第二十五話:悪夢ふたたび

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「セテ! セテ! 起きろよ!」
 肩を揺さぶられてセテは目を覚ました。執拗に肩を揺さぶり続けるその手をうるさそうにはねのけ、セテはその声の主をにらみ返した。
「大丈夫か。だいぶうなされていたみたいだけど」
 セテは声の主を認めると、驚愕に目を見開く。茶色い巻き毛とそばかすがトレードマークの、親友レト・ソレンセンが心配そうに彼の顔を覗き込んでいた。
 そんなはずはない。レトは死んだんだ。自らの心臓を剣で貫いて。即座にセテは跳ね起きたが、その瞬間に左肩に激痛を感じて顔を歪ませる。
「動くな。傷口が開くぞ」
 レトは静かに、だが厳しい口調でそう言い、起きあがろうとしたセテを押し戻す。いぶかしげに自分の顔を見つめる親友に、レトは困ったような顔をして苦笑した。
「なんだよ。俺、なんか悪いことしたか?」
 セテは自分の左肩に巻かれた包帯に目をやり、それから自分がアジェンタス騎士団のえんじ色の戦闘服を身につけているのを確認する。
「ここはどこだ? 俺はいったい?」
 親友の寝ぼけたような台詞にレトは肩をすくめて見せ、
「何言ってるんだよ。昨日から俺たちは『鬼の河原』までモンスター退治の遠征に出てただろ。頭でも打ったのか?」
 遠征? そういえば、中クラスくらいの術法と武器を使いこなすモンスターを掃討する任務でやってきたんだっけ。セテはまだ納得のいかない顔をしてレトを見つめる。
「昨日の襲撃で手こずって、お前は不覚にも利き腕の肩をやられたんだよ。まったく、お前ともあろう男があんなモンスターにやられるなんてな。ま、油断してたのはお前だけじゃないけどな」
 レトはそう言ってショルダーパッドとプロテクターをはずす。それから詰め襟のホックをはずしてくつろいだ。周囲は岩だらけの荒れた大地で、人の血を吸ったようないやな色の大きな月が顔を出していた。岩場のかげには仲間たちのいくつものテントが見え隠れしている。
「ごめん……余計な心配かけちまったな……」
 セテは痛む左肩を動かさないように、岩場にしつらえた簡易ベッドに座り直す。レト、お前はいつも俺の側にいてくれるんだな。お前だけは失いたくない。これからもずっと、俺を支えていてほしい。セテはそう思いながら深くため息をついた。
「のどが乾いたろ、水飲んでもう少し眠れよ。それとも俺が口移しで飲ませてやろーか?」
「バカ言ってんじゃねーよ!」
 おどけながら水袋を差し出す友人に、セテは足で蹴るマネをしてみせた。ああ、よかった。レトは死んじゃいない。これが現実なんだ。レトとふたり、またやり直せるかも知れない。やり直す? 何を? 俺の生き方を? なんのために?
「なに考えてるんだよ、セテ」
 レトがセテを真顔で見つめ、また顔色をうかがうように覗き込んできた。すぐ近くにレトの顔があって、セテは少し照れくさそうに笑った。ふと、詰め襟のホックをはずしたところから、レトの胸元が見えた。刀傷とそこから吹き出た血糊で真っ赤に染まっているのを見つけ、セテは息を飲んだ。
「レト……その傷……!」
「あ? ああ、これ?」レトはいま気がついたかのように自分の胸元を指さす。「ちょっとドジってな。たいしたことない」
 レトはまたおどけてみせる。
「違う……それは……お前が自分で……」
 セテはレトの胸元の傷を見ながらうわごとのようにそう言った。心臓が高鳴るのに反して血の気が引いていき、めまいがする。あのときの悪夢のようなシーンがフラッシュバックする。狂戦士と化したレトと俺は確かに剣を交え、そしてレトは。
「そうだ……お前はレトじゃない……! だってレトは俺の目の前で……!」
 突然、レトの手がセテの首筋に押しつけられた。セテは背後の岩場に押さえつけられ、自分の首に食い込むレトの指をひきはがそうと小さく抵抗を試みた。レトの顔が凶悪に歪み、満足そうに瞳が細められる。
「ああ、そうだよ、セテ。俺は死んだ。お前のせいで、な」
 やめろ。聞きたくない。それ以上言わないでくれ。
