第十七話:再会

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「これは今世紀最大の発見ですぞ、王よ」
 大僧正は白く輝く大広間を歩き回り、あげく息を弾ませながらロクラン王にそう言った。
 サーシェスとアスターシャが落ちたシェルターの地下に、偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》の残した遺産らしきものが発見されたことで、ロクラン王宮は大いに沸き立った。ロクランは中央諸世界連合に専門家の派遣を要請し、古代文明の権威が何人もロクランを訪れたのだった。
 当然のことながら、サーシェスとアスターシャは最初の発見者ということでこの場に呼ばれ、大僧正をはじめとする顧問会議の面々も、幻の遺産を前にすることとなった。
 アスターシャは、まだ肩から腕を吊しているサーシェスの側に付き添って、崩れた入り口を迂回し、シェルターの横から地下に入るため臨時に作られた地下道をゆっくり降りていった。先に入った顧問会議のメンバーや、中央諸世界連合からの専門家たちの驚く声が上まで筒抜けだ。ふたりは顔を見合わせて吹き出した。発見したものが重要な遺産であったことに、ふたりともたいへん誇らしく思っていた。
 ふたりが大広間に入ったときに遭遇した、巨大な馬に乗った黒い騎士の話を聞いていたので、先頭グループには強力な術者が付き添っていたが、どうやら「彼」は二度と現れないことに決めたようだった。遅れてふたりは広間に入り、研究者たちの間をすり抜けて興奮さめやらぬ大僧正とロクラン王のところに歩いていった。ここで大僧正が、さきほどの台詞を息を弾ませながら言ったのだった。
「アスターシャ、お前たちが見つけたものはたいへんなものだぞ。これは大僧正殿のおっしゃるとおり、本当に今世紀最大の発見だ」
 アンドレ・ルパート・ロクラン王は、娘とサーシェスの肩を交互に抱き、喜びに顔をほころばせていた。中央諸世界連合から派遣されてきた研究者たちがやってきて、アスターシャとサーシェスに自己紹介を済ませた後、ふたりが見たものについていろいろ尋ねてきた。サーシェスはまずここに侵入したときに機械の音が激しく高鳴り、それからまもなくして黒い甲冑をつけ、巨大な馬にまたがる騎士の化け物が現れたことを説明した。そして、稲妻で攻撃されたこと、防御術法だけでにらみ合いをしたあと、突然騎士が消えてしまったことを話した。その間、研究者たちは熱心にメモをとっていた。
「なぜその化け物は消えてしまったのだろう。何か心当たりは?」
 ひとりの研究者がサーシェスに尋ねた。心当たりと言われてもさっぱり思い当たるふしがないわけだから困る、とサーシェスは首を傾げて見せた。そこでアスターシャは突然思い出したように手をたたき、
「そうだ、あのときあいつなんか言っていたわよね。えーと……『すべては御心のままに』とかなんとか」
「ふむ……」
 横で聞いていた大僧正は白いひげをなでながら頷いた。
 その後、サーシェスとアスターシャは広間中央のステージに向かった研究者たちに手招きされた。壇上にあがった研究者たちは、魔法陣が幾層にも重ねて描かれていることに感嘆の声をあげていた。彼らによると、これは間違いなくイーシュ・ラミナが大昔に使っていた神聖語と魔法陣であるらしく、汎大陸戦争直後でもこういった「旧世界の魔法」が世界各地で見られたという。残念ながら、今ではほとんど解読不能で、操作できる者はいないという。
「間違いありませんね。これは『ゲート』の試作品です。試作段階で、ここから外へ出るためにしか使われていなかったようですが」
「『ゲート』ってなんなの?」
 アスターシャが尋ねた。
「イーシュ・ラミナの瞬間移動装置のことですよ。汎大陸戦争前には頻繁にあちこちに設置されていて、彼らはこれを通 って遙か遠くの地へ移動したわけです。試作品だったため、おそらくここではすぐ外に出るためのものとしてしか使われなかったのでしょう」
「遙か遠くって、もし試作品じゃなかったらとんでもないところに移動してたかもしれないってことよね」
