第二十話:焦燥

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 ガラハドは中央特務執行庁の紋章が入った書類に目を通していた。そしてその内容にため息をつく。あきれていたからではない。予想通りの内容がそこに書かれていたからだ。ふと顔をあげると、執務室の廊下ではなにやら言い争っているような声が聞こえてきた。
 突然執務室のドアが乱暴に開けられ、すさまじい形相のセテが入ってきた。その後ろから術医が駆け込んできて叫ぶ。
「提督、後にしていただけませんか!? 彼は肋骨を何本か折ってるんですよ!」
 セテはガラハドにひたと目を向けたまま、引き戻そうとする術医を振り払った。ガラハドは術医に席をはずすようしぐさで示し、術医はしかたなくドアを閉めて引き下がることにした。
 セテは全身血塗れのままだった。髪も服も雨でぐっしょり濡れ、顔に張りついた髪の一房からしずくがぽたぽたと垂れている。セテは無言でアジェンタス騎士団の紋章入りの腕章とバッジを引きちぎり、それをガラハドの机に差し出した。
「『血の復讐』を!」
 セテは感情のこもっていない、だが力強い声でそう言った。ガラハドはため息をつき、
「そうして剣を振るうただの殺人者になるつもりかね?」
「そんなんじゃない!」
 セテは怒りを抑えた声でそう叫んだ。
「俺の親友を殺したヤツに復讐するだけです! それにはアジェンタス騎士団や中央特務執行庁とのつながりを断つ必要がある! 俺を自由にしてください! 神々の名において『血の復讐』をここに誓う!」
 ガラハドは先ほど届いた中央特務執行庁からの書類を広げ、それをセテに放ってやった。セテは怪訝そうな顔をしてそれに目を通した。
「さきほど中央特務執行庁長官ラファエラ・フォリスター・イ・ワルトハイム将軍から届いた書類だ。本日をもって、お前を中央特務執行庁の特使に正式に任命するとのことだ。今回の件はすべてワルトハイム将軍に委任され、そしてラファエラはお前にこの任務を遂行してもらうことを望んでいる。今日からお前はアジェンタス騎士団の人間としてではなく、正式に中央特務執行庁の人間として行動することを要求されるのだ」
 セテはまだ不服そうな顔をしてガラハドを睨んでいる。
「分からんのか。特使には殺人許可証が与えられる。首謀者を煮るなり焼くなり、すべてお前の判断にゆだねられるということだ」
 セテは驚いて目を見張る。ガラハドはさらに付け加えた。
「今回の総指揮を執るのはラファエラ本人だ。すでにラファエラはアジェンタスに入り、作戦を実行している。追ってお前にはラファエラから指令が届くはずだから、そのときには何をおいても彼女の命令を優先しろ。いいな」






 金髪の青年が雨に打たれながら親友の体を抱きしめているのが、濁った水晶玉に映し出されていた。やがて映像が黒い闇の中に薄れていくと、突然、床に描かれた救世主の紋章が白い輝きを放った。紋章に幾筋もの光が吸い込まれていき、やがてそれは一本の糸となって収縮していった。再び救世主の紋章は沈黙し、あたりには暗闇が舞い戻ってきた。
「……悪趣味な……!」
 ピアージュは吐き出すようにそう言った。金髪の青年の親友だった男が自分の胸を刺して命を絶ったときには、さすがにピアージュも顔を伏せた。ピアージュの様子を見ていた水晶玉を持った老婆は、歯のない口を醜くゆがめて笑っていた。