「おきれいで自信たっぷりのセテ・トスキ。オラリーや俺がどんな思いでお前を見ていたかも知らないくせに」
 場面はいきなりあのときのあの場所に戻っていた。セテの首をつかんで剣を振り上げる、エメラルドグリーンの瞳をした狂戦士のレトが目の前にいた。
「お前は強すぎる。そしてお前は弱すぎる。その強さと弱さが、俺をどれくらい苦しめたかお前は気づいているのか」
 やめてくれ。頼む。レトの口から、もうそんな言葉を聞くのはいやなんだ。
「何も知らないくせに。いつも面倒をかけるお前の尻拭いはもう飽き飽きだよ。いっそのことお前なんか死んでしまえばいいと思ったことだってある。ひとりでなんでもできると思いこんで、俺に頼ってばかりで、お前は俺のために何かしてくれたことがあったか? いや、ない。ないんだよ、セテ。お前はいつでも俺に甘えてばかりで、俺がいればなんとかしてくれるとしか思ってなかったんだろ」
「違う……違うんだ、レト……!」
 レトの指にさらに力が込められ、セテは顔を歪ませた。絶望したセテの瞳には後悔の涙があふれてくる。
「お前をめちゃめちゃに壊してやれればどんなに楽だったか。俺がお前を愛していたなんて本気にしていたのか? 違うね。俺はいつだってお前を自分のものにしたくてうずうずしていた。だからお前のそばにいたんだ」
 いやだ。それ以上言わないでくれ。お前の口から、そんな台詞を聞きたかったわけじゃない。
「それを、バカみたいに友情と信じてなついてさ。本当にお前はばかだよ。所詮、俺がいなければお前は何もできやしないんだよ」
「黙れ……! それ以上……!」
 セテは無意識に腰の飛影《とびかげ》に手をかけ、そしてゆっくりと刀身を抜く。聞きたくない。もうあんな思いをするのは二度とごめんだ。
「スナイプスの味はどうだった? そうやって上司をたらし込んできたんだろ? おきれいなトスキ君」
「黙れ!!」
 何かがはじけた。悲しみと憎しみと怒りが抑えつけられないほどに膨れ上がったとき、セテは飛影をまっすぐに突き出していた。鈍い音とともに、愛刀の切っ先は親友の胸に深々と突き刺さった。レトはそれを「信じられない」と言いたげな様子で見つめ、そしてセテの顔を見返した。その瞳の色がエメラルドグリーンから茶色に変わる。セテは即座に剣を引き抜き、親友の身体を支えた。
「レト!」
 レトは弱々しく手を差しのべ、涙に濡れたセテの頬をさすった。その手から急激に体温が失われていくのが感じられ、セテは手にした飛影を投げ捨てる。
「セテ……俺の永遠の友……お前を本当に愛していた……心から……」
「ウソだ! 俺……! レト!!」
 セテは叫び、親友をかき抱く。すでに冷たくなったレトの身体は、暗闇の中にゆっくりと溶けていき、そしてセテはひとりになった。
 そのまま暗闇にうずくまり、両腕を身体に回して自分を抱きしめるように震える身体を押さえつけ、セテは声を上げて泣きだした。暗闇が怖かった。そして自分の中の激情がコントロールできないことが恐ろしかった。
「……優しい少年だな、君は」
 低く落ち着いた、歌うような優しい声がして、うずくまって泣くセテの肩に誰かの手がおかれた。
「そしてとても勇敢だ」
 セテは声の主を前髪の間から盗み見、その存在に大きく目を見開いた。まさかそんなはずはない!
 見事な黄金の巻き毛を腰まで伸ばした、美しい伝説の聖騎士。セテが幼いころからあこがれ、敬愛してきた最強のパラディン、レオンハルトの姿がそこにあった。暗闇の中にたたずむその勇姿は、まさに光り輝いて見えた。
「レオン……ハルト……!」
 セテはレオンハルトにすがるように抱きつく。レオンハルトの大きな手が、セテの頭を優しくなでた。
「セテというのはね、古い言棄で『勇気』を表わすんだよ」
 ああ、あのときと同じだ。アジェンタス山の頂上にある偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》のゲート《門》から飛ばされた幻の空中楼閣・浮遊大陸。そこで初めて名前を尋ねられたときと同じ、優しい声で彼は言ったのだ。どれほどレオンハルトにあこがれたか言葉では言い尽くせない。
「レオンハルト! 俺、どんなにあなたに会いたかったか! どんなにあなたにあこがれたか!」
