第二十二話:甦る黙示録 後編

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 大きな円卓を囲む数人の男たちが、なにやら机の上の書類を繰りながら議論を交わしているのを、セテとレイザークは遠目に、まるで演出がかった芝居を見るような形で眺めている。だがその光景は。
「おい……よせよ……なんの冗談だよこれは……神々の円卓会議だって……?」
 セテは額に手を当てながらうめいた。古代聖典で見られるような、白いドレープの豊かなゆったりとした服装を身につけた男たちばかり。さながら、神々の円卓会議といった風情であった。照明が円卓に当たる以外は薄暗く、本当にこうした仕掛けのある舞台を見ているかのようだ。
「本当にEES-RMNAの潜在能力は目をみはるものがある。研究者たちの間では、その長ったらしいコードネームをもじって『イースラムナ』とか『イーシュラミナ』とか、適当な名前をつけているらしいですがね、古代民族っぽい響きがあって、考古学者なんぞは大喜びでしょう」
「サイコキネシスだけでものを動かしたり、テレパシーも同族間で自在に使えるようですし、テレポーテーション能力に至っては、我々がずっと頭を悩ませてきた移動距離と時間の問題を見事に解決できる。そして、数字の解読力。機械語を生で読めるどころか、地球の最新の汎用機が数ヶ月、数台がかりで演算するような数式も暗算で瞬時にできるのは、まさに奇跡の超人類でしょう」
「いちばん大きな大陸では、エルメネス博士の指揮とイーシュラミナの働きの甲斐もあって、人が住める最低限のレベルまでは開発段階が終了、これは驚くべき成果です」
「彼らの適応能力にも驚くべきものがありますよ。最初は……そう、シエロ博士が娘のようにかわいがっている……」
「サーシェス、ですか。CE-RSC-001……まぁ、科学者やエンジニアは自分の作ったものに擬人的な愛情を持つといわれてますけど、その方が合理的だ」
「そう、サーシェスの細胞をもとに作られたクローンたちには感情も生殖能力もないと思われていたそうですがね。つい先日、イーシュラミナの女が珍しく体調不良を訴え、検査してみたら妊娠が発覚したそうです」
「人工生命体が懐妊とは……! 皮肉なものだな。地球では自然交配など久しいというのに、人が作った人の母から生まれぬ者たちにその能力が与えられるとは、神もいたずらがお好きのようだ」
「イーシュラミナの量産計画をクローンによるものではなく、自然分娩によるものに切り替える旨の計画書については……」
「むろん、承認しよう。彼らが自然に属する種族として神に認められたということでもある。これ以降は、彼らを使った非人道的な実験もすべてやめるべきだ。地球の人権団体もおとなしくなるだろうし、なにより、これは地球の同胞たちにとっては大きなチャンスでもある」
 そこで一同はいっせいに頷き、唇を固く引き結んだ。
「そういえば、シエロ博士によれば、イーシュラミナは先天的に病気となる遺伝子そのものが除去されていると聞いたが」
「彼らに病気は存在しないばかりか、生まれながらの美男美女ですよ」
 ひとりの男がおどけるようにそう言ったので、周囲の男たちが少しわいた。
「人の形をしたものを完璧にしたいというのは、科学者の美学というものなのだろうかね。人形がみな我々人類の理想の体型に作られているのと同じように」
 男はそう言って少しため息をついた。
「彼らの免疫能力やESPを、どうにかして一般の人間にも共有できるようにはできまいか考えている。この発展途上の過酷な惑星で暮らすには、彼らの先天的能力は非常に重要な役割を果たすだろう」
「おもしろい報告があがってきています。そのサーシェス……彼女は前時代の記憶の断片を保有しているそうです。彼女の協力により、彼らの使うESPの概念的なものもすでに研究段階に入っていますが、特筆すべきは四大元素の定義です」
「ほう、四大元素とは?」
「火、水、風、土の属性のことです。彼らのESPの発動にも通じるのですが、これらの属性をすべて言葉で定義して擬似的にある物体を割り当てることで属性をコントロールしていたようです。簡単にいえば、水の妖精のようなものを作り、それらに祈れば雨が降るといった具合ですな」
「そんなことが可能なのか。天候を左右できるとなれば、惑星開発どころか日常生活でも天災知らずの楽園そのものではないか」
「理論上は可能であるとの報告があります。これらの属性にはそれぞれ正と負の属性があり、正の場合には恩恵が得られ、負の場合には災害を引き起こすようなマイナスの力が発動するそうです。それらの属性を管理する従属種族もいたと見られ、イーシュラミナの遺伝子を再利用して属性種族の再現にも取りかかれるようです」
「まったく驚くべき種族だ。古代聖典の具現化をこの目で見られるときがくるとはな」
 男がうなるようにそう言うと、円卓の照明は徐々に暗くなり、やがて彼らの姿は闇に溶けて見えなくなっていった。セテとレイザークは彼らが見えなくなっても呆然と立ち尽くし、呼吸をするのすら忘れていた。
