第二十一話:甦る黙示録 前編

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 青白く光を放つ〈スクリーン〉を背に立つサーシェスの顔は、セテからは逆光で見えなかったが、覚悟を決めた力強さと同時に悲しみにも似た感情が、手のひらの銀色の傷跡を伝って流れてくる。淡い光に照らされ、彼女の身体の輪郭が銀色に輝いて見える。肩につくかつかないかほどの銀髪と、少女に満たない幼い身体の線が薄明かりの部屋の中でくっきりと浮かび上がっていた。
「セテ、パラディン・レイザーク、こちらへ」
 サーシェスがふたりに手を差し出し、近寄るように仕草で示したので、セテはおそるおそるサーシェスに近づいた。レイザークも憮然とした様子ではあるが、のしのしと二、三歩前に出てセテに並ぶ。サーシェスが先ほどの金属板のようなものに指を走らせると、わずかに金属を指ではじいたような音がして金属板の両脇から浅いトレイ状のものが飛び出した。そこに載っている小さなコイン状の物体をふたりに手渡し、
「これを耳に」
 そうサーシェスは自分の耳の穴を指さして言った。なるほど確かに人の耳の穴にちょうどいいくらいの大きさではあるが、セテは困惑しながらそれを受け取り、おずおずと自分の耳にはめる。
 途端に、セテは小さくうめき声をあげた。レイザークも同様であった。耳にそれをはめた瞬間、頭の中に何かが侵入してくるような、ちょうど液体を耳に注がれたような不安感と不快感が襲う。
「うわっ、なんだ……これ……っ」
 セテは顔をしかめながら誰に言うとなく悪態をつく。
「〈メタトロン〉との生体同期《シンクロ》によるものだ。最初はあまり気持ちのいいものではないだろうが、じきに慣れる」
 サーシェスがそう言ったが、セテは耳の中に水が入ったときのように首を横にして耳の辺りを手でたたいたり、首を激しく左右に振ったりしている。
 そうこうしているうちに、部屋の真下からカリカリとなにかをひっかくような小気味の良い音と、牛のうなり声にも似た低いうねり音が高まってきた。そして、ほどなくして目の前の〈スクリーン〉がさらに明るくなり、翼を持った人物のモチーフを円で囲んだ紋章が浮かび上がる。
『Welcome to Apocalypse Operation System』
 突然、耳の中に女性の声が鳴り響いたので、セテとレイザークは飛び上がらんばかりに驚いた。
『Please select your language』
 聞いたことのない言葉で、姿の見えない女性が語りかける。聞いたことがないというのは正確ではなく、一部だけはなんとなく聞き取れるようだった。
「な、なんて言ってんの? この……人?」
 セテの間の抜けた質問にサーシェスは小さく微笑むと、〈スクリーン〉に向かい、
「ネオ・アース中央標準語」
 そう言うと、床下のうねり音が少し高まった。
『Neo Earth Central Language Libraries have not been updated for many centuries. Please talk to me with any short words to update the libraries』
 サーシェスは小さく肩をすくめ、
「言語が古すぎて認識できないそうだから、何か話せと言ってる。セテ、適当に何かしゃべってみて」
「えっ!? 俺!?」
 セテは頓狂な声をあげた。
「えと、えーと……。名前はセテ・トスキ、二十二歳、男。血液型はB型。好きな食べ物は……うーん……おいしくて栄養のあるもんなら何でも好きかな。ああ、あと酒! 酒だ酒! が好きです。以上」
 したり顔で話すセテの横では、レイザークが額に手を当てて渋い顔をしており、そしてサーシェスとテオドラキスはくすくすと忍び笑いを隠せない様子だ。
『ありがとうございます。言語ライブラリのアップデートが完了し、正しく認識できるようになりました』
 無機質な女性の声が告げたので、セテは殊勝にも自分の格好悪さを恥じて顔を赤くする。
『AOS、〈アポカリプス・オペレーション・システム〉へようこそ。〈黙示録〉ライブラリをすぐご利用になりますか?』
「黙示録……?」
 セテとレイザークは顔を見合わせ、険しい表情でサーシェスを見やる。