「それで? この男が復讐しにやってくるから護衛してくれってわけ? 元アジェンタス騎士団長候補殿?」
 ピアージュはおどけたように肩をすくめてみせながら、老婆の隣に立つ男に尋ねた。
「口が減らないな、君は」
 元アジェンタス騎士団長候補、カート・コルネリオはいまいましげにそう言った。
「この男はセテ・トスキ。君はこの青年を知っているだろう。ガラハド暗殺に失敗したのも、この男のせいだった。違うかね。やつはやたらと腕がたつし、ガラハドのお気に入りでもある」
「ふん、確かにそうだよ。悔しいけどね。後にも先にも、あたしの剣をかわしたのはこいつくらいだ。確かに腕は立つけど、それほど脅威に感じるほどのものでもないと思うけど?」
「やつはただのアジェンタス騎士団員ではない。中央特務執行庁から特命を受けた特使だ」
 ピアージュは冷やかすように口笛を吹き、
「つまり、この男の後ろにワルトハイム将軍がいるってことね。ご愁傷様」
「おかげでずいぶんと仕事がやりにくくなってきた。だが、この男を始末するのは忍びない。我が元へ招き入れたいのだ」
 ピアージュはコルネリオの顔を睨み付けた。
「……そうして、あのかわいそうな青年みたいに狂戦士《ベルセルク》に仕立ててしまおうってわけね」
 コルネリオはピアージュの言葉を無視し、感情のこもっていない声で話を続けた。
「もし我々の元に引き入れることができなければ、そのときは斬って捨てるまでだ。君にはその仕事を請け負ってもらいたい。ついでにすでに現地入りしているラファエラ・フォリスター・イ・ワルトハイム将軍の首もだ。報酬は前金で百万、成功したあかつきにはもう二百万」
「合計三百万、確かに悪くない仕事だ。でもね」
 ピアージュは嫌悪もあらわにツバを吐き、
「あんたは気に入らないよ。過去の怨恨だかなんだかしらないけど、剣士を剣士とも思っていないあんたのその腐った脳味噌には反吐が出る! 悪いけどこの仕事は他の人間に請け負ってもらうんだね!」
 ピアージュが威勢のいい啖呵をきると、コルネリオは大声で笑い声をあげた。薄気味の悪い老婆も、歯茎を見せて声もたてずに笑っている。
「なにがおかしいんだい!」
「ピアージュ、君はあまり頭がよくないようだな」
 コルネリオはひとしきり笑った後も、おかしくてたまらないといったように体を引きつらせながらそう言った。
「ガラハド暗殺に失敗した君を再び私の元へ連れてきたのがどういうことか、君には分からないようだね」
 ピアージュは腰の剣に手をかけ、身構えた。
「君の持つ一撃必殺の暗殺剣『アサシン・ブレード』。どんな相手も一撃の下に必ずしとめるという幻の名刀。それゆえ君はどんな仕事でも必ず遂行し、傭兵組合の中でもトップの実力を誇る。私の目的は最初からそれを手に入れることだったのだ」
「あいにくだね。アサシン・ブレードはあたし以外の人間には触ることができない。あんたがこれに手を触れたとたん、手首がごろりと落ちるだろうよ」
 再びコルネリオは愉快そうに笑う。今度は少し控えめに。
「分からないかね。なにも剣そのものを奪う必要はない。君ごと手に入れられればそれでいい」
 ピアージュは剣を抜いた。冷たい鞘なりの音とともに現れる、黒光りするその剣。湾曲した刃に鈍い光が宿る。
「無駄な抵抗はやめたほうがいい。これを見たまえ」
 コルネリオが指を鳴らすと、部屋の奥から床がせり出し、そこには両手を縛られた少女がはかなげな様子で立っていた。赤い豊かな巻き毛。まぎれもない、あれはあたしの……!