 しばらくすると暗闇の中にひとつ、ふたつと小さな光の点が現れる。すぐに部屋の中には無数の小さな光が星のように広がり、明滅を始めた。それは確かに星であり、周囲は宇宙空間を映し出していた。
 その中を、巨大な宇宙船がゆっくりと航行している。その行く手には、宇宙船を飲み込むのに余りあるほどの暗黒の入り口が待ち構えている。暗黒の空間にさしかかるや否や、宇宙船の巨躯は粒子のような物体に分解され、輝きを放つ光の粒子とともに溶けて消えていった。特異点ジャンプの瞬間であった。
「西暦二五三一年、地球からXH006への大規模な入植計画が実行されました。XH006が発見されてからわずか十二年という短い年月で移民が敢行されたのは、予定を大幅に短縮しての開発が進んだこともありましたが、もうひとつ、重要な背景がありました。〈暗闇の雲〉の回避です」
 暗闇の中からレオーネの声が聞こえ、振り返ればセテとレイザークの後ろに白衣の女科学者の姿があった。セテはごくりと喉を鳴らした。
「西暦二四九〇年代の終わりに、地球はある不可思議な現象に見舞われました。最初は環境問題の延長上にあるほんの少しの異変だと思われたのですが、最初に気付いたのは動物学者や生物学者たちでした。絶滅危惧種はもちろんのこと、数多く棲息していた動物の繁殖率が、急激に下がり始めたのです。それはやがて人間にも波及しました。この当時、先進国の間では長く続いた不況やライフスタイルの変化に伴って婚姻率と出生率の低下が危ぶまれていました。いわゆる途上国での出生率が急激に低下したときには、飢餓問題が解決に向かったという楽観的な考え方が主流を占めており、それが世界各国で進んでいるのに気付くのは数年を要しました。そして、やがて世界中で出生率が限りなくゼロに近づいた」
「……赤ん坊が生まれなくなったということか」
「そうです。そのころ、地球では局所的な戦争がいくたびか勃発しました。戦争が終結して平和が訪れると、失われた生命の補填をするがごとく人の出生率は跳ね上がるといわれています。しかし、戦争が終わっても出生率は低下していった。人間の肉体の変化を疑った科学者たちが数多くの人間を検査しましたが、異常は認められず、不妊治療も功を奏さず、わずか十数年の間に人の出生率は完全なゼロとなったのです」
「そんなことが……」
 レイザークが驚愕のため息を吐き出しながらつぶやいた。
「世界は大混乱に見舞われました。人の平均寿命が長くなったにも関わらず新生児がまったく誕生せぬまま、世界が老いて死んでいく。これほど恐ろしい未来を誰が予想できたでしょうか」
「……原因は?」
「はっきりしたことは分かっていません。しかしさまざまな研究の果てに、銀河系そのものが急速に老いているということが分かったのです」
 広大な宇宙空間がゆっくりと回転し、三六〇度が見渡せるほどの暗闇に無数の星々がまたたいている。だが、その映像に少しずつだが変化が現れる。またたいていた星がひとつ、またひとつ消えていき、周囲の星々が次々に暗黒の中に消えていくのだった。
「……星がなくなっていく……!」
「この異常事態の前後十年に、夜空には星が半数以上も見えない状態が続いていました。つまり、砂の数ほどあった恒星系が、地上から見えるまでの時間を考慮すれば数百年以上も前から消滅してしまっていた。銀河系規模で、生命が死に絶えようとしているのが分かったのです。これを、当時の科学者たちは〈暗闇の雲〉と称し、これを回避する策を検討していました」
「暗闇の雲……それが……!」
 セテとレイザークが同時に声を上げた。

 ──天統べる数多の神、人を嘆き、その御姿を御隠せり
 人、英知の光失い、時代《とき》、漆黒の夜に包まれり──

 宇宙に存在していた数多の恒星が消滅したことで地球からはその星々が見えなくなり、暗黒の空が支配するようになってしまった。

 ──人の子ら、暗闇の雲、翼広げるを知らむ
 恐怖と絶望の復活──

 そして人類は、生命の衰退を招く暗闇の雲が全銀河を覆い始めていることを知り、恐怖と絶望に打ちひしがれた──。

 誰もが、これは伝承でよく見られる比喩的な表現であることを疑わなかったし、数多くの学者たちが、汎大陸戦争で失われた旧世界《ロイギル》の高度文明のことを嘆いているのだと解釈していた。
 伝承どおりの、しかしこの世界に生きる人間の想像を遙かに超えた大災害が、実際に起こっていたとは。
「そんななか、XH006では人工生命体が子孫を残す能力を手に入れた、科学者たちはそこに一縷の望みを託しました。こんな伝説をご存じですか? 世界を浄化する大洪水を起こそうとした神が、ある男に巨大な船を造らせ、その船にあらゆる生命のつがいを乗せて新しい世界を任せた──」
「……種族単位での移住……?」