「どういうことなんだ? 黙示録って……『神の黙示録』のことか……?」
 セテはサーシェスに尋ねた。サーシェスは何も言わずにスクリーンを見つめている。
『神の黙示録は、第一章、第二章、第三章ともにデータが欠落しており、現在はインデックスおよびサマリーのみご利用いただけます』
「では、ヘルプを」
 サーシェスがそう言うと、床下のうねりがかすかに高まる。
『ヘルプサービスを起動します』
 そこでサーシェスがセテを振り返る。
「黙示録ライブラリとは、この機械の操作制御の仕組みであるアポカリプス・オペレーション・システムが保有する、いわば蔵書のようなもの。『黙示録』という言葉には『神の啓示』や『隠された真実を解き明かす』という意味が含まれている。さまざまな情報を預言書になぞらえた、悪趣味で質の悪い言葉遊びだ。誰がそんな名前をつけたかは定かではないがな」
「神の……啓示……」
「そう。そして神の黙示録そのものはもともとはこの黙示録ライブラリのほんの一部でしかなかったが、時を経てそれは要となる膨大な情報群となった。しかし知ってのとおり、『神の黙示録』は三つに分断され、世界各地に散らばって行方不明のまま。このメタトロンは、失われた記憶の残滓のようなものといえる。それでもその残滓から世界の輪郭くらいは知ることができる。聞きたいことがあったら聞いてみるといい」
「え……っと……」
 セテは頭をかきながら思いを巡らせる。何を聞けばいいのか、何から聞けばいいのか混乱状態である。
「それじゃあ……〈神の黙示録〉ってなんなんだ?」
『〈神の黙示録〉は、地球からネオ・アースへの植民計画が記されたアーキテクチャーのコードネームです。西暦二五三一年にコードネーム〈暗闇の雲〉を回避するために企画・運用され現在に至りますが、その詳細については、二百年前に消去されたために公開することができません』
「暗闇の雲だって!?」
 この世界に住む者ならば知らないはずのない単語であった。大陸史で必ず習う散文のひとつ、『神の黙示録』の序文とされているあの一文である。

 天統べる数多の神、人を嘆き、その御姿を御隠せり
 人、英知の光失い、時代《とき》、漆黒の夜に包まれり
 人の子ら、暗闇の雲、翼広げるを知らむ
 恐怖と絶望の復活
 されど、何憶もの光を超へ、眼れる救世主、再び目覚めん
 やがて、大いなる知恵と力を持ちて、暗闇の雲、追い払うべし──

 戦乱の世の比喩的なものと考えられ、そのように教えられてきた「暗闇の雲」、それが実際に存在する事象であったとは。
『コードネーム〈暗闇の雲〉は、銀河系規模で発生し、現在もなお当惑星系に進行している大災害の波を指します。その詳細については、二百年前に消去されたために公開することができません』
「これも消去か……くそ……」
 セテは小声で悪態をついた。
「さっき、西暦……とか言ってたけど、それは? 年号?」
『はい、地球の宗教観に基づいて発展したもっとも安定した年号のひとつで、記録されている限りでは汎大陸戦争勃発当時まで使われています』
「へえ……宗教ねぇ……不思議な年号もあったもんだ。まぁそれ言ったら神世代ってのもおかしな年号かもしれないけど。その、大災害を避けるための植民計画設計書が〈神の黙示録〉だって言ってたな。計画運用のためのそれを、なぜ中央やアートハルクが欲しがるんだ? 〈神の黙示録〉は失われた古代文明や神々の叡知や禁呪が宿っているとかなんとか言われてたけど、違うのか?」
『〈神の黙示録〉の詳細は消去されており』
「いや、分かったから」
『全容を公開することはできませんが、〈暗闇の雲〉を回避するだけでなく、自在に制御できるアプリケーションプログラムそのものであると記録に残されています』
「自在に制御……? アプリケーション? って、どうせこれについても聞いたところで『消去されていて公開できません』なんだろな」
『そのとおりです』
 セテは大きなため息をついて前髪をくしゃくしゃとかきあげた。
「じゃあ、その大災害とかいう〈暗闇の雲〉はどうして起きたんだ。そもそもどんな災害なんだ?」
『〈暗闇の雲〉に関するデータは消去されており、現在公開できません』
 にべもないメタトロンの電子音声に、セテは盛大なため息をついてサーシェスを振り返った。
