイプスが立っているのに気づいたレトは、即座にイスから立ち上がり、敬礼をする。スナイプスは指を口に当て、静かにというしぐさをしながらセテを見やる。レトはスナイプスに肩をすくめて見せ、意識は戻ったがと身振りで示した。スナイプスはため息をつくと、レトに席を外すよう顎で合図をした。レトはセテにちらりと目をやりながら、敬礼をして救護室を出た。
 セテはレトとは違う人間の気配を察知し、横目で様子をうかがった。スナイプスが立っているのを見たが、すぐに顔を逸らし、シーツで顔をごしごしとこすった。一瞬振り向いたまぶたが腫れぼったい。泣き腫らした様子だ。
「大の男がメソメソ泣くな」
 スナイプスはセテの背中に声をかけた。
「レッド隊のあの青年には気の毒なことをした。貴様の幼なじみだったと聞いた。心から冥福を祈る。だが、戦場ではよくあることだ。俺も部下を失うのはつらい」
 セテはシーツの中で頭を振り、
「……俺をクビにしないんですか」
 語尾が震えている。弱々しげな声に、スナイプスは身を乗り出して聞く努力をしなければならなかった。
「なんだって? もう一度言ってみろ」
「……俺をクビにしてください」
 セテは起きあがり、泣き腫らしたような目でスナイプスを睨み付けた。
「俺があいつを挑発するような行動をとらなければ、百人の人間全員が命を絶つことはしなかったかもしれない! 俺が挑発したからあの男が自殺して、それを見て信者たちが後追い自殺のようなマネを……。俺のせいで百人もの人間が死んだんです! すべて俺のせいだ!!」
 スナイプスは鼻で笑うような仕草をし、そして突然セテの胸ぐらをつかんで引き寄せた。
「笑わせるな! クソガキが!!」
 スナイプスは射るような視線でセテを見つめ、声を荒げた。
「『俺のせい』だと? 半人前の分際で何ほざいてやがる! じゃあ聞くが、貴様ひとりで百人全員を外に引きずっていくつもりだったのか! あの状況で俺たちが何もできなかったのに、貴様みたいな新入りひとりで何ができる!」
 それからスナイプスは手を離し、セテは救護用の寝間着の乱れを直しながらうつむいた。
「俺は貴様より遙かに貴重な経験をしてきている。実戦で人が死ぬのを何度も見てきた。それをいちいち自分のせいなんかにしてたら体がもたん。そんなんで剣士として使い物になるか! 狂信者の返り血を浴びてビビったか? ハン! 悪夢にうなされてチビったか?」
 セテはそっぽを向いたまま、シーツで顔を拭った。悔し涙があふれてきたからだろう。
「うぬぼれるのもいい加減にしろ。状況判断は俺がする。あの状況では遅かれ早かれ、やつらは自殺を図ったはずだ。自分のせいで人が死んだなんて思い上がりもいい加減にするんだな。あの化け物を倒さない限りは、俺たちは前に進むこともできずに全滅していた。貴様はその活路を開いただけだ。しかも、俺の命令を無視してな」
 スナイプスは腕を組み、涙目でそっぽを向いているセテを見下ろしていた。それからため息をつき、
「化け物を両断したのは見事な腕前だった。しかも、あの混乱の中で自分の行動結果を周りの状況に結びつけて考えられるんだからな。ふつうなら錯乱して狂戦士《ベルセルク》もいいところなんだが。それだけは貴様の手柄だ。覚えておけ。だが、上官の命令を無視し、指示も待たずに正面から突っ込むなんてのはバカのやることだ。化け物にカミカゼしたいなら話は別だけどな。もっと頭を使って考えろ。今後命令違反は厳罰処分だからよーく覚えておけ」
 スナイプスはそう言い残すと救護室を出ていった。去り際、思い出したようにセテを振り返って、
「この目で見てやっとデータを信頼する気になった。貴様のスピードと戦闘能力ははっきり言って周りのヤツとは比べものにならん。今日は勘弁してやるからまた明日から稽古をつけてやる」
 セテは驚いたような顔をしてスナイプスを見つめた。スナイプスはまたあのゆがんだ笑みを浮かべながら、
「それから、命令違反というのは一応建前だ。俺の給料もかかってくるんでな。最近命令だけを遂行して自分で考えることをやめる部下というのが多くて困る。俺は的確に状況を判断して、臨機応変に作戦に臨むことのできる剣士がほしい。貴様が脊髄でなく、もう少し脳味噌で物事を考えられるようになるといいんだがな」
 いつもの人を小馬鹿にしたような台詞。セテがカチンときたのもつかの間、スナイプスは救護室の廊下の前で待っていたレトに再び顎で中に入るように合図をし、
「たぶんしばらくは悪夢にうなされるだろうが、面倒見てやってくれよ。目の前で百人も死なれちゃ、相当夢見が悪いからな」
 そう言って、セテを親指で指し、のしのしと大股に廊下を歩き去っていった。
 レトはスナイプスの後ろ姿を見送りながら救護室に入り、セテの横に腰掛けた。セテはベッドから起きあがり、弱々しくレトに微笑んだ。レトはいつものすべてを察したような優しい顔でセテに微笑み、救護室をあとにした。
 セテは洗面所で顔を洗いながら、これからの自分の戦い方について真剣に考えようと思った。

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