「そのとおり。その伝承と同じように、人類は建造中の巨大宇宙船に地球上で捕獲可能な生命の種子や卵子、精子を積み込み、一部の若く健康な肉体を持つ多くの人間たちを乗せてXH006へ旅立った。XH006はこのときからネオ・アース──新たなる大地と正式に命名されました。いっぽう多くの人間が残された地球では、EES-RMNAの量産に使われた〈クローン〉と呼ばれる遺伝子の複製技術を改良し、自身を完全に複製することで子孫を残すという悲願を打ち立てて実行したのです。生物学的に見れば、新しい生命を生み出せずに滅亡したのと同義でしょう。しかし、人類は自分の複製だけを残す不自然なやり方であっても生き延びたかった。ネオ・アースでの営みが暗闇の雲をはねのけて、生命そのものが息を吹き返すことができるようになるその日まで。これが、ゼロからの再出発を願った最初の人類入植計画〈オペレーション・ゼロ〉の始まり。運命の西暦二五三一年、〈神の黙示録〉に連なる最初の計画の年です」
 まだ青々とした草原の残る地上に、小型の宇宙船が次々と降下してくる様子が周囲に映し出された。それを取り巻き、歓迎している耳のとがった種族たち──イーシュ・ラミナの姿が映し出されている。男も女も、みな一様に銀の髪と緑色の瞳を持っており、サーシェスの生き写しのようであった。セテはその様子を食い入るように見つめた。
「なんだ、好みの女でもいたか」
 レイザークが茶化すようにそう言ったが、セテは上の空のようで、
「うん……いや……みんな同じ顔をしてるなって思って」
「そりゃ……サーシェスの嬢ちゃんをもとにしたっていうなら……」
「そうなんだけど、でも俺たちが知るイーシュ・ラミナってのは、金髪も茶色い髪も黒髪もいる。サーシェスの複製だっていうなら、いま見ているようにみな同じ姿をしてないとおかしいなって思ってさ」
 その答えはレオーネの説明によってすぐに得ることができた。
「オペレーション・ゼロでは、若い入植者たちにネオ・アースで子どもを作ることが義務づけられていましたが、やはりネオ・アースでも人間同士の子どもは生まれませんでした。そこで彼らは、すでに自然受胎を実現していたEES-RMNA──イーシュ・ラミナと呼ばれることが定着した彼らと交わることで、子孫を残そうとしたのです。〈オペレーション・ゼロ〉の第二段階のことでした」
「それじゃ……いまのイーシュ・ラミナの外見が異なるのは」
「イーシュ・ラミナの遺伝子は劣性遺伝だったようで、人間の特徴をその子どもたちが強く受け継いだため。第一世代にはおよばないまでも子どもたちはイーシュ・ラミナの能力を受け継ぎ、寿命は人間のそれを遙かに上回るうえ先天的に超能力が使えた。人間たちはそうして生まれた新しい世代の子どもたちを奇跡の象徴〈偉大なる一族〉と呼びました。神の子、神の代理人とまで褒めそやされたイーシュ・ラミナと人間の子孫たちが、自分たちを選ばれた崇高な人間だと思うようになるのは自然なことだった。最初に自分たちを作った〈神〉たる人間が、自分たちをそう呼ぶのだから」
「神と神の子……か。なんで人間はそれほどまでに神にこだわったんだろう。そんなに神になりたかったんだろうか」
 セテは少し考えてからそうつぶやいた。質問のつもりではなかった。
「神に根ざす宗教観が、人をまとめ上げる力を持っていることを知っていたからです。かつて地球では、神、あるいは神々を崇めるがゆえの戦争──宗教戦争と呼ばれる陰惨な過ちを繰り返していました。そして入植前後には、合衆国と呼ばれた国を中心に多くの国家が、別の価値観を持つ国家群と戦争状態にありました。宗教に根付く価値観の違いはそれ以前から長く根強く存在していたのです。神が、神々が、己の信者たちに別の神を崇める人間を殺せと命じるがゆえに」
「信仰心の違いで人を殺すなんて……!」
 セテがうめいた。
「歴史を紐解けば、古来から地球の人間は宗教に則って虐殺を繰り返してきたのです。神の名のもとに人々の意志や行動がひとつになるのは決して戦争や人殺しのためだけではなかったけれども、度重なる宗教戦争に疲弊した地球では、新しい世界に神も宗教も必要ないと考える人が大勢いた。そして実際に、ネオ・アースの移民計画にもその考え方は受け継がれ、ネオ・アースではすべての宗教が廃止されることになりました。ただ、彼らは自分の中にある信念を〈神〉に近いものとなぞらえ、それを互いに押しつけ合ったり否定することなく、自分だけの〈神〉として敬っていた。知ってのとおり、いまの時代に至ってもネオ・アースでは、突発的に起きる狂信的な新興宗教以外は存在しないけれども、自分たちが信じていたいものを密かに残しておきたかったことがうかがえる。それが、いまの時代における〈聖なる御方〉と呼ばれる空想上の名もなき神々のことといえば納得できるでしょう」
 初めて浮遊大陸で出会ったレオンハルトの攻撃術法も、聖なる御方という言葉を冒頭に掲げた独自の呪文を詠唱していた。それが自分の中にある信じていたいものなのだとしたら、詠唱することでとても優しい気持ちになれるのかもしれない。レオンハルトが信じていたいものとはなんだったのだろうとセテは思いをはせるのだが、ふと、いまはそれどころではないと我に返ってあわてて背筋を伸ばす。
「と、とにかく、自分のために人殺しをさせるような神なんかいらないよ。自分の価値観を、そんなことで変えられたくもない」
 セテが肩をすくめながら吐き捨てるように言った。