 年甲斐もなく泣きじゃくり、セテはレオンハルトの黒い甲冑に身を預けた。それはとても冷たい感触だったが、セテは誰かにすがりつきたかった。
「私にあこがれて……?」
 ふと、頭をなでていたレオンハルトの手がとまる。セテは顔を上げ、自分を見下ろすほど背の高い聖騎士の顔を見つめ返した。かの伝説の騎士は、十年前に会ったときと少しも変わらず、美しく、気高かった。
「そうだよ。俺、あなたみたいな聖騎士になりたくて……いつかあなたの横で戦えることを夢見て」
「私にあこがれて……だと?」
 突然、レオンハルトの手がセテの首にかかり、セテは息を飲む。即座にセテは背後の何かに押しつけられ、動きを封じられる。周囲を見渡すと、そこは浮遊大陸の瓦礫の山だった。いまふたりは、セテの記憶の中そのままの浮遊大陸のただなかにいた。
「私にあこがれて聖騎士を目指すだと? 笑わせるな」
 レオンハルトはあの美しい顔に凶悪な笑みを浮かべてセテを見下ろす。ものすごい力で首を押さえつけられ、セテは息もできない。背中の瓦礫の山に身体が徐々にめり込んでいくほどのすさまじい圧力がかかる。
「術法も使えない半人前のくせに、私ほどの剣士が勤まると思っているのか」
 セテは目を見開いてその言葉を懸命に理解しようと試みる。ウソだ。レオンハルトがこんなことを言うわけがない。あなたの口から、そんな台詞は聞きたくない! 自然とセテの目に再び涙があふれる。
「あいにくだな。私が聖人君子だとでも思っているのか」
 レオンハルトはセテの首から手を離すと、即座に高速呪文を詠唱する。次の瞬間には、彼の得意とする雷撃の術法が発動し、セテは無数の雷に貫かれた。骨までしみる雷撃を味わい、セテは瓦礫の山に突っ込んだ。レオンハルトはそんなセテを見下ろしながら、これでも手加減したつもりだと言わんばかりに再び呪文の詠唱に入る。
「どうした。反撃してみろ。悔しかったらな」
 再び雷撃が襲いかかる。白く輝く雷の柱に攻撃され、セテはまた派手に瓦礫の山に倒れ込んだ。
 ウソだ。ウソだ。レオンハルトがこんなことをするはずがない。彼は平和を愛し、名誉のうちに死んだのに! 死んだ……? そうだ、レオンハルトは死んだはずだ。では目の前にいるこの男は?
「私は聖騎士レオンハルト。お前が恋いこがれてきた最強のパラディンだ」
「ウソだ!!」
 セテは腰の飛影を引き抜き、レオンハルトに斬りかかる。レオンハルトは余裕の構えでそれを見届けると、見せつけるかのようにゆっくりとマントを払い、腰の鞘に手をかけた。伝説の聖剣と謳われるエクスカリバーの美しい刀身が姿を現した。レオンハルトはセテを上回る素早さで飛影をはじき飛ばし、そしてセテの利き腕である左肩めがけて獲物を振り下ろした。
 セテの悲鳴が長く尾を引く。そしてなにかがごとりと落ちるいやな音。エクスカリバーの閃きは、セテの左腕を肩からすっぱりと切り落としていた。






 しばらく激しく抵抗していたセテの身体が動かなくなったのを見届けたコルネリオは、その瞳から涙が落ちているのを見て満足そうに口の端をゆがめた。
「そろそろだな……」
 誰に言うともなく、コルネリオはそうつぶやいた。
「……人間の心とは、かくも弱いもの」
 痛む右肩を押さえながら、コルネリオは最後のはなむけといわんばかりにセテの頬の涙を拭ってやる。それから壇上の老婆に目で合図をすると、老婆は再び長い呪文を詠唱しはじめた。






「どうだ? 苦しいか、セテ」
 血糊を振り払い、エクスカリバーを鞘に収めながらレオンハルトがそう言った。鮮血の吹き出る肩を押さえながら、セテはうずくまり、声にならない叫び声を上げる。殺される! セテは迫り来るレオンハルトの黒い甲冑を見ながらそう思った。
 レオンハルトはセテの髪を掴んで立ち上がらせると再び瓦礫の山に抑えつけ、満足そうにエメラルドグリーンの瞳を細めながら、苦悶に歪むセテの顔を堪能する。
「このまま殺してやってもいいんだが……な」
 レオンハルトは意味ありげにそう言いながら、セテの顔色をうかがう。イヤだ、死にたくない、生きて再びあなたの横に並んで戦いたい!