 アスターシャがサーシェスに同意を求めると、サーシェスは、
「うーーん、でもなんとなく、これは外に出るためのものだってピンときたんだよなぁ。上に向かう矢印までご丁寧に記してあるし」
 サーシェスは青い宝石の中空に揺れる、不思議な光の矢印をつま先で指し示して首をひねった。大僧正が、はしたない、とサーシェスをたしなめた。
「まぁどっちにしろ、一生外に出られないよりは、遠くでも外の方がいいわ」
 アスターシャが顔をしかめながらそう言った。
「試作品といえども、これらの機械や書かれている言語が正しく理解できれば、我々にもこれを操作することは可能です。要はなんらかの方法でこことどこか別 の地を結んでやればいいだけのことです。ここまで完璧な形で残っているものはもうこの世界にはない。我々はたいへんな遺産を手に入れたわけですよ。ここがイーシュ・ラミナの研究室の一部であったことはほぼ間違いないでしょう」
 研究者のひとりが顔を輝かせて王にそう告げた。
「研究室ですって?」
 サーシェスがそう聞き返すと、大僧正がひげをなでながら口を開いた。
「イーシュ・ラミナがたいへん知能が高く、我々には理解できないさまざまな事象について研究を重ねていたのは周知のとおりじゃよ。彼らはよく、伝説上の魔物や怪物などに似せた『結界の守護者』と呼ばれる生き物を作り出して、自分たちの建造物や秘宝を守らせていたという。そなたたちが出くわしたのも、そうした『結界の守護者』のひとつじゃったのだろう」
「結界の守護者……ねぇ。悪趣味にもほどがあるわ。それに、私たちを殺そうとするなんて」
 サーシェスは折れた左腕を少し動かしてまわりに見せつけた。
「結界の守護者をおいてまで守ろうとしていたということは、それほど重要なものを研究していたということですよ。何を研究していたのかは皆目分かりませんがね」
 研究者は肩をすくめて見せた。
「そうじゃ、思い出したわい」
 大僧正は急にひげから手を離してそう言った。大僧正はサーシェスに向き直って、
「結界の守護者はイーシュ・ラミナの持つある種の波動に反応すると古い書物に記してあった。彼らはイーシュ・ラミナの言うことには絶対服従したそうじゃからの、『すべては御心のままに』というのは、彼らの『主人』に対する服従の言葉なのじゃよ」
 大僧正がそう言った。サーシェスは分かったような分からないような顔をして頷いてみせたが、隣にいたアスターシャがじれったそうな顔をしてサーシェスを見つめていた。彼女はサーシェスがまだぽかんとしたような顔をしているのを見て、
「ばかね、それがどんなすごいことか分からないの? イーシュ・ラミナの血は世代が進むごとに、つまり人間と混ざり合っていくごとに薄まっていったわけでしょ。感じ取れるほどの波動を持っているのは、中央で上位の職に就くような強力な術者たちなのよ。つまり、あなたはもしかしたらとんでもなく優秀な術者なのかもしれないってことよ! 分かった?」
 サーシェスは突然歓声を上げ、隣にいたアスターシャを驚かせた。自分が確実にイーシュ・ラミナの血を引いていることを、あの化け物に証明してもらうことになるなんて夢にも思わなかった。そんな優秀な術者だったら、訓練をしていくうちに昔とった杵柄みたいなものを思い出すかもしれない。そうすれば、水の巫女になるのも思ったより早くすみそうだ。
「喜ぶのはまだ早いぞ、サーシェス。絶対魔法防御程度の術法しかマスターできておらんのなら、まだまだ水の巫女にはほど遠いからの」
 大僧正は、手放しで喜ぶサーシェスに向かって意地悪な一言を投げつけた。小躍りせんばかりのサーシェスは突然現実に引き戻され、しょんぼりとしょげかえる。まったく、少しくらい夢を見るくらいいいじゃない、このなまぐさ坊主! とサーシェスは心の中で大僧正を呪った。大僧正はカラカラと笑いながら「精進することじゃ」とサーシェスの肩を軽きたたき、今度は研究者たちと壁に埋め込まれた箱のようなものを見に行ってしまった。
「ずいぶんしょげかえってるじゃない。まぁ大丈夫よ。そのうち本領発揮するようになるって」