「そうね。いまを生きるあなた方ならそう思うはず。だけど、地球から移民した人々は、宗教がどういうものであったかをいやというほど理解していたし、それを嫌悪していたはずなのに、人間をまとめあげるためにはやはり神と、人の行動規範を作り上げる宗教という存在がどうしても必要なことも分かっていた。ネオ・アースであれば、既存の神に不敬を働くことにはならない。だから自分たちが神に代わって世界を支配しようと思うのは、とても自然なことだったのです。実際に、神に等しい科学力を持っていた技術者ならばなおのこと」
 そこでレオーネはセテとレイザークの前にゆっくりと歩み出てきた。
 宇宙空間から、今度は一転してなにかの室内がセテとレイザークの周囲を覆う。壁はチタンのように鈍い光を放つ鉱物で覆われており、無数の機械が埋め込まれた実に殺伐とした室内であった。ただ、セテたちの目の前に巨大なスクリーンが広がっており、そこから外を眺めれば、青々とした地表を覆う分厚い雲がゆっくりと流れていくのが見える。
「ここは、入植者たちが技術の粋を集めて建造した浮遊大陸衛星。ネオ・アースの生活基盤を支える重要な拠点であり、後に勃発する戦争では攻撃用要塞都市として活躍することになります」
「浮遊大陸……!?」
 セテはうめくようにそう言った。十年前、奇跡的に浮遊大陸に転移させられ、レオンハルトと出会った場所でもあるが、当時は廃墟同然の姿しか見ることはできなかった。そしておそらく現在も。映像とはいえ、完全な形で浮遊大陸衛星を見られる日がくるとは夢にも思わなかったセテは、スクリーンに引き寄せられるように近づき、眼下に広がる雲を眺めた。
 浮遊大陸はネオ・アースを見下ろしながら、その上空をゆっくりと移動している。広大な海と、現在の地図とは形状が異なるが、数々の大陸が存在しているのが見てとれる。また左右を見渡せば、地上と同じ巨大な建造物が果てしなく続いており、例えば山頂から地平線を見るのと同じかそれ以上の空間の広がりを感じる。歴史では要塞都市だと教えられてはいたが、これほどの大きさ、重量のものが宙に浮かんでいるのは驚くべきことである。
「この浮遊大陸には、属性を与えられた人工生命体、いわゆるモンスターの生産工場や、世代交代によって薄れた超能力を補うため擬似的に術法を発生させるシステムが設置されています」
「擬似的に術法を発生だって?」
 セテが頓狂な声を上げた。レオーネはそれさえも予測していたかのように小さく微笑んだ。
「後の術法、これはイーシュ・ラミナの特殊な超能力を、彼ら自身が持つ数字を読み解き操る能力で解析し、複雑な数式にまで分解したものを分かりやすく言葉に当てはめたものとして確立された技術です。ひとつの言葉が発せられるときに複数のたいへん複雑な演算処理が行われていて、その処理の結果が瞬時に術となって発動します。言葉は演算処理を指示する、いわば音声入力のようなものと考えればいいでしょう」
「音声入力……演算処理……」
 セテが首をひねった。術法についてはまったく心得がないものの、今後、暴発する術法を制御するために知っておきたい重要な事柄であった。
「イーシュ・ラミナは、手を使わずに物を動かしたり、何もないところから火を起こしたり、物質を凍らせたりできるけれども、それは彼らの脳が空間に存在するあらゆる物質に働きかけられるようになっているからで、一般の人間には会得できません。その代わり、ふつうの人間や能力の少ないイーシュ・ラミナたちは、この浮遊大陸に実装された音声認知システムを使って術法を発動できるようになっているのです。浮遊大陸に設置された巨大なコンピューター群のひとつが術法を制御していて、ネオ・アースで発せられた呪文を解析し、その実行結果を個別に送り返してくれる」
「でもそれじゃ、呪文を口にしただけで即座に術法が発動してしまってたいへんなことになるんじゃ」
「それを防ぐため、術者は精神の鍛錬を行い、テレパシー、いまの世界の言葉で〈心話〉や〈心語〉と呼ばれる精神感応術を使って浮遊大陸の音声認知システムに接触、システムの認証を通過した呪文だけが処理され、瞬時に実行結果がテレパシーで術者に返ってきて術法が発動するようになっているのです」
 セテは頭をかいてますます困惑したような表情のまま、レイザークを仰ぎ見た。
「なあ、あんたたち聖騎士も術法を使うときにそうやってるのか?」
「いや、仕組みそのものについては誰も知らんだろう。ただ、精神感応術で呪文を詠唱するのだけはみな無意識にやっているし、それができて初めて術法使いとなるんだから、覚えておいたほうがいいだろう。きわめて感覚的なものだから、教えてどうこうというもんでもない」
「そっか」
 セテは小さくため息をついた。レイザークが人にものを教えるのが苦手であることは十分知っていたので、これ以上の回答は得られないだろうという落胆でもあった。