「この〈メタトロン〉っての、全然役に立たないみたいだけど」
 泣きごとを言うセテに、サーシェスは少しだけ微笑むと、
「すまない、別にからかうつもりだったわけじゃない。どれだけの範囲の情報が、〈神の黙示録〉が失われたことによって絞られてしまっているのかを知ってもらおうと思ったまで。ご覧のとおり重要な情報はすべて消去されてしまっているために、表層の部分しか知ることができない。だから神々の叡知だの古代の禁呪だのの尾ひれがついて大きくなる。そして、それを欲して我がものにしようと躍起になる。あれは人の手に渡ってはいけないもの。この世にあることで戦乱を巻き起こす。分断されてなくなってしまったほうがいい」
 サーシェスは厳しい表情でスクリーンを見上げ、そう言った。
「だが〈神の黙示録〉の内容は完全に失われたわけではない」
 そこでサーシェスはセテに向き直った。
「偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》が術法の分野において超人的な力を発揮していたことは周知の事実だが、もうひとつ、我々の能力で特筆すべき点がある。それは、数値を読み解き自在に操れるというもの。古代、人間がコンピューターに複雑な計算を任せ、そのCPUが瞬時に高度な演算処理を行ってきたのを遙かにしのぐ能力が、我々にはある」
 サーシェスは右手をメタトロンのキーボードの横にかざした。何もない空間に、ちょうど手を載せられるほどのトレイが白い光を放ちながら現れたので、サーシェスは迷わずそれに手を載せる。
「そしてその能力ゆえにガートルードが私を欲している理由。彼女が欲しがっているのが、私の中にある〈神の黙示録〉のアクセスキーとコピーデータだ」
 セテとレイザークは目を見開き、サーシェスを食い入るように見つめた。
「私を手に入れることで黙示録の解析は瞬時に終わる。これまで何人もの人間が、私の中の〈神の黙示録〉を手に入れようとしてきたが、私はそれをことごとく拒否してきた。そしていま、セテ、世界で初めて黙示録の核心に触れる人間があなたよ」
 サーシェスは小声でなにごとかを詠唱した。神聖語ではない、歌うような不思議な音階のついた言葉だった。手を載せた光るトレイがいっそう輝きを放つ。
『プロテクト解除キーを受け付けました。インストールを行います。モードを選択してください』
 メタトロンの機械的な女声が歌う。
「スタンドアローンモードへ。セフィラおよびセフィロトとの接続をカットして再起動。起動後のプロテクト解除は第七層まで手動で実行。データのインストールはハードディスクを使わず、メモリーの可処分領域を確保して仮想ディスクにて実行」
 サーシェスがきびきびとした声でメタトロンに命じる。地下のうねりが一瞬高まったあとに停止し、再度うねりが戻ってきた。
 スクリーンに先ほどと同じく天使を模した紋章が表示されたあと、今度は魔法陣が手前から奥に向かって七つ、立体的に浮かび上がってくる。
『再起動完了。これよりスタンドアローンモードで実行します。プロテクト解除キーを電送願います』
 サーシェスは再び歌うような音階の言葉を発した。サーシェスの身体の回りに、緑色の光を放つ複雑な呪文が渦を巻いている。よく見れば、数学の数式にも似た文字の羅列である。数式は弧を描きながらサーシェスの手を伝い、彼女の手が載せられたトレイに吸い込まれていく。その瞬間、セテとレイザークは耳の中に大量の水が入ってきたような感覚に襲われ、顔をしかめた。
 やがてひとつ、ふたつと次々に魔法陣が消えていき、最後の七番目の魔法陣が消えると、古い大聖堂などの壁画によく見られるような宗教的な絵画が──モノクロの線画であったが──表示された。画面中央には、「Apocalypse of The Gods ver.1.0」と、セテたちにはあまりなじみのない言語がくっきりと表示されていた。
『〈神の黙示録〉の起動準備が整いました。圧縮ライブラリを高速展開します』
 メタトロンが歌うような音階で案内をする。セテとレイザークは口をあんぐりと開けることしかできないようだった。
「私の中にあるコピーを電子情報に変換してメタトロンに移植した。どこかでメタトロンを使っている人間がいた場合のことを考えて、一回のみデータの時限再生を行う。これが〈神の黙示録〉を見る最初で最後の機会と思ってほしい」