「アルディス!」
 声の限りに彼女は自分の妹の名を呼んだ。ピアージュはアサシン・ブレードを鞘に収め、コルネリオを振り返った。コルネリオの勝ち誇ったような笑みがピアージュを見下ろしている。噛み締めた歯の間から、ピアージュは小さくうなり声をあげた。
「分かったかね。どのみち君は私の言うことに従うしかない」
 ピアージュはもう一度妹を振り返り、はかなげに泣くその顔を見つめた。少女は不自由な手を差し出した。
「姉さん……」
 鞘鳴りの音がした。ピアージュは剣を少女目がけて振り下ろす。短い悲鳴が漏れたかと思うと、少女の体は鮮血を吹き出すふたつの肉の塊となって床に倒れていた。
「狂ったか!」
 コルネリオは叫んだ。間髪入れずにピアージュはコルネリオに飛びかかり、その首筋にアサシン・ブレードの切っ先を当てた。
「こんな目くらましであたしの目をごまかせるとでも思ったのかい。ずいぶんあたしのことを研究していたようだね、クソ野郎。その腐った脳天にお望みのアサシン・ブレードを突き立ててやろうか?」
 コルネリオの隣にいた老婆が、ここではじめて身を起こし、白く濁った瞳でピアージュを見つめていた。ピアージュはその醜い姿に顔をしかめる。
「……お前さん、『土の一族』の出だね?」
 老婆は薄汚れた細い指をピアージュに突きつけ、そう言った。その一言にピアージュはぎょっとする。その声は彼女の予想に反して深く、そして威厳に満ちたものだった。
「イーシュ・ラミナは自分たちを守らせるためにさまざまな一族を生み出した。『土の一族』もイーシュ・ラミナに仕えた幻の一族の末裔。それならば分かるであろう。自分たちがどれほどひどい扱いを受けてきたか」
「黙れ、あんたいったい……!」
 ピアージュはコルネリオの首筋に切っ先を当てたまま後ずさりした。この老婆が恐ろしかった。
「イーシュ・ラミナが我々配下の者に与えた力がどれだけ我々を苦しめたか。そう、わしの死ねない体と枯れることのない力は、やがて狂気をもたらしたことさえ彼らは知らない」
 老婆が左手を差し出すと、ピアージュの体は宙を舞い、その後には床にたたきつけられていた。体が動かない。見えない力が彼女の四肢の自由を奪っていた。自由になったコルネリオは首に手を当て、刃の当たった箇所から流れる血を拭うと、
「いいことを教えてやろう。ピアージュ・ランカスター。ガラハド暗殺は必ず失敗することになっていた。あの日ガラハドは我々の手の者によって暗殺の警告を受けていたのだよ。本当なら捕まった君を我々が救い出して君に恩義を売るつもりだったのだが、君はまんまと自力で逃げ出した。してやられたよ」
「くそっ! はめやがったのか!」
「私はガラハドとアジェンタス騎士団が大嫌いでね。このアジェンタスを混乱に陥れるためならなんだってする。聖騎士団よりも、中央特務執行庁の騎士団よりも、もっと力のある戦士を作り出したい。それがたとえイーシュ・ラミナのようなベルセルクの集団であってもだ。彼らを使ってこのアジェンタスの大地が血で染まるのが見てみたいのだよ」
 コルネリオの声が笑い声とともに暗い部屋中にこだました。彼女は頭を巡らして自分の周りに描かれた魔法陣を見渡す。魔法陣の中央に描かれた救世主の紋章が、不気味に光り始めていた。自分を中心に術が発動していることを感じ取り、少女は激しく身をよじった。すでに老婆の恐ろしい声が古代の神聖語で呪文を紡ぎだしていた。ピアージュは口汚く彼らを罵り、暴れた。だが抵抗すればするほど、彼女の戒めはきつくなっていくようだった。
「そして今度は君というすばらしい剣士を手に入れた。躊躇も後悔もコンプレックスも持たない、君は完璧な剣士だよ。私は復讐を成就する。必ず!」
 黒く口を開けた深淵がピアージュを飲み込もうとしていた。今まで殺してきた人間たちの悲痛な叫び声が、恨み言や呪いの言葉となって彼女の心を包み込んでいた。

──殺せ! 目に映るすべてのものを殺し、破壊し尽くせ!