「こうした独自の文明を発展させたネオ・アースは、あなた方の時代に〈降臨と楽園の日々〉として伝えられる楽園さながらの生活を手に入れました。人類の存亡をかけたネオ・アース移住計画に始まった〈オペレーション・ゼロ〉はいったんの成功を迎え、それ以降は地球とネオ・アースを特異点で結ぶ星間ネットワーク〈セフィラ〉を通じてデータベースサーバー〈セフィロト〉に記録され、〈神の黙示録〉と呼ばれる膨大なネオ・アース管理プログラムに組み込まれました。これが〈神の黙示録〉第二章に記されたものの概要です」
 レオーネは手のひらをかざし、小さなスクリーンを呼び出した。
「最初の大移住計画の痕跡が、いまでもあなた方の世界では肉眼で確認できるはず」
 レオーネの手のひらに浮かぶスクリーンには、太陽が昇るのを待っている明け方の、薄暗い空が映るだけであった。セテはそれを凝視して首をひねる。かすかに光を放つ星々が見えるが、その中に一点、ひときわ明るく輝く星があった。
「俺たちの世界の空……だよな。明けの明星のことかな」
「空の一点には微動だにしない星がありますね。古くからこの星は旅人が位置を計るために利用してきましたが、なぜこれが動かずにこの位置にとどまっているかは、おそらく誰も知らないでしょう。これはネオ・アースの軌道上にとどまりこの星の自転と運命をともにした、最初の移住計画用宇宙船〈暁の白き女神〉」
「宇宙船? なんでそんなところに?」
「これほどの巨大な船をこの惑星に安全に着陸させる場所はありませんでした。だから、彼らはネオ・アースの軌道に乗ったこの位置から連絡艇と呼ばれる小型の宇宙船に乗り換えて地上に降り立ち、乗り手のいなくなった船はそのまま軌道上に残されたのです。〈暁の白き女神〉は、ネオ・アースの歴史の始まりを象徴するもの。ネオ・アースが滅びるまで、〈暁の白き女神〉はここにとどまって歴史を見つめ続けるでしょう」
 スクリーンが暁の白き女神に寄っていき、白く輝いて見えた星の正体が、銀色の装甲に覆われた細長い鉄の船だと認識できるところまで近づいていく。その装甲は、H86恒星系の太陽に照らされて神々しいばかりに光を放っている。人工物の放つ光がこれほどまでに美しいものだとは。セテは人類の乗ってきたこの宇宙船を、心の底から美しいと思った。
「そして、この〈暁の白き女神〉とともに、私の魂もネオ・アースを見つめ続けています」
 レオーネの言葉に、セテはスクリーンから視線を引きはがし、レオーネの顔を見つめた。悲しそうな微笑みを浮かべた女研究者の顔がそこにあった。
「私の身体は……〈暁の白き女神〉に安置されています。病に冒されていた私の身体は、ネオ・アースの新しい時代の幕開けを見ることはできませんでした。志半ばで、サーシェスとイーシュ・ラミナたちを残していくことは心残りでしたが……」
 レオーネはそこでしばし目を閉じた。
「私はいつでも、この星を見守り続けています。そして、きっとサーシェスが、他のイーシュ・ラミナや仲間たちと一緒にこの世界の未来を作ってくれることを信じています」
 レオーネは顔を上げ、セテを見つめた。セテの身体がぴくりとはねる。レオーネは満足そうな微笑みを浮かべたが、それを合図に、彼女の身体がにじむように薄れていく。
「お、おい! レオーネ!」
 消えゆくレオーネにセテは手を差し伸べるが、彼女の身体を掴むことはかなわず、指先は宙を掴んでいた。
「さあ、鍵となる最後の章は、次のお部屋でお見せしましょう」
 レオーネの声に誘われ、セテとレイザークは突如現れた三つめの扉に手を掛ける。再び焼き付くような光が扉からあふれ激しく目を攻撃するので、セテはたまらずに顔を伏せる。しかし、最後の真実を逃さないとでもいうように扉の取っ手をしっかりと握りしめ、力強くそれを押し開けた。光の奔流が破鐘のように音を立ててセテとレイザークの体を包み込む。
 唐突な静けさがあたりを覆ったあとは、唐突な暗闇が訪れた。そして第二の扉を開けたときと同様に、舞台装置のような円卓を囲む男たち数人が再び姿を現す。古代の壁画に描かれる神々の議会といったそのさまは、象徴的にネオ・アースの行く末を担う中枢的な人間たちを描いたものなのだろうが、セテにとってはたいへん悪趣味なものでしかなかった。
「やはり母星にとって、我々のネオ・アースはあきらめのつかない夢の星というわけか。術法も四大元素の実体化も、四大元素を管理する従属種族もモンスターも、そして、この惑星に有り余る多くの資源や我らの築いた独自の高度文明も」
「まして、イーシュ・ラミナが持つ二百年以上もの長い寿命は、古くから不老不死を夢見てきた人類にとっては、絶対に譲れないものだろう」
「だがこのまま入植者が増えれば、ネオ・アースとて危機的状況に陥るのは同じこと。いかに四大元素をうまく操ったとて、急激な人口増加に食料自給率が追いつくわけもなく、ただでさえ犯罪も同胞同士の小競り合いも増加しているというのに」
「かといって、〈暗闇の雲〉が根本的に解決していない状態では、移民計画を中止することもかなわぬ。国連側の回答はいつも現場任せだ。このままでは秩序を保てなくなる」
「やはりこれは……」
「うむ。それしかあるまい」
「だが国連がどう反応するか」
「我々とて生き延びねばなるまい。母星から完全に独立すべき時がきたのだ」
 突然の閃光。そして爆発。