 セテはごくりと喉を鳴らし、背筋を伸ばした。伝説の書物、神々の叡知と呼ばれた失われた記録、それがいま、明らかにされようとしているのだ、かしこまらないのは不遜極まりない、セテはそう思った。
 突然、目の前で景色が蒸発していくので、セテとレイザークは驚嘆の声をあげた。足下から吹き上がるすさまじい光に、壁が、天井が砕けた水晶のようになって飛び散っていく。床が崩れ落ちるような錯覚に包まれながらも、セテは足を踏みしめて平衡感覚を保つ努力をしなければならなかった。耳が割れるほどの閃光、歪んでいく空間認識、爆風でもないのに、心が引き裂かれるようなすさまじい衝撃に気を失いそうになる。
 セテは髪や衣服が上空に吸い上げられもぎ取られるような衝撃の中、とうとう膝を突くが、周囲に視線を配るのを忘れはしなかった。
 不思議な光景であった。砕け、塵になっていく物質の軌跡が数字やアルファベットに変換され、光の中に溶けていくのが見える。幻覚に取り込まれるのとはまったく別の感覚であった。自分の身体が何か別のものに変遷してしまう、そんな恐ろしい感覚に苛まれる。セテは身体を引き裂かれるような感覚に耐えつつ、食いしばった歯の間からうめくが、そのうめき声は周囲の奔流にかき消されていくだけであった。
 その融解が唐突に止んだ。自由落下を終えた床が地面に着くのにも似た衝撃を最後に感じたあと、吹き上げる衝撃波と周囲の拡散は止み、膝を突いていたセテは大きなため息をついた。見れば、同様にレイザークも膝を突き、額に手を当てて顔をしかめている。
 セテは肺に貯めていた空気をそろそろと吐き出しながら前髪をかきあげたあと、ゆっくりと身体を起こした。見れば、それまでだだっ広い白い壁だけだった部屋だったのが、今ではあふれんばかりの書物を搭載した巨大な書棚が立ち並び、セテたちを取り囲んでいる。天井までをびっしりと覆う一面の書棚の壁、そしてさらに、先ほどまでいた部屋はいつの間にかずっと奥行きが広がっており、奥へ続く回廊までが書棚でできている。これほど巨大な図書館は、エルメネス大陸のどの寺院にも見られないものであった。
 セテは二、三歩足を踏み出し、おそるおそる手近にあった書棚の本に手を掛けた。書物はたいへん古びたものではあったが、立派な装丁でたいへん高価なものに見える。たまに表紙からチラチラと緑色の数式のようなものがはぜているので、セテは恐ろしくなってそれを書棚に戻した。
「幻覚……? いや、違うな。術法の気配は感じられない」
 隣にいたレイザークがうなるように言った。彼もまた書棚に手を掛け、一冊、本を手にとってそれを眺めているところだった。レイザークが本を開いたが、その瞬間、大勢の人々の話声が割れんばかりにあたりに響き渡る。
「うわっ!?」
 あわててレイザークが本を閉じると、とたんに話声は止み、なにごともなかったかのようにあたりが静まりかえる。
『そのまま、まっすぐ歩いて。目の前の扉を。第一の章があなた方を待っています』
 サーシェスの声がふたりの耳に響いた。セテとレイザークはしばし顔を見合わせたあと、意を決して足を踏み出し、書棚の回廊をまっすぐに進む。たまに書棚からこぼれ落ちてくる分厚い書物から身体を避けながら、一歩、また一歩と進んでいくうちに、サーシェスの言ったように古めかしい扉がふたりを待ち構えていた。
 セテは生唾を飲み込み、扉に手を掛ける。扉は思ったよりも軽く、外見のわりにきしむこともなくすんなり動いた。少しだけ開いた扉のすき間から、目もくらむばかりの激しい光が吹き出してくるが、セテはそれに惑わされず、高鳴る心臓の音を全身で感じながら取っ手を押しやった。無数の光が立てる破鐘のような音が、セテとレイザークを包み込んだ。
 再び、セテとレイザークは一面を白い材質に覆われた部屋に足を踏み入れていた。その部屋の中央には机と椅子。そしてそれに腰掛けた白い服の人影が、なにやらパネル型のものに向かいながら一心不乱に〈キーボード〉をたたきつけている。
 ふと、その人物は手を止め、ゆっくりとこちらを振り返る。女だ。豊かな茶色い巻き毛は肩の辺りでゆるやかな曲線を描き、ほっそりした顔立ちに女性らしさを与えている。細いグラスの眼鏡をかけており、化粧っ気はあまりないが、聡明で理知的な顔立ちが印象的である。そして、すらりと伸びた足をより際だたせるパンツスーツの上に、術医が着るような白衣を羽織っている。女はセテとレイザークのふたりを見ると、わずかに微笑んだ。どこか寂しげな笑顔であった。