 アスターシャはサーシェスを励ました。一週間くらい前までなら、この王女がこんな風に人を励ましているのを聞いたら、きっと王は卒倒したに違いない。
「……めげるわよ。だって事実だもの」
 サーシェスはうらめしげな表情でアスターシャを振り返った。ふたりの間には尊敬語も謙譲語も必要なくなっていた。アスターシャはサーシェスに、自分を「姫」ではなく、名前で呼ぶこと、そして同等の口をきくことを強く推奨していた。
「あらあら、いいじゃない、フライス様に手取り足取り教えてもらえば。いつもそうしてもらってるんでしょ?」
「もう、そんなんじゃないってば! ホントにフライスとはなんでもないったら」
 サーシェスは怒ったような顔をしてアスターシャを睨んだが、その顔が真っ赤なのは隠しようがない。あの軽いキス以来フライスは妙に優しくなったが、本当にあれ以上の進展はない。アスターシャは鼻を鳴らして腕を組むと、
「ふーん、じゃ、私もフライス様にいろいろ教えてもらおうかなー。カノジョ候補に立候補するけどいいわよね」
「どうぞご自由に。あ、でもフライスは筋金入りの女嫌いだから注意したほうがいいと思うけど?」
「そうみたいね。だからあなたにはふつうに接するんでしょうね」
 アスターシャとのこんな軽口の応酬は、今ではいつものことだった。サーシェスはため息をついて肩をすくめた。左腕を吊っているので、実際は右肩だけだったが。
 このかわいらしい姫がフライスを前から好きだったというのは、つい先日、本人の口から聞いたばかりだ。多少驚いたものの、この王女様が彼を好きなのは自由だし、驚くのもヘンだと妙に納得してしまった。むしろ素直に応援してやりたい。
 フライスは自分に従わせるでもないし、束縛したり溺愛するでもない。妹のような愛され方をしていることに気づいたのは、つい最近のこと。そして自分も、フライスに甘えたりとかそんなことをしようとは思わない。アスターシャならきっと素直に愛情を表現するに違いない。それに比べて自分はどうだろう。なんとなく彼女の方がフライスのような人間には似合っているような気がしてならない。

 そう、自分はきっとフライスの恋人でもなんでもない……。

「聞いてるの? サーシェス?」
 何か言っていたのを完全に無視してしまったのに腹を立て、アスターシャがサーシェスの脇腹をこづいた。
「あ、ゴメン、なんだっけ?」
「だからー!」
 アスターシャはめんどうくさそうに顔をしかめて見せた。
「あなたが最初に倒れていたのは守護神廟の祭壇の前だったわけでしょ。あそこには強力な禁呪が施されているのよ。それを上回るような精神力の持ち主でなければ入ることはできないの。やっぱりあなたってすごい術者だったのよ」
 そうだ。大僧正はなぜそのことに触れないのか。ロクランに来てしばらくしてから、守護神廟に禁呪がかけられていることを知った。だが、自分はその中に倒れていたのだ。何者も入ることのできない結界を張ったその中に、大やけどを負って。
 サーシェスは喧々囂々と議論をしている研究者たちを見つめながら、白い壁で覆われた広間をぐるりと見渡した。
 イーシュ・ラミナの研究室だったというこの部屋。なんのためにこんな地下にあるのか、なんの研究をしていたのか、それを知る者は今はひとりもいない。おそらく研究の途中で何らかの理由で閉鎖され、そのまま汎大陸戦争が勃発したために泥土に埋もれてしまったのだろう。
 愚かな人間の代わりに神々に遣わされ、神々の子どもたちとして伝承に名を残すイーシュ・ラミナ。神々が姿を隠した「神々の黄昏」のあとも、イーシュ・ラミナは人間と共存しながらすばらしい文明を築いてきた。それなのに、汎大陸戦争はそれを「ロイギル(失われた地)」にしてしまったのだ。
 伝承でしか知ることのできないイーシュ・ラミナ。彼らは本当はどんな種族だったのだろう。
 汎大陸戦争もイーシュ・ラミナも神々も、自分たちにとってはもはやおとぎ話のようなものだ。でも、本当は自分たちの知らないことが、知りたくても知ることのできないことがきっとたくさんあるに違いないとサーシェスは思った。