 議論を交わす神々の横、もうまもなくネオ・アースの軌道上に到達する大型の宇宙船が、突如として火を噴いたのだった。
『番組の途中ですが、ここで臨時ニュースをお伝えします。惑星ネオ・アースへ旅立った第四十六次移民船ユグドラシル号が、ネオ・アースの軌道で着陸態勢に入ったところで爆発、炎上し、大破しました。ユグドラシル号との通信は途絶しており、搭乗していた五千六十人の移民の安否や事故の原因は不明です。現在、星間ネットワーク〈セフィラ〉を通じて国連がネオ・アース政府に事故の詳細を照会中です。詳しい情報が入り次第、お伝えします。繰り返します。惑星ネオ・アースへ旅立った──』
 あわてた様子で、画面の中の男性キャスターが移民船爆発事故の様子を読み上げる声がした。
「まさか……」
 セテがうめく傍ら、ネオ・アースの軌道を周回する浮遊大陸衛星から、光が束になって飛来してくるのが見えた。音のない空間にあってそれはまっすぐに宇宙船目がけて飛来し、その巨躯を直撃する。船内にあった空気と燃料が反応して激しい爆発が巻き起こり、最後に咆吼するような音を立てて移民船ユグドラシルは轟沈したのだった。
 大破した移民船の残骸が漂う空間を、特異点を通過したばかりの巨大な影がいくつも横切っていく。移民船と同じくらい巨大な輪郭が、X86恒星系の太陽に照らされ銀色の光をまとうが、移民船と異なるのは、戦意をむき出しにした武骨で頑丈な装甲に覆われていることであった。その腹の部分が左右に割れると、小型の宇宙船らしきものが蜘蛛の子を散らすように飛散していく。
 それらの一部はまず、ネオ・アースの軌道を旋回している浮遊大陸衛星を目指して進み、サーシェスに見せられた幻影《ヴィジョン》で見たように火を噴く鉄の塊を浮遊大陸に向けて投下し始めた。浮遊大陸衛星は飛来してくる小型宇宙船に巨大な塔のような先端を定めると、そこからまばゆい光の帯を放つ。先ほど移民船を撃墜したのと同じ光の束が、迫り来る小型宇宙船をなぎ払うようになめ尽くし、光に飲まれた機体は次々と蒸発していった。難なく逃れた小型宇宙船はネオ・アースの大気圏を突破し、弾道弾を地上に向けて容赦なく投下しているのが見えた。
「地球からの移民船を爆破したのを合図に、ネオ・アース政府は地球からの完全独立と、以降に移民を乗せた船が星系内に侵入してきたときには迎撃することを大々的に宣言した。地球側は最後まで話し合いで事態を解決しようとしたが結局、特異点を通じて多数の戦艦型宇宙船や爆撃機を投入。これに対し、ネオ・アース側は浮遊大陸衛星の周回軌道を絶対防空圏と定め、浮遊大陸に実装したコードネーム・ヴァジュラと呼ばれる強力な粒子砲をもって迎撃を始めた。これが……汎大陸戦争のきっかけとなる最初の紛争の幕開けよ」
 聞き覚えのある、鈴の鳴るような声。直後に、レオーネとは別の人影がにじみ出てくるように現れる。セテは驚いて少しだけ後ずさった。銀色の光が人影の輪郭を縁取り、ゆるりとその身体を実体化させていく。銀色の糸のような髪のひと房とすらりと伸びた手足が、セテの目の前でわずかに踊った。
「サーシェス……」
 セテの口から、女神の名前がうわごとのようにこぼれた。名前を呼ばれた女神はにっこりと微笑んだが、彼女の姿は年の頃にすれば二十五、六歳、ロクランにいたときのサーシェスよりもずっと背が高く、セテよりほんの少し低いくらいの目線がそこにあった。少しつり上がったきつい瞳によって顔の表情も険しく見える。それでもなお、ロクランのサーシェスの面影はくっきりと残し、救世主自身なのだという確かな感触をセテに与えている。人の手によって造り出された女神だったとしても、セテは彼女の姿ほど美しいものはないと、いま改めて思うのだ。
「これが私の第一の〈アヴァターラ〉、最初のサーシェスの姿。いまは先ほどのレオーネと同様メタトロンの力を借りて、この仮想現実の中で実体化させているだけに過ぎないけれど……」
 淡い光を放つほどのつややかな腰まで伸びた銀髪が揺れた。大きなグリーンの瞳がセテの視界を支配して放さない。
「あと少し、私たちのいまの世界の礎《いしずえ》となる、汎大陸戦争と神々の黄昏を迎えるロイギルの最後の時代について、それから私やイーシュ・ラミナの犯した罪について話しておかなければ」
 いよいよ歴史が汎大陸戦争に近づいてきたことで、セテの身体はわずかに震えた。握りしめた拳が、汗でじっとりと湿ってきていた。
「ロイギルの最後の時代……フレイムタイラントの登場か……。地球側がイーシュ・ラミナの魂を土台にして作った」
 セテはできるだけ感情を表に出さないようにしたつもりだったが、声が震えるのは隠せなかった。故郷を同じくする人間同士が殺し合う。悲惨さよりも愚かしさに怒りがこみ上げる。
「いいえ、フレイムタイラントを作ったのは地球側ではない。そしてまだこのときには、フレイムタイラントは実戦に投入されることはなかった」
 セテとレイザークは顔を見合わせた。