「うるさい! あたしは誰の指図も受けない! あっちへ行け!」

──殺せ。殺せ。お前の前に立ちはだかる人間すべてを。

「黙れ! うるさい、黙れ!!!」
 ピアージュは次第に遠くなっていく意識の中で、妹の名を呼ぶ。あの草原の中で優しく微笑んでいた少女が彼女を見つめていた。怒ったような、寂しそうな表情で。

 ああ、アルディス……。ごめん、あたし、あんたをもう探しに行けない……






 スナイプスは周りの人間に聞こえない程度に軽くため息をつきながら、無表情に作戦の概要に聞き入っている青年を見つめた。
 あの事件の後すぐに、肋骨にひびが入っているというのに、憤怒の形相でガラハド提督の部屋に駆け込んできて「血の復讐」を嘆願したというのだから、理性の歯止めがきかなくなってしまっているかと思ったが、意外なほど冷静に作戦に臨もうとしているので安心はした。だが……。作戦会議の直前に、数日前除隊になったオラリーが自殺したことを聞かされても、セテは顔色ひとつ変えなかった。ただ、燃えるような瞳が憎しみを奥深くたたえているようで、スナイプスはいいようのない不安を覚えた。
 十数年前、作戦で仲間が死んだときの自分を思い出す。自分も怒りを内にたたえ、あんなふうに奇妙に冷静さを装って友の弔い合戦に臨んだのではなかったか。そしてその後の結果といったら。
 本当なら絶対安静で完治を待たねばならないほどの重傷なのに、セテは術医をすごい剣幕で脅し、無理矢理術法で治療をさせた。完全ではないが、適度に動き回れるほどには回復してはいる。すぐに中央特務執行庁の特使の特別チームがアジェンタスを訪れ、作戦会議が開かれたため、スナイプスはセテに声をかけるひまがなかったことに内心舌打ちをした。
 復讐を望む剣士の行動は、狂気と紙一重。トスキはまだ若く、真剣で実際に人を斬ったことがない。戦いの際の高揚感を知ってはいても、人を斬るときの一種の快感のようなものを、彼は知らない。スナイプスはそんなことを考えながら、テーブルの対岸で地図を睨み付ける金髪の青年を見つめていた。
 セテはえんじ色のアジェンタス騎士団の制服を脱ぎ、黒い中央特使の戦闘服に身を包んでいた。まるでレトの喪に服しているようにも見える。怒りも憎しみもなにもない無表情な硬い表情で、セテはじっと作戦司令室の前方に掲げられたアジェンタスの地図を見つめていた。
 中央から派遣された特使に混じって、眼鏡をかけた小柄な青年が来ていた。彼はフィリップ・ハートマンといい、まだ若いがかなりのやり手であるということだった。セテはしかし、自分とたいして年も違わないその青年が気に入らなかった。
「アルダスを入れれば、救世主の紋章の三点が拠点にされたことになります。これであと五点はほぼ目星がつきました。問題は、彼の側にいる強力な術者の目くらましによって、彼の気配が巧妙に我々の目から隠されていることです」
 ハートマンがそう言ったので、スナイプスは舌打ちし、セテの顔を見つめた。結局それでは何も分かっていないのと同じことじゃないか。セテもスナイプスと同様に、うんざりしたような顔をしてみせた。それから、
「巧妙に隠されているということは、アジェンタス中しらみつぶしにヤツを探していくしかないんだろ。つまりそれは俺たちを駆けずり回させて、アジェンタスの戦力を分散させてやろうというヤツの魂胆にまんまとはまったってことじゃないのか?」セテは怒ったような顔をしてそう言った。
「ヤツは派手なパフォーマンスで俺たちを小馬鹿にしているんだぜ? 騎士たちの目の前で集団自殺させたり、騎士団の人間を狂わせたり。そんな挑発に乗るなんてばかげている。俺がヤツだったら、そんなふうに駆けずり回るのを見て、愉快さのあまり笑い転げるぜ。挑発に乗ってあたふたしているうちに、首都アジェンタシミルもろとも、アジェンタス騎士団総督府はなくなってるはずだ」
 ガラハドは満足したように頷いたが、ほかの特使たちは新入りの生意気な態度に憤慨したような顔をした。ハートマンはセテの言いぐさにも動じることなく、話を続ける。
「カート・コルネリオの狙いはただひとつ。アジェンタスへの復讐です。彼は人々の魂を集めて何かしらの呪いを準備しています。しかし、ドゥセリー、レクストンのときのようにもう表だって人々を幻惑し、集団自殺させるようなマネはする必要がありません。彼らは古代の禁呪を使って、イーシュ・ラミナのような力を持った狂戦士《ベルセルク》を作り出すことができるのですから。レト・ソレンセンがアルダスで暴れ回ったように、血に飢えたオオカミを羊の群に放ってやればいい。彼はアルダスだけで三十人もの人間を惨殺することができた」