 セテは、サーシェスからの長い長い手紙を読み終わったあとも、照れくさそうな笑みを浮かべながら何度も何度も読み返していた。サーシェスの手紙にはいろいろなことが書いてあって、そのすべてが彼女自身の生き生きとした言葉で綴られていた。セテには彼女のそのときの様子が手に取るように分かるので、読むたびに思わず笑みがこぼれてしまう。
 それからセテは、今夜の警邏《けいら》のためにサーシェスからもらった救世主の護符を首からかけ、制服に袖を通した。そして愛刀・飛影《とびかげ》を剣帯に結びつけ、名残惜しそうに手紙を机の上に置いた。次の休みには、彼女に返事を出そうと思った。
 今夜はガラハド邸の警邏の当番だった。ガラハド邸はアジェンタス騎士団の官舎の中央に位置する。官舎の正門からは何者も許可無しに入ることはできないのだが、昼夜問わず騎士たちが歩哨にまわり、夜間は当番制でガラハド邸の正門前に警邏に立つことになっていた。セテはこの警邏が大嫌いであった。とにかく何もせずにじっと立っていることが苦痛のうえ、夏といえどもアジェンタスの夜は冷え込む。夜間警邏のためのマントが支給されてはいたものの、動きにくいためにセテはそれを羽織るのを快く思っていなかった。動き回ることなどほとんどないのだったが。
 アジェンタス連峰から吹き下ろしてくる冷たい風に身を震わせながら、セテはガラハド邸の正門の前に立った。アジェンタスのどこからでも、偉大な山々はよく見える。セテやレトたちがあの連山のひとつに登って生還してからも、いまだにあの山には誰も近寄ることはない。おそれというよりは、すでにあの山は人々の間で忘れ去られているようだった。それでもセテは、あの山での冒険をつい昨日のことのように思い起こすことができた。
 レオンハルトが作り出した結界の守護者ハルピュイアに遭遇したときは、本当にもうだめかもしれないと思ったが、それでも無鉄砲にもひとりで山の頂上まで行ったということを悪ガキ仲間に話すと、それは子どもたちの間で長く語り継がれる武勇伝となった。セテとしてはいい気分だった。そのときの仲間たちの自分を見る目つきは、まるで英雄を見るようなものだった。英雄か。セテはため息混じりに笑みを漏らした。
 セテは目を閉じ、アジェンタス連峰からの冷ややかな風が頬をなでるのを許した。聖騎士レオンハルトと救世主。もう十年も前のことだが、救世主はまだ死よりも深い眠りについているのだろうか。もしレオンハルトが生きていたら、いまでもあの浮遊大陸で救世主を見守り続けているのだろうか。そして、あの山には二度と登ることはなかったが、まだ浮遊大陸への門はそのままなのだろうか。
 そのときセテは、尋常ではない殺気に身をこわばらせて目を開けた。気配を殺していても、殺気のような負の感情は容易に感じ取ることができる。それが予期せぬ侵入者のものであることに気づくのに、時間はかからなかった。
 セテは飛影を静かに抜き、構えた。姿は見えないが、全身から殺気をみなぎらせた侵入者の匂いがする。
 それは突然の術法攻撃で始まった。稲妻がセテを直撃し、彼はしたたかに正門に体を打ちつけられた。続けて剣による攻撃。最初の術法の一撃がこちらの隙をつくものであることは明らかだった。
 セテはそれを頭上に構えた太刀で受け止めた。するどい金属音に火花が散り、すんでのところでセテは不利な体勢から起きあがった。だが腕がしびれ、全身から力が抜けていくような気がする。
 侵入者は黒装束に身を包み、意外に小柄で、その手にはゆるく沿った円月刀のような剣を握っていた。怪しい輝きを放つその黒い剣は、見る者の心をかき乱すようだ。
 セテは即座に左手で剣を握り直し、侵入者に斬りかかった。再び火花が散り、甲高い金属音が鳴り響く。だが、その剣に触れるたびに、セテは力が吸い取られるような感覚に陥った。間違いなく、侵入者の剣に接触するたびに、生気が吸い取られていくようだ。刃に触れた瞬間に一瞬だけ気が遠くなる。これ以上接触を繰り返せば、遅かれ早かれ、気を失って斬り殺されるはずだ。いったいあの剣はなんだ?