「地球側は確かに、イーシュ・ラミナの開発した四大元素の実体化技術を知り得ていた。そして四大元素の名を持つ一族が、イーシュ・ラミナの末裔によって遺伝子操作された従属生命体であることはすでに知ってのとおり。当時、四大元素はそれぞれ核とよばれる力の源のような物質に姿を変えて、対応した元素の名を持つ一族に預けられ管理されていた。土の核は〈土の一族〉、風の核は〈風の一族〉、水の核は〈水の一族〉、そして、後にフレイムタイラントの暴走の原因ともなる火の核を持つ〈火の一族〉といった具合にね」
「土の一族……」
 セテにとっては、どこかで聞いたことのある言葉だった。
「このうちの〈火の一族〉は、火の核のデータを秘密裏に地球側に提供する裏切りを見せたの。地球側はそれを受けて暗黒の炎の属性を持つ人工生命体を開発し、特異点を通してネオ・アースへ送り込んだ」
「そんな……完全な仲間割れじゃ……」
「ネオ・アースの人間にも、地球側に加担したいと考える者は少なくなかった、ということよ。彼ら四大元素の一族はイーシュ・ラミナの支配下で使役されていたけれども、それを是としていなかったばかりか、欲が出たというところでしょうね。地球に加担してイーシュ・ラミナを掃討したあかつきには、自分たちがネオ・アースで実権を握れるよう便宜を図ってもらおうとしていた」
「そんな……ことが……」
「伝承に残されていなくとも、真実は常に泥臭く、愚かしい人間の本能でまみれているもの。今も昔も、それはきっと変わらない」
 サーシェスは自虐的に笑ってみせた。
「地球側の送り込んだ暗黒の炎の化け物は、ネオ・アースに甚大な被害を与えたけれども、結局は能力の強いイーシュ・ラミナの術法や浮遊大陸の粒子砲ヴァジュラによって撃破され、劣勢だったネオ・アースと地球軍との戦いは形勢逆転となった。しかしそのとき、イーシュ・ラミナたちは〈火の一族〉が地球側と通じていたことを知り……彼らと彼らを支配していた一部のイーシュ・ラミナたちを……」
 サーシェスは下唇をかみしめ、いったん言葉を切った。セテはそこでようやく悟ったのだった。
「フレイムタイラントを作ったのは……イーシュ・ラミナ自身……!?」
「……〈火の一族〉を失い制御不能に陥った暗黒の火の属性が、敵味方の見境なく暴れ出すのに理由は必要なかった」
 先ほどの幻影《ヴィジョン》で見せられたとおり、生きたまま炎に焼かれた〈火の一族〉とイーシュ・ラミナたちの魂は怒り狂う炎の竜の化身となり、自分たちを生み出し縛り付けてきたネオ・アースの大地を焦がす。同じ大地で生きてきた同胞たちや地球の軍勢をすべて飲み込んで、呪いのうちに消滅させようと──。
「私の罪は……これらをすべて知りながらこのときまで傍観していたこと」
 サーシェスは目を伏せたまま、ぽつりとそう言った。伏せたまぶたの先に、長いまつげがわずかに揺れている。固く引き結んだ唇も、怒りなのか後悔なのか、震えていた。
「イーシュ・ラミナの始祖、最初の奇跡、人々は私をそう呼んで、一族の巫女を敬うように私を大切にしてくれた。ただ最初に生まれただけなのに。私はそこにあればいいだけの存在であると、勝手に自分を傍観者にしてしまったのだと思う」
「サーシェス。自分をそんなふうに言っちゃ……」
 セテがサーシェスをなだめようと手を差し伸べるが、サーシェスは固く目を閉じ、それを拒否するかのように首を振った。
「違うの。これが最初の私の過ち。最初は、私を生んだレオーネをはじめとする人間たちが新しい星で新しい歴史を作りたいと願うから、少しだけ力を貸してあげればいいと思っていた。私の遺伝子をもとにたくさんのイーシュ・ラミナの兄弟たちが作られるのも、イーシュ・ラミナが人間のために都市建設に従事したり、術法などのさまざまな技術を開発するのも、黙ってそれを受け入れればいいと思ってた。イーシュ・ラミナの平均的な寿命が二百年前後であるなかで、私だけが死ぬことも老いることもなく、生きながらえたのも、最初に生まれた自分がイーシュ・ラミナの行く末を見守る役割を与えられたのだと思ってた。だけど」
 サーシェスは瞳を開き、眉根をよせた。
「それが大いなる間違いだと気付かされて、ようやく私はこのばかげた戦争を止めなければならないと思った。そして、すぐに同じイーシュ・ラミナで戦える人間を集め、フレイムタイラントや地球軍を撃退できる術者組織を作ろうとした」
「聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》?」
「そう」
「ごめん……聞きたかったんだけど……」
 セテは少しバツが悪そうに尋ねた。
「聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》は、どうやって選んだのか。どうしてその……レオンハルトを選んだのか」
 どうしても聞いておきたかった。レオンハルトとサーシェス──救世主との間に何があったのか。お互いにどんな感情を持っていたのか。
「志を同じくするイーシュ・ラミナの若者がいると、そう伝え聞いたのがはじまり。私が選んだのは、イーシュ・ラミナでありながらも世界の惨状に心を痛め、平和のうちに解決できないかを模索する者たちばかりだった。レオンハルトは当時、古い家系ではあったけれども没落寸前の貴族の長男で、貴族らしく剣の名手とも言われていた。その腕にも興味があった。ちょうど地球軍の攻撃が始まったとき、妹のガートルードをかばってあわやというときに、私が彼の命を救った。死ぬつもりだったのだと思う。だから、死ぬつもりならその命を私に寄こせと、そう言って彼を仲間に引き入れた」