 小柄な青年がちらりとセテを見つめたので、セテは忌々しげに鼻を鳴らした。
「ガラハド提督、確かアジェンタスでは同じような事件が十七年前に起きていましたね?」
 ハートマンががさも提督の落ち度であるかのように得意げに言ったので、スナイプスはあえいだ。その事件に関して、今この場で言及することもなかろうにと思いながら。
「確かその際、ひとりの聖騎士が戦死している。それとまったく同じ状況が十七年後の今日、アジェンタスで起こっているというのは騎士団の手落ちではありませんか?」
 ガラハドはため息をつき、
「そのとおりだ。あの禁呪が復活することなど考えられなかったことだが、それが我々の落ち度であることは認めよう」
 と珍しく過ちを肯定したのに、セテは驚いて提督を見つめた。つまり今回がはじめてのケースではないということか。確かに騎士団の落ち度ではあるが、それをこんなふうに我々の面前で言及するなんて、辱めもいいところだ。
 セテの気持ちが通じたのか、提督はセテを気遣うように見、それから地図に視線を戻した。ハートマンの態度に腹が立ったのでセテは彼を睨み付けてやったが、青年は得意げな表情でセテの視線をやりすごし、
「昔のことをとやかく言ってもはじまりませんから、全力で最悪の事態を避ける努力をしましょう。ああ、トスキさん、あなたも十七年前の事件について、一応当時の報告書に目をとおしておいたほうがいい。ワルトハイム将軍からの指令は追って通達します」
 スナイプスは身を固くした。このクソガキはいったいどこまで知っているのかと、心の中で悪態をつきながら。
 セテは忌々しげな一瞥をハートマンにくれ、それから資料室へ向かうために足早に作戦司令室を出た。その背中を見送りながら、スナイプスは再び小さくため息をついた。
 ふと、中央諸世界連合から派遣されてきた小柄な青年と目が合い、スナイプスはその得意げな表情に顔をしかめてみせた。青年はそれを鼻で笑うようにかわし、
「彼は本当に何も知らされていないんですね。それに直情型というか血の気が多いというか。誰かの二の舞にならなければいいですが」
 スナイプスはおもしろがるようにそう言うハートマンを睨み付け、
「誰か……だと? それはソレンセンのことを言っているのか、それとも……」
「さぁ?」と、とぼけたような口調でハートマンは肩をすくめた。
「彼のデータは拝見しましたよ。将軍がご執心になる理由は理解できました。ただ、我々が彼のような人材をほしがるのと同じように、敵も彼をほしがるのは当然です。アジェンタス騎士団の人間がいとも簡単に踊らされたわけですからね。内側から総崩れになるような事態だけは避けなければならない。少なくとも彼をひとりで行動させるようなマネだけはしないよう、用心することです」
 スナイプスはそれを聞くのが早いか、ハートマンに向かってツバを吐き、どかどかと足を踏みならして作戦司令室を出ていった。






 セテは悪態をつきながら資料室の目録をあさり、やっとのことで探し当てた目当てのファイルを棚から引きずり出した。
 六年前ガラハド提督と騎士団長の座を争ったといわれるカート・コルネリオ。彼は優れた騎士であり、ガラハドとも同期であったと聞く。それがどういうわけかしらないが、今アジェンタスを危機に陥れようとしている。親友を操って立ち回りをさせながら愉快そうにほくそ笑んでいたそいつを叩き斬ってやりたいというのに、なぜ今こんなところで待機をしなければならないのか、セテは歯がゆいどころかはらわたが煮えくり返るような憤りを抑えるのが精一杯だった。
 十七年前のファイルを開き、形ばかりにそれを流し読みしてから、セテはそれを床に叩きつけてイスを蹴り上げた。だが、脇腹が痛んだので悪態もそこまで。ため息をついて諦めたようにファイルを拾い上げると、おとなしくイスに座り、性根を据えてファイルを読むことに専念することに決めた。