「ようこそ。あなた方がここに着たということは、あの子はようやく心を許せる仲間を得られたのね」
 女の声はとても澄んでいてよく通る。教師のような雰囲気を持つ、優しい声だ。
「私はレオーネ・シエロ。ご覧のとおり科学者よ。専門は遺伝子工学。といっても、いまあなた方が見ているのは私の生前の姿、私の記憶の断片。私と私の夫が手に入れた〈オペレーション・ゼロ〉の一部を、分かりやすいように擬似的に映像化し、私の娘に託したもの。おそらくこの情報は、あなた方の時代にはたいへん貴重でありながらも日の目を見ることはないでしょう」
「オペレーション・ゼロ……?」
 セテとレイザークは互いの顔を見合わせた。
「あなた方はさまざまな疑問を抱いているはず。まずは『はじまりの物語』から説明せねばならないでしょう」
 レオーネ・シエロはセテたちにゆっくりと近付きながら右手を差し出した。差し出された手の先に、小さなスクリーンが浮かび上がる。その中に、無数の光り輝く真珠が暗闇に浮かんでいる。それは角度を変えながらゆっくりと移動してゆき、やがてひときわ明るい、楕円形をした光の集合体に行き当たった。
「美しいでしょう。これは銀河系、俗に天の川銀河と呼ばれる、もっとも生命の可能性を秘めた宇宙です。私たちの住む太陽系は、この広大な銀河系のほんのわずかな一点」
 さらに画面は高速に移動を続け、星々の間をすり抜けて行く。燃え盛る巨大な赤い星を経て、いくつかの大きな惑星がセテたちの視界を横切っていった。やがて、水の色をした青い惑星が真正面に映し出された。
「これが、私たちの故郷、地球。生命の源となる惑星。私たちはみなここで生まれ、育ち、生き、そしてこの星の大地に眠りました」
「きれいだな……」
「ああ……」
 セテとレイザークは、青々とした地球の姿を見ながらつぶやいた。
「西暦二四九〇年代の終わりに、それまで小説の中の話だと思われていたものが銀河系内に発見されました。そこを通過するだけで天文学的な距離を移動可能にする、特異点と呼ばれる宇宙空間のひずみです。宇宙開発は西暦一九〇〇年代後半から続けられていましたが、この特異点の発見により、人類は宇宙への新たな挑戦を積極的に推し進めることができるようになりました。この特異点を擬似的に生成し、人の手で管理することで、これまでよりずっと遠くの天体へわずかな時間で正確にたどり着き、調査できるようになったのです。そして、西暦二五一九年、ひとつの無人探査機がH86と呼ばれる恒星系へたどり着き、ある惑星を発見しました。それが」
「俺たちの……ネオ・アースというわけか」
「そうです」
 セテの問いに、映像の中のレオーネ・シエロが微笑んだ。
「ネオ・アース、発見当時はH86恒星系第六惑星〈XH006〉と呼ばれていましたが、この惑星はたいへん地球に酷似した奇跡の星でした。自転スピードは地球の一.五倍、公転周期はおよそ四二八日で、質量は地球のおよそ二倍、重力は地球の約八十%、差異はありますが天文学的に見ればそれは誤差の範囲、大気の構成や水の量もほぼ地球と同じという探査機が観測したこのデータに、地球は沸き返ったものです」
「つまり地球は、俺たちの住むこの星よりも小さくて重力が大きくて、それから日が短いってことか……」
 セテは腕を組んで首を傾げながらそう言った。実際にどれほどの差があるのかは、セテだけでなくこの惑星に住む人間に想像できるはずはなかった。
「探査機が送信してきたこのデータを元に、地球ではさっそく有人探査プロジェクトが発足しました。天文学者、生物学者、地質学者、数学者など、多くの名だたる優秀な研究者たち、そして私も、有人探査機に乗り込み、この惑星へと旅立ちました。このプロジェクトの目的は、データで見るXH006が本当に地球と同じような環境にあるのか、あるのであれば地球外生命体が存在するのかどうか、さらに将来的には、人類がこの星に移住して居住可能なのかどうかまでを視野に入れ、さまざまな観点から徹底的に調査をすること。もしその条件が整えば、人類は宇宙に第二の故郷を持ち得ることになる。たいへん意義のあるプロジェクトだったのです。そして私たちはいくつかの特異点ジャンプを繰り返し、惑星XH006に降り立ちました。これが地球からXH006への旅路の略図、宇宙を海に例えて私たちはこれを海図と呼び、探査機を船、宇宙の旅を航海と呼びました」