 いったん剣を引き、セテは頭を振る。剣を握る両腕がしびれたように動かない。すかさず侵入者は剣を横になぎ払った。黒い刃はセテの胸をかすり、制服が横一文字に引き裂かれた。傷もないのに、刃が接触したところから急激に力が失せていく。セテが膝をついたのを見ると黒い影はしめたといわんばかりに鼻を鳴らし、剣をまっすぐにセテの胸に突き立てた。セテは心臓の真上に鈍い衝撃が走ったのを感じ、目を見開いた。
 鈍い金属音がした。セテの心臓の真上には黒光りする刃が突き立てられていた。侵入者は勝ち誇ったような様子で、とどめの一撃によって青年があえぎ声を漏らすのを期待していたようだが、それはやがて驚愕に変わった。確かに心臓をつかれたはずの青年がこちらを睨み付けていたのだった。その刃の先が服の下数ミリで止まっていることに気づいたときには、セテが剣を真下からなぎ払っていた。
 飛影は侵入者の腕をかすり、あらわになった腕から血が滴った。侵入者はいったん身を引き、舌打ちをしながら傷を抑えた。セテは胸元に手を当て、救世主の護符の感触を確かめた。そして無言で救世主に感謝の祈りを捧げる。今夜これを首からかけていなければ、今頃は串刺しだったはずだ。
 侵入者は再び舌打ちをして剣をなぎ払った。セテがそれをかわした隙に黒い影はセテの頭上を飛び越え、正門の向こうに身を躍らせていた。正門の向こうに用があるとすればただひとつ、ガラハドの命だ。
「くそ! ガラハド提督を殺るつもりか!!」
 セテは侵入者の黒い影を追って邸内に走り込んだ。途中、何人かの騎士がやはりあの黒い剣で斬りつけられたらしく、血を流して倒れていた。ただの剣士じゃない。あの生気を吸い取るような邪悪な剣といい、アジェンタスの騎士をこれだけ無造作に斬りつけられる腕といい、相当の修羅場をくぐった暗殺のプロに違いない。
 暗殺者は階上に駆け上がり、ガラハドの寝室を目指していた。寝室は分厚い扉で閉ざされており、侵入者はゆっくりと扉に手をかけた。そのとたんに高周波の音波が発せられ、まるで磁場に囚われたかのように暗殺者はその場にうずくまり、動くことができなかった。
「ちっビームアンカー! 旧世界の魔法か!」
 頭の中をドリルでかき回されるような感覚。手足がしびれ、指一本動かすことも容易ではない。ロイギル(旧世界)の遺産を改良し、生活に取り入れているアジェンタスの科学力には恐れ入る。侵入者は歯を食いしばって扉の両側についている装置を睨み付けた。その見えない中心部一点に精神を集中する。するとビームアンカー発生装置がはじけ飛び、暗殺者は自由になった体を踊らせてその扉に飛び込んだ。だが、侵入者は愕然とする。そこにはターゲットのガラハド提督の姿はなかった。
 突然、侵入者は背中から斬りつけられ、うめき声を上げながら床に膝をついた。駆けつけたセテが、渾身の力を込めて剣を振るったのだった。ビームアンカーで足止めを食らっていたのがいい時間稼ぎになってしまったらしい。
 セテは侵入者の服をつかんで向き直らせ、その顔面に何発か拳をたたき込んだ。相手がぐったりとしたところで、セテはその黒装束の侵入者のマスクをはぎ取った。
 なんということか。セテはあえいだ。黒い装束に身を包み、自分や騎士たちを次々となぎ倒していった暗殺者の仮面の下にあったのは、まだ年端もいかない少女の顔。燃えるような髪と人を射るような茶色い瞳。忘れもしない、ロクランの広場で貧しい旅の楽師一団を助けた、あの勝ち気な赤毛の少女の顔があったのだ。
 セテは少女の胸ぐらをつかんでいた手を離し、放心したように彼女を見つめた。少女は斬られた背中を押さえながらセテを睨み付け、この青年が戦意を喪失したのを見届けると、再び自分の剣に手をかけた。しかし、顎の下についと押しつけられたガラハドの鋭い剣の切っ先によって、少女の動きは完全に封じられていた。
「何者だ」
 ガラハドはガウンを羽織っていかにも就寝前といったくつろいだ格好だったが、愛刀を片時も離さないというのは噂ばかりではないようだ。その声は威厳に満ちており、怒りもなにも感じさせないような無感情な響きがあった。セテは我に返って剣を構え直したが、提督の冷たい声に身が凍るような思いをした。