 十七年前、神世代一八四年三月。ちょうど自分が5歳の誕生日を迎えたときだと思いながら、手元の資料に目を走らせる。古代の術法による騎士の錯乱。四人の騎士がこの術法にかけられ、超人並の能力を発揮して、セテの生まれ故郷ヴァランタインの街を蹂躙したという。そんなたいそうな事件があったなんて、もちろんセテは覚えていない。その際の死傷者の数は、一般人だけでなく、アジェンタス騎士団の騎士も含めて三百人。この事件のために、聖騎士団からレオンハルトとレイザークが派遣されたことが報告書に記述されていた。
 レオンハルトがヴァランタインへ。もしかしたらうんと子どもの自分が街でレオンハルトを見かけたことがあったのかもしれないと思うと、うれしいやら悔しいやら複雑な心境だ。それにしても、あの熊のような聖騎士がレオンハルトと一緒に仕事をしたことがあるなんて信じられない。
 だが待てよ? 聖騎士? なぜアジェンタスでの事件に聖騎士が関わったのだろうかと、首をひねりながら先を読み進めていくと、この事件でひとりの聖騎士が戦死していることが記されていた。さっきあのクソ生意気なハートマンが言っていたことと一致する。名前はパラディン・ダノル。彼の死でこの事件は一応の収束を迎えた。だが、術法の首謀者は誰なのか、はたして捕らえることができたのかは書かれていなかった。
「これだけ……?」
 セテはほかのページをめくったりファイルを逆さに振ったりしてこの報告書の続きを探したが、この事件に関しては本当にこれだけのファイルしか見あたらなかった。他の事件に関する資料が十ページ近くにもわたるのに対して、これはあまりにも少なすぎる。ふと何か引っかかるものを感じて、セテは最新版の聖騎士名簿を探し出し、ダノルという名の聖騎士を探してみることにした。
 聖騎士は通常、「パラディン」の称号を与えられてからは苗字で呼ばれることはない。レオンハルトやレイザークも、単に「パラディン・レオンハルト」とか「パラディン・レイザーク」と呼ばれるのが常だ。このダノルという聖騎士もしかり。
 だが、この名簿には「ダノル」という名前は見あたらなかった。実に奇妙な話だ。「パラディン」の称号を返上して退役した者は退役名簿に加えられるが、そこにすら、かの聖騎士の名前は見あたらなかった。
 なにか不祥事を起こして名簿から削除されたのだろうか。それなら、レオンハルトの名前だって(もし本当にアートハルク帝国の事件に関与していたのなら)削除されているはずだ。それともあの報告書が間違っているのだろうか。それでは聖騎士団からレオンハルトとレイザークが派遣されたこと自体が納得いかない。
 腑に落ちないままファイルを棚にしまっていると、資料室の入り口にスナイプスが立っているのが目に入った。スナイプスはセテの手にしているファイルに目を留めると一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに気を取り直したように近づいてきた。セテは軽く会釈をして、硬い表情のままファイルを片づけ、スナイプスの横をすり抜けようと足を早めた。
「ケガの具合はどうだ」
 スナイプスが引き留めるようにセテの背中に声をかけてきた。セテは面倒くさそうに振り返り、大柄な統括隊長の顔を睨むように見つめた。
「……おかげさまで」
 セテはつぶやくようにそう言い、そそくさと資料室を出ていこうとする。
「俺たちが役立たずなのに腹をたてているんだろうな」
 スナイプスの気弱な発言に内心驚きながらも、セテは硬い表情を崩さずにまっすぐにスナイプスを見つめ返した。
「……そんなんじゃありません。俺は自分に腹をたてているだけです」セテはそう言って前髪を乱暴に掻き上げた。
「レトのおかげで、今回の事件の首謀者が判明したし、やつが何を考えているのかもわかった。そいつを早くぶった斬ってやりたいのに……こんなところでウダウダしていなきゃいけない自分が腹立たしいだけですよ」
「今回は古代の術法が相手だ。我々はイーシュ・ラミナの禁呪に対抗する術を持たない。慎重に首謀者を追いつめて確実に捕らえなければならない。アジェンタスの命運がかかっているんだ」
 セテはスナイプスの言葉に鼻を鳴らし、皮肉な笑みを浮かべた。
「話を聞け!」スナイプスはセテの腕をつかんで自分に向き直らせた。
「いいか、トスキ。貴様はまだほとんど実戦経験がない。これまでは化け物を両断すればいいだけの話だったが、今回の任務は違う。この間も言ったように、生身の人間を相手にする任務だ。人を斬るってのがどんなものか、まだ貴様はわかっちゃいない!」