 レオーネが中空に手を振ると別のスクリーンが現れ、そこに地球とXH006=ネオ・アースらしき惑星が浮かび上がる。そのふたつの惑星の間には、いくつかの小さな黒い点が存在しているが、これが先ほどレオーネが説明した特異点なのであろう。探査機の地球からの航行の軌跡は破線で描かれており、ちょうど特異点の前後で破線は消えてしまっているが、別の特異点から新たな破線が伸び、それがネオ・アースへと続いている。
「XH006に着陸した私たちは、およそ一年かけてさまざまな大陸を調査しました。海も、大地も空もすべて、まるで原始の地球のように素晴らしかった。もちろん危険な動植物も発見され、調査の間に何人かの優秀なメンバーを失いましたが、それらの事象も含め、新しい生命体がこの惑星で生きていることは貴重なデータになりました。ただ、この星に知的生命体が存在しないことだけが不可思議な点でした。データを見る限りでは、知的生命体が発生しうる条件をすべて備えていたはず。しかし、移住にあたって先住民族との小競り合いが発生しないことは、むしろ歓迎すべきことでした。知ってのとおり、古代から人間は新しい大陸を発見した際に、先住民族を虐殺したり支配して苦役を強いてきたからです。人権問題にうるさい市民団体を挑発するような行為だけは避けねばなりませんでした」
「今も昔も、あんまり人間のやることに変わりはないってこったな」
 レイザークが肩をすくめながら、知ったふうな口を利いた。
「あるとき、私たちはこの星で廃墟のような古い遺跡群を発見しました。調査メンバーが歓喜したのはいうまでもありません。例え滅びたあととはいえ、知的生命体が存在した証、これまで地球以外の惑星に知的生命体が確認されたことはなかったのですから。廃墟の建築様式はちょうど、古代ギリシャ時代のものに酷似したレンガ造りのものが多く、しかし我々と同じように鉱物を使い、機械らしきものも使っていた。たいへん高度な文明を築いていたことが想像されました」
「先住民族か。俺たちより前に住んでいた」
 セテとレイザークは互いの顔を見合わせて頷いた。冒険譚にわくわくするのは、なにも少年だけのことではないようである。
「そうです。私たちはそれらの破片を分析にかけましたが、さらに驚くべき事実が分かりました。この文明は、私たちが訪れるおよそ五百年も前に、天文学的な熱量を持つ何かによって破壊され、滅亡したこと。我々の時代にも存在し得なかった膨大なエネルギーを持ち得たということでした。そして残骸を撤去したり移動したりする作業の合間に、私たちは最後の奇跡を発見しました。この惑星の先住民族と見られる生命体のDNAです。遺跡の破片に、わずかに残されていたものが構造解析の途中で発見されたのです」
 そこでレオーネは、うれしそうな、だがどこか自虐的な表情で肩をすくめてみせた。
「遺伝子工学を専門にする私の出番でした。私は、新しい生命体を発見できた喜びに飛び上がらんばかりに喜びましたが、その喜びはある狂気を引き起こしました。この生命体を復元して元の姿に戻したいと思ったのです。遺伝子工学を専門にする人間にとって、生命の復元ほど魅力的な研究はない。動物の遺伝子を操作することはあっても、知的生命の遺伝子をその手に扱うことなど、本来であれば許されないことだった」
 レオーネが掲げた手のひらの上に、小さなスクリーンが姿を現し、今度はそこに螺旋状の映像が浮かぶ。人間の遺伝子構造にも似た螺旋がゆっくりと回転を続けるが、だがその螺旋の模様のいくつかが欠落している。
「これがその生命体の遺伝子構造です。ご覧のように熱と経年によって一部の遺伝子構造は破壊され欠損していましたが、その構造は人類のそれとほぼ同じ。この遺伝子はコードネームEES-RMNAと、この惑星の動植物リストの命名規則と自動採番によって無機質な名前が与えられましたが……」
「EES-RMNA……?」
「私は、自分のDNAの一部をEES-RMNAの欠損した遺伝子に移植した」