「私を殺しに来たのか。残念だが暗殺は失敗だったようだな」
 ガラハドは少女の首筋に剣の切っ先を当てたまま、駆けつけてきた騎士たちに顎で指図し、その少女を取り押さえさせた。少女は相変わらずガラハドに鋭い視線を投げかけていたが歯ぎしりひとつせず、観念したかのように騎士たちに取り押さえられるままだった。真一文字に受けた太刀傷は深かろうに、うめき声ひとつあげようともしない。
「誰に頼まれた? もっとも、こんなことを聞いても答えるはずはなかろうがな」
 提督は自嘲するように鼻を鳴らした。当然少女は何も答えなかった。
 セテは剣を鞘に収めると騎士に囲まれている少女に近づき、無言でその顔を見つめた。少女はセテの顔を見ると一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに何事もなかったかのように顔を逸らし、再びガラハドを睨み付けた。
「……知り合いか? トスキ」
 ガラハドはセテに尋ねた。その表情は驚くというよりはセテの反応を楽しみに待っているようでもあった。セテは無言で首を振り、少女の顔を見つめていた。
 なぜこの少女がアジェンタスにいるのか。なぜガラハドを暗殺しようとしたのか。セテの頭の中でさまざまな疑問が渦巻いていた。ふと、ロクランで彼女が残した意味深な笑みと言葉を思い出した。
「気にしないで。あたしの特技のひとつなの。生きていくためにはいろんな特技が必要でね」
 あのときは気にもならなかったが。彼女は暗殺を請け負って生計を立てる剣士に違いないとセテは確信した。しかもあの剣技からすれば、はるかに実績のあるプロクラスといっても過言ではない。
「……殺せ!」
 少女は絞り出すような声でそう言った。あの茶色い人を見下すようなきつい瞳がセテを睨み付けていた。
「囚われ人になって生き恥をさらすくらいなら、死んだ方がましだ! あたしを殺せ!」
 少女の顔は激しい口調にも関わらず、薄笑いを浮かべているようだった。ガラハドが大笑いをし、セテを見つめた。
「たいしたプロ意識だ。生まれながらの暗殺者といったところだな。死んでも口を割らないつもりだろう。義理堅いことだ」
 この少女が自分を覚えているのは確かだ。そして、彼女は「たいそうな正義感に燃える馬鹿な男」に人を殺せるわけがないとタカをくくっているに違いない。
 セテは軽くため息をつき、少女に向かって肩をすくめて見せた。
「あいにく俺は女子どもを斬る剣は持ち合わせていないんだ。それに女の子はもっとおしとやかにしなきゃな」
 そのおどけたような口振りに、少女は顔を真っ赤にして怒り、セテにつかみかかろうとした。だが、騎士何人かに押さえつけられ、それもままならない。
「ふざけるな! あたしをただの女扱いしやがって!! 殺してやる!」
 少女は声の限りにそう叫び続けた。セテは少女の様子に少しショックだったのか、再びため息をつき、それからガラハドの表情をうかがった。ガラハドは周りの騎士たちにあの冷徹な声で指図をした。
「その娘を牢へ。誰に依頼されたかあとでじっくり尋問しろ。自殺させるなよ」
 騎士たちは少女を引っ立てるようにして寝室を辞去した。その間、少女はありったけの声でセテを罵り、殺してやると叫び続けていた。
 少女の罵り声にだいぶまいったのか、深いため息をつきながら前髪をくしゃくしゃと掻き上げていたセテに、ガラハドは言った。
「あの娘は筋金入りのプロの暗殺者だ。暗殺に失敗したとなればいずれ依頼主に殺される。尋問しても自害するかもしれん。彼女の命を救ったつもりでいるならやめておけ。どちらにしろ、依頼主が分からないだけで執行猶予はあまりないぞ?」
「本当に女を斬ったことはないんですよ。こういうの、苦手なんです」
 セテの言葉にガラハドは苦笑した。だが、目はあまり笑っていない。
「あの暗殺者と知り合いだからか? お前にはいろいろ聞かなければいけないことがあるらしいな、トスキ」