 セテは顔をしかめて、乱暴にスナイプスの腕を振り払った。
「俺はレトをあんなふうにしたやつに復讐したいだけだ! あんたのお説教はもうたくさんだよ! あんたがいつも言ってたように、俺は『肉屋の仕事』を首尾よくやればいいだけだろ!?」
「ふざけるな!!」
 スナイプスはセテの胸ぐらを掴んで引き寄せた。セテが脇腹を押さえてうめいたので、スナイプスは仕方なく手を離した。セテは自嘲するように笑い、それから燃えたぎるような怒りに染まった青いその瞳をひたとスナイプスに向けて言った。
「実務経験のないケツの青いクソガキに、生身の人間が斬れるわけがない。隊長の言いたいことはわかってますよ。ご心配なく。俺はその時が来たら、躊躇なくそいつをぶった斬る覚悟はできてる」
 セテは大袈裟にスナイプスを避けるような態度で身を翻し、資料室を出ていこうとする。トスキをひとりにしてはいけない。スナイプスはその背に向かって心の中で叫んだ。貴様の憎しみが、きっと己を破滅させるに違いないと。
「待て! どこへ行く!」
 セテは再び硬い表情のまま振り向いた。友人たちに囲まれて楽しく談笑していたときのような柔らかい表情はどこにもなく、ただ冷たい憎しみだけを内に秘め、気力だけで行動しているような張りつめたその顔。
「アルダス」
 セテは一言そう言った。
「なに?」
「アルダスに何かあるはずです。もう一度あの街に行く」
「だが……あのあと騎士団がさんざんあの街を調べて回ったが、何も証拠になるようなものは残されていなかったんだぞ」
「それでも何もしないよりはいい!」セテは声を荒げた。
「あの街に入ったときからずっと嫌な気分だった。それはレトのことを知らせる虫の知らせってやつだと思ってたけど……」
 ふとセテは右手のひらの銀色の傷跡を見、そして言葉をつぐんだ。この傷跡が今でもずっとうずいている。
「……直感ってやつか……」
 スナイプスがバカにした口調で言ったように聞こえたのでセテは彼を睨み付けたが、意外にも統括隊長は真顔だった。
「直感ってのは非常に大切な要素だ。その直感が戦闘で生死を分かつこともあるしな」
 スナイプスはセテの肩を押しながら言った。
「俺も連れて行け。貴様の邪魔はせんが、口だけは出させてもらおう」






 「離せよ! バカヤロウ! あたしを誰だとお思いだい!?」
 かつぎこまれてくるなり、女はものすごい剣幕で怒鳴り散らしていた。
「あたしはね、こう見えてもロクラン王宮付きの剣士なんだ! 王だってあたしにゃ頭があがらないんだよ。それをなんだい! こんな小汚いところに連れてきやがって!」
 呂律の回らない舌と攻撃的な口調。あきらかに重度のアルコール中毒患者だった。短く刈りあげた白髪は嘔吐物などの汚物まみれで、顔は何日も風呂に入っていないために黒ずんでいる。おそらく年もまだ五十にさしかかっていないだろうに、アルコール依存症のためにずっと老け込んで見える。
 女は車椅子に乗せられて病室へ運ばれていく最中だったが、担当の看護人に口汚い言葉を浴びせ、罵倒し続けていた。慣れたもので、ここの人間はそんな罵詈雑言にはびくともしないらしい。
 西日の当たる粗末な部屋にたどり着くと、看護人はふたりがかりで女を肩に担ぎ、放り込むようにして部屋に女を押し込めた。ガチャリと乾いた音がして鉄格子が締まり、ご丁寧にその外側からも鉄格子のはまった窓のついた頑丈な扉が閉じられた。女は内側から狂ったように叫んだが、看護人たちは意に介した様子もなく、そのまま車椅子を持って長い廊下を去っていった。
 首都アジェンタシミルのはずれにある慈善病院。老若男女問わず、身よりのないものや浮浪者など、ほかの病院ではほとんど相手にされないようないわば「人間の屑」が、この病院にかつぎ込まれていくのだった。
 女はひとしきり叫んだ後、廊下に誰もいないのを気配で感じ取ると、おとなしくベッドに腰掛けた。アル中で身よりのない大洞吹きの女なら、たぶんこんなふうに振る舞っただろうと自分の演技力を褒めそやしながら。
「さてと。予定よりずいぶん早かったけれど。どんな秘密が隠されているのかしらねぇ」
 女は粗末で薄っぺらなベッドのマットの下に手を入れ、その奥底に隠されているものの手応えを確かめた。

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