「……いや……だ……死にたく……ない……」
 セテは襲いくる激しい痛みにあえぎながらつぶやいた。本心だった。どんなになっても生きたかった。それを聞きとめたレオンハルトは再び満足そうに微笑むと、
「……では私を受け入れろ。私を拒絶するな」金色の聖騎士は痛みと戦いながらうつむくセテの顎を掴み、自分に向き直らせた。
「お前の中の恐怖が、私をそう見せているだけだ。怖がることはない。少し力を抜いて、すべてのしがらみを捨てるのだ」
 セテはゆっくりと目を閉じた。レオンハルトの優しく落ち着いた声が、催眠術のように眠りを誘う。
 ああ、そうだ。この人はこんなに優しく笑うんだった。どうして今まで気がつかなかったんだろう。この人がこんなに近くにいたことに。
「力を抜け。そして私の言うことに従うのだ」
 レオンハルト。どれほどあなたに恋いこがれてきたか、あなたは知っているのか? あなたが卑怯者、聖騎士の面汚しとまで言われても、俺はずっとあなたを信じてきた。もしあなたが生きていたら、次に会ったとき俺になんて声をかけてくれるかなんてバカなことも考えたりした。
「お前は私のために人の世の悪夢となるのだ。そして」
 俺はあなたのためならなんだってする。例え人を殺せと言われたって、きっと俺はそれに従うに違いないんだ。だって俺はもう、ひとりなんだから。
 セテの身体から不意に力が抜ける。自分の意志も、過去のすべてをも捨てる決意をして。
──いけない! セテ!──
 突然の声に、セテは目を覚ました。幻聴かと思った。しかし、レオンハルトの背後に銀色に揺らめく影が見え隠れしているのが見えた。
──闇に飲まれてしまってはだめ! 思い出して! あなたはひとりじゃない!──
「失せろ!」
 レオンハルトがその銀色の影に向かってエクスカリバーをなぎ払う。しかし、その影は消えるどころかますます濃くなっていき、やがて人の姿を形作っていく。
──思い出して! あなたはひとりじゃない! あなたが必要とするときは、必ずあなたを守ると私は誓ったのよ!──
 セテは大きく目を見開いた。切り落とされた左腕が、何事もなかったかのように肩に着いているのに気付き、そしてすぐに右の手のひらの銀色の傷跡が激しく痛みを発する。忘れるわけなどあるものか。守護神廟の前で銀色の女神に誓ったあの言葉を。
 セテは目の前のレオンハルト目がけて飛影を振り下ろす。即座にレオンハルトの姿はかき消え、そして代わりに、銀色に輝く長い髪を揺らしてたたずむサーシェスの姿が現れた。彼女はセテに白い手を差しのべ、静かに微笑んだ。
──ここから出るのよ。セテ、自分がいまどこにいるかを思い出して──






「サーシェス!!」
 コルネリオはその声に驚いて振り返る。すでに術中に落ち、抵抗する気力さえなかったはずの青年が、確かにそう叫んだのを聞いた。驚いて駆け寄ると、鎖で戒められた青年が再び激しく身をよじりはじめたのだ。
「まさか……!」
 術法使いの老婆も驚いて呪文の詠唱を中断する。それからすぐ老婆は攻撃術法の呪文を詠唱しはじめた。
 突然壇上の壁が爆発し、コルネリオと老婆ははじき飛ばされた。もうもうと上げる煙の中から、人影がゆらりと身を起こしたのが見えた。コルネリオは目を見張る。砂煙の向こうで、赤い巻き毛が揺れ動いていた。
「ピアージュか! まさか、休眠装置に閉じこめておいたはず……!」
 老婆は中断した呪文を即座に攻撃用の高速呪文に切り替え、赤毛の少女に向けて発動する。少女は黒光りする抜き身の剣をかざしてそれをはじき返し、短く刈りあげた赤い巻き毛を揺らしながら、魔法陣の描かれた床に横たわるセテのもとへ躍り出た。
 少女はかけ声とともに剣を振り下ろし、セテの両手を戒めている鎖を断ち切ると、意識を失ったままのセテを抱え上げた。爆発した壁からは配下の術者が何人も飛び出してきて、すぐさま魔法陣の中のふたりめがけて術法を発動する。すさまじい雷撃がセテと少女に浴びせられたが、すでにふたりの姿はそこにはなかった。
 術者のひとりがコルネリオに駆け寄り、彼が瓦礫の中から立ち上がるのを手助けする。老婆も自ら張った物理障壁のなかで身を起こすところだった。術法によって破壊された魔法陣から、きな臭い煙が立ち上っていた。ガラハドは取り逃がしたふたりの剣士の行方を思いめぐらせながら、思い出したように不敵な笑みを浮かべた。
「まあよい。ピアージュ、うまく私から逃げおおせたと思ったら大間違いだ。所詮お前は私なしでは生きてはいけぬ」
 その顔はまさに、悪魔そのものであった。
「……さきほど報告が入りました。ガラハドが再び霊子力装置の発動許可を下したと」
 術者の報告にコルネリオは舌打ちする。
「またアレを使うつもりか! ガラハドめ!こちらの霊子力炉の充填度はどうなっている」
「現在八十パーセントほどです。三時間ほどお待ちいただければすぐにでも」
「よし。もう待つ必要はない。三時間後にはガラハドの最後の切り札もろとも、総督府を灰にしてやろうぞ」
 不敵に笑うコルネリオを、老婆は黙って見つめていた。すでに盲いて久しい白く濁った瞳には、どこか悲しげな光がたたえられていた。

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