 ガラハドの見透かしたような瞳と冷たい声で、体の芯まで冷え込むような気になりながら、セテは力無く首を振って答えた。
「知り合いというわけではありません。確かに一度だけ面識がありますが。ロクランの乱闘騒ぎでたまたま一緒に居合わせただけです」
 偶然なのか必然なのか、神々はこういう劇的な再会をさせて喜んでいるのだろうか。それ以上の関わりは本当にないものの、なんとなくセテは後ろめたいような気分になった。ガラハドは鼻を鳴らし、その件については不問に付したようだ。
「そうか。分かった。警邏(けいら)ご苦労だった。あとはスナイプスに任せるからお前は下がって休むがいい。念のため胸のかすり傷を治療してもらうのを忘れるなよ」
 セテは裂けた制服の胸元に手を当てた。剣の切っ先がかすったところが赤い筋になっていた。胸元の救世主の護符ペンダントに手をやると、それがまっぷたつに分かれているのに気づいた。身代わりになってくれたとすれば、護符として絶大な効力を発揮してくれたことになる。
「それから、『女性だから』といった古い考え方は直した方がいいかもしれんぞ。女性差別ともとられかねん。ラファエラが聞いたら頭から湯気を出して怒るだろうからな。私は基本的にそういった表現がフェミニズムの基本であるとして気に入っているのだが」
 ガラハド提督は珍しくいたずらっぽく笑ってそう言った。






 少女はアジェンタス騎士団領官舎の離れにある、一時的に囚人を監禁する牢に囚われることになった。何人かの騎士が見張りに立ち、彼女の牢の周りはものものしい雰囲気が漂っていた。
 少女は背中の傷を応急処置してもらって拘束服を着用させられていた。おとなしく独房に座り込んでいたが、セテがやってくるのを見ると顔を怒りで上気させ、鋭いまなざしで睨み付けていた。
「少し……話ができないかな」
 セテは少女に話しかけた。少女は怒りに燃える瞳でセテを睨み付けたまま答えない。
「君は……暗殺を請け負って生計を立てているのか?」
 セテは辛抱強く少女に話しかけた。
「だったらどうする」
 少女は苦々しい声でそう答えた。
「おしつけがましい正義感に燃えているお前たち騎士なんかにはどうでもいいことだろう? あたしを殺すこともできないへなちょこのくせに。それとも女には剣を握る資格がないとでも?」
 少女の言葉にセテは閉口する。自分が顔のことでバカにされるとキレるのと同じように、この少女は自分が女であることを認識させられる言葉が相当気に入らないようだ。
「あんた、汎大陸戦争前後に流行ったっていうサイボーグかなんかなわけ? 心臓に剣が刺さらないなんて化け物じゃないの?」
 いまいましげにそう言う少女に、セテは割れた救世主の護符を制服の中からとりだして見せた。見事にふたつに割れている。相当な衝撃だったはずだ。それを見た少女は、またいまいましそうに鼻を鳴らした。
「なぜあたしを殺さなかった。女だからとばかにしているのか」
「そうじゃない。さっきも言ったように女の子を斬るなんてのは俺の生き方に反する」
 セテがそう言うと少女はいきり立ち、拘束されている不自由な体で立ち上がろうとしたが、それがままならないので悪態をついた。
「あたしはプロの殺し屋として生きてきたんだ! あたしたちの世界は生きるか死ぬかしかない! それを、女だからなんていうバカな理由であたしに生き恥をさらさせるつもりか! 貴様には相手が女であることがそんなに重要なのか!」
 激しているとはいえ、ロクランであったときとはまるで印象が違う。お話にならないとはこのことだ。セテはため息をつき、これで話を打ち切って無言のまま牢をあとにした。
 セテと入れ替わりに、尋問を担当する騎士がやってきた。騎士は自白剤を携えていた。おそらくこれを飲まされればなんでもべらべらとしゃべってしまうに違いない。
 少女は牢の周りを密かに見回した。見張りは三人。全員が剣で武装している。だが、牢の四隅にはガラハドの寝室の扉に仕掛けてあったビームアンカーのようなものは見あたらない。なんと間の抜けた話だと思いながら少女はほくそ笑んだ。