 欠損した遺伝子構造の図の上に、別の遺伝子が覆い被さるようにして浸透していく。欠損した部分と新たな移植部分がすぐさま結合していく様子が描かれた。やがてその映像が縮小していくと代わりにざらついた表面を持つ球体が現れる。最初はふたつの筋が球体に走り、それが割れて四つに、次に十六に、次々と表面の筋が分裂していく。セテは、それを生物の教科書で見た受精卵の分裂に似ていると思いながら眺めていた。それがやがて奇妙に膨らみながら変形していく。人間の胎児にそっくりな様相を呈してきたところで、セテは声を上げた。
「まさか……」
「実験は成功しました。私の試験管の中で息を吹き返したこの星の先住民族は、私たちと同じような姿を持った新しい生命体に生まれ変わったのです」
 映像は、もうまもなく生まれる赤ん坊にそっくりな姿形をした生命体を映し出している。目鼻立ちはあまりよく分からないが、ただひとつ言えることは、耳が──おとぎ話に出てくる妖精のごとく、長くとがった形の耳がついていて、人間とは別の種族であることを示していた。
「あなた方が偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》と呼ぶ種族の誕生です」
「馬鹿な……! 人間が……人間がイーシュ・ラミナを作ったなんて……!」
「神が偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》を作った。おそらくあなた方の時代にはそう伝えられているでしょう。神が降臨し、この世界を築いた。そして神は自分たちの分身として偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》を作り上げ、この世界を支配させた。伝承のとおりのできごとを私たちは成し遂げた。だけど、この世界に初めから神なんて存在しない。神になりたかった私たち人間が、自ら作り出した人工生命体のイーシュ・ラミナたちに、愚かにも自分たちを神と崇めさせただけのこと。そしてイーシュ・ラミナたちはそれを信じ、このXH006を人間が住めるようになるまで開拓をした。これが、この惑星のはじまりの物語よ」
 セテとレイザークは発するべき言葉を探していた。旧世界《ロイギル》が自分たちの想像を超える技術を持っていたのは、伝承でも先ほどの幻影《ヴィジョン》でも知っているとおり。だが、それを遙かに超えた話だ。生命を造り出す、神の仕業に近いその業績は確かに研究者としては最高の勲章となり得るだろう。だが、本物の神の領域を踏み越えた、魂の冒涜でもある。セテは心なしか震える手を握りしめ、目の前の白衣の女性研究者を睨みつけていた。
「そうか……思い出したよ。あんたがサーシェスの言ってた『母親みたいな人』だったっけな。レオーネ・シエロ。サーシェスの口からあんたの名前が出たときにはまったく理解できなかったけれど……」
「サーシェス……。サーシェスは、私が最初に造り出したこの種族の始祖たる娘。そして、私の娘のような存在でもあったわ」
 レオーネは後ろを振り返るような仕草をしたあと、優しく何かを手招きした。背後の何もない(はずの)空間から、突然小さな女の子が走り出してきた。
 セテは呻いた。いまのサーシェスと同じ七、八歳くらいの姿をした銀髪の少女が、レオーネの白衣の裾を小さな手でしっかりと握りしめていた。レオーネは幼い少女の銀の髪を愛おしそうになでてやる。
「この子には名前なんかなかった。プロジェクトの承認が降りたときには、CE-RSC-001なんて冗談みたいに無機質なコードネームがつけられただけだったわ。たぶん私は狂っていたのだと思う。私には子どもはいない。背徳の行為に身を焦がしながら、この子に歪んだ愛情を持つようになっていた。この子が愛しくて、コードネームではなく、名前で呼んでみたかった。いつの間にか、その無機質なコードネームをもじった名前をつけて呼ぶようになっていたの。サーシェス……って……ね」
 レオーネが悲しそうに微笑んだ。セテは唇をかみしめた。本当に狂っているのかもしれない。だが、人工的に生み出された少女に注がれるレオーネの視線は、確かな愛情に満ちたものである。嘘ではないのだろう。だが、なぜだか吐き気がする。