 牢の鉄格子が開き、騎士が入ってきた。騎士は自白剤を注いだコップを持って、少女にこれを飲むように命令した。少女はうつむき、小刻みに震えている。騎士は少女が恐ろしさのあまり震えているのかと不憫に思ったが、それが笑っているのだと気づくのに数秒もかからなかった。騎士は怒り、彼女の髪をつかんで無理矢理上を向けさせた。だが、少女はかっと目を見開き、その騎士を睨み付けて言った。
「あのお人好しのトスキとかいう騎士に伝えな。あたしは絶対お前の侮辱を許さない。必ずお前に目にもの見せてくれるってな!」
 次の瞬間、牢は白く光ったかと思うと轟音とともに爆発した。見張りの騎士たちは全員爆発に巻き込まれ、命を落とすか重傷を負って倒れていた。
 崩れた壁を押しのけて少女は身を起こした。彼女はあの爆発の中でも無傷であった。眉を一瞬だけしかめると手足を拘束していた拘束服が音を立てて裂けた。自由になった手で、少女は牢の外に保管されていた黒い剣を奪い返し、そして音もなく姿を消した。まるで風がさらっていったかのように。






 すでに日が射し込もうとしている部屋にたどり着くと、セテは制服も脱がずにそのままベッドに倒れ込むようにして横になった。たくさんの資料や書籍が並ぶ本棚と机の上以外、あまり生活の匂いのしない真新しい部屋。実家の自分の部屋は昔からものが多く、収拾がつかないくらいにいろいろなものが散乱していた。いつも母親に「整理が悪い」と怒られていたのだから、この部屋がこんなに整然としているのは奇跡に近い。もっとも、寮の生活にはほとんど私物を持ち込めないのだから当然といえば当然だ。
 牢が爆発して囚人が逃げ出したことが報告された後、セテもほかの当番の騎士とともに周囲を探索して回ったが、結局彼女の姿は見つけることができなかった。術法を易々と操るのも、彼女の特技のひとつなのだろう。魔法剣士を敵に回すことがどれだけ脅威であるかを思い知らされた事件であった。
 それにしても、とセテはため息をつきながらひとりごちた。ロクランで見たときのあの少女は、確かに気が強くて人を見下したような感じではあったが、なんというかもう少し女らしい印象があったように感じたのに。あの攻撃的な性格の方が彼女の本性なのだろうか。もちろん、仕事で暗殺を請け負っているくらいだから、敵である自分たちには攻撃的にならざるを得ないわけだが。
 彼女が怒り狂って殺してやるとわめき続けたのは、セテにとっては相当なショックだった。人に恨まれるというのは気分の悪いものだな、とセテは思った。まぁ確かに、自分もこの間先輩の騎士にからかわれたときは「殺してやる」と怒りまくったわけだから人のことは言えないが、と心の中で付け加えた。
 仕事で人を殺すというのはどういう気分なんだろう。もちろん、自分もアジェンタス騎士団にいるわけだから、仕事で人を斬らなければいけないこともあるはずだ。ただ、それは「正義」の名の下に行われる行為だから、金のために暗殺を請け負ったりするのとはわけが違うが、それでも人を殺すことには変わりはない。
 サーシェスからもらった救世主の護符を首から取り出して、そのふたつに割れた断面をまじまじと見つめた。サーシェスがこれをくれたとき、彼女は自分には人を斬ってほしくないと言った。剣士になる人間に「人を斬るな」というのはどうしたものかと思ったが、彼女にしてみれば、正義の名の下に悪人を斬るのと、金をもらって人を暗殺するのは同じ「殺人」なのだ。ふつうはそうだ。
 次にあの少女に会うときも、彼女は金のために人を殺しているだろうか。もしまだアジェンタスにいたら、俺ともう一度剣を交えることもあるかもしれない。そのとき俺は、彼女を斬って捨てることができるだろうか。
 そんなことをつらつらと考えているうちに、セテは疲労に負けて深い眠りに落ちていた。

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