「私の研究成果は新しいプロジェクトを発足させました。すなわち、この人工生命体を量産し、惑星開発の労働力とすること。サーシェスは──この星の先住民族は先天的にESP、いわゆる超能力を持っていた。そして驚くべき寿命も持っていた。機械に未開の惑星を開発させるにはあまりにも時間がかかりすぎる。かといって人間を未開の惑星の過酷な環境で労働させることは人権的にも許されない。そこで、EES-RMNAを量産して労働力として確保することが閣議で決定されたのです」
「彼女たちに人権はないって言うのか!?」
 セテがたまらずに叫ぶ。レオーネはしばし目を閉じ、サーシェスの頭をなでながら口をつぐんだ。言葉を選んでいるような仕草であった。
「EES-RMNAには、痛覚も感情もないと思われていたのよ」
 レオーネは絞り出すような声でそう言った。
「量産はサーシェスの細胞を元に行われました。サーシェスは言葉を発することもなかったし、泣いたり笑ったりすることさえしなかった。だから彼女は毎日、麻酔もなしに皮膚をはがされて傷だらけだったけれども、彼女の持つ驚異的な回復能力ゆえに、その傷はすぐに癒えてしまう。毎日毎日、採取した皮膚から細胞を取り出して新たな人工生命体を造り出すために、彼女の身体は傷つけられて」
「もうやめろ! 聞きたくない!」
 セテが再び叫んだ。
「愛情を持っていただって? 彼女を動物のように扱って、そんな手ひどい行為を毎日続けて! 生命を弄んだだけじゃ飽き足らなくて、身勝手な考えで彼女を蹂躙して、あんたいったい何様のつもりだったんだ! そんなことを俺たちに話して、自分が罪から逃れられると思ってたのか!?」
「やめなさい、〈青き若獅子〉」
 幼い声がセテの言葉をさえぎったので、セテの身体がびくりと反応する。サーシェスと同じ声。レオーネの白衣の裾を握っていた銀髪の幼い少女が、セテをまっすぐに見つめていた。瞳の色はサーシェスと同じグリーン、幼くても目鼻立ちの整った偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》そのものの顔がそこにあった。
「私のお母さんを……それ以上傷つけるのは許しません」
 セテはもう一度身体を震わせた。自分でも理解できないさまざまな感情が、セテの全身を駆け巡ってどうしようもなくなっていた。レオーネを擁護しようとする少女にまで腹が立ってきて、どう処理すればいいのか分からなかった。
「そうね……身勝手な考え方だと思うわ。量産が一定数に達し、彼らが超能力を持つ優秀な労働力として成長したころ、ようやく私は知ったの。サーシェスがとうの昔に感情を身につけ、私たちの言葉を理解していたことを。そして、自分がなんのために存在しているのか、なにをすべきか理解していたことも」
「そんなの……あんたの身勝手な思い込みじゃないって理由にはならないだろ?」
 セテは吐き捨てるように言った。レオーネは静かに頷く。
「そうね。あなたの言うとおり。サーシェスが理解していたというのは私の思い込みによるものかもしれないし、私たち人間に対して絶大な信頼を寄せてくれていたのも、創造主である私たちへのある種の信仰心のようなものを無意識に刷り込まれていたからとも言える。私たちは知らない間に、自分たちを神に格上げしてしまっていたのだと思うわ」
 レオーネがサーシェスの頭をなでると、小さなサーシェスはうれしそうに目を細め、にっこりと笑った。セテはその様子がいたたまれなくなって目を背けた。怒りとは違う、嫉妬に近い感情が芽生えてきたのを認めたくはなかった。
「さあ、はじまりの物語はこれでおしまい。EES-RMNAはこの惑星を驚くべき速さで開拓し、地球から送られてくる物資を使っていくつもの都市を建設しました。それを見計らって、地球では本格的な人類移住計画がスタートしました。あなた方の時代に〈降臨と楽園の日々〉と呼ばれるネオ・アースの春が訪れたのです。それは、こちらの扉の向こうでお話ししましょう。第二の章が、あなた方を待っています」
 レオーネはセテとレイザークを手招きしながら、背後に現れた扉を開いた。再びまばゆい閃光が走り、セテとレイザークはそのまぶしさに顔を背けなければならなかった。

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