 命の恩人なのだ、レオンハルトにとってのサーシェスは。レオンハルトがサーシェスに心酔していった様子も、レオンハルトにつないでもらった命のせいなのか、なぜか手に取るように分かる。愛情よりもなによりも、レオンハルトはサーシェスを理想の君主のように絶対的なものとして捉えていたに違いないとセテは思う。
「そして我々はフレイムタイラントと対峙することになったが、そこで私はふたつ目の過ちを犯した。フレイムタイラントは火の属性、私は〈水の一族〉の持つ水の核を利用して、相反する水をもってかの化け物を封じようとしたが……」
 再びサーシェスが瞳を固く閉じた。
「伝説に語られる大沈下、世界のほとんどを飲み込んだ大洪水は、水の核の暴走によるもの。ネオ・アースの南極大陸にある氷河を融解させ、フレイムタイラントはもちろんのこと、主立った大陸を水に沈めたのは、私……なのだ……」
 サーシェスは絞り出すような声でそう言い、自分を抱きしめるように両腕を身体に回した。
「……サーシェス……」
 サーシェスの肩に手を触れようとセテは手を伸ばしたのだが、なぜか触れてはいけない気がしてその手を元に戻す。
「世界を救ったなんてたいそうなことはひとつもしていない。むしろ、私がしたことはその後もずっと禍根を残し続けてるだけ。フレイムタイラントを撃破し、地球軍は撤退したけれども、フレイムタイラントと同じ規模の大災害を引き起こしてネオ・アースを崩壊させた。そして最大の過ちは……!」
 サーシェスは震える両手で顔を覆った。
「〈神々の黄昏〉を……この手で発動させてしまったこと……!」
「なん……だって……!?」
 レイザークが叫んだ。セテはサーシェスの肩を掴もうと再び両腕を差し出したが、その手はサーシェスの身体をすり抜け、後ろの中空を掴むだけだった。
「〈神々の黄昏〉とは神と呼ばれた種族がいなくなったことでも、汎大陸戦争が終わったことでもない。まだ続いているのよ。汎大陸戦争とともに」
「汎大陸戦争が……続いている……!?」
「そう。人類は……〈神々〉は見つけてしまった。〈暗闇の雲〉を回避する策を。そして、それを実行するためにどうしても過去を抹殺する必要があった。人類が生き延びるために。地球側が最終的にネオ・アースと交戦状態になることをよしとした大きな理由がそこにあった」
 サーシェスは顔を上げ、セテをじっと見つめた。
「それが分かったのは入植当時から続けられていた、星間ネットワーク〈セフィラ〉を通じたネオ・アースの惑星活動監視によるものだった。ネオ・アースで火山活動や地震などの活動が見られるとわずかに出生率が回復し、それが止むとまたゼロに戻る。その理由は誰にも分からない。だがそれは他の恒星系が消滅する速度にももちろん影響があった。そして地球の科学者たちは、汎大陸戦争が勃発したときに、そしてフレイムタイラントがネオ・アースを暴れ回ったときに、ついに確証を得た。全銀河が生き延びる方法は、ネオ・アースを破壊し尽くさない程度に攻撃し続けるしかないのだと」
「馬鹿な……!」
 セテもレイザークも、わずかにうめくことしかできなかった。
「そう。それこそが〈神々の黄昏〉。地球の存続のために〈神の黙示録〉に組み込まれた最終シナリオ。もう分かったでしょう。私がこの惑星全土を覆う防御壁を無意識に構築しているわけが。そして、〈神の黙示録〉は失われた神々の叡知のひとつではあっても、決して、ネオ・アースの未来を担うものではない。いま、新たな特異点を通過した地球からの星間弾道弾や無人の戦艦がネオ・アースに飛来してきている。我々はそれを撃破しなければならない。そして……」
 そのとき、サーシェスの身体が緑色の光を放ち、ゆらめいた。銀色の髪の先が、顔を覆った腕の輪郭が、ほっそりとした身体の線が、にじみ数字のような文字列に分解され、空間に溶けていく。サーシェスの身体ばかりではない、セテとレイザークを囲んでいた浮遊大陸衛星の室内が、両端から数字の羅列となって崩れていくのだ。
「な、なんだ。なにが起こってる」
 レイザークは冷静だったが、危険を察知した剣士の厳しい声色になっていた。
「うわっ! なんだこれ!?」
 セテが頓狂な声をあげたので、レイザークがセテを振り返る。セテは、自分の手を凝視しながら目を見開いている。見れば、セテの腕もサーシェスや周囲の風景と同様に、輪郭がにじみ、数字の羅列となって分解されている。
「な、なんだこりゃあ……」
 さすがのレイザークも恐怖を感じているのだろう。顔色が即座に青ざめたのだった。
『セテ、レイザーク。聞こえますか!?』
 ふたりの耳にテオドラキスの声が響き渡る。
『過負荷でサーバーが暴走を始めています。危険ですので生体同期《シンクロ》を強制解除します』
 説明を求めるために声をあげようとする間もなく、床ごと上空に放り投げられるような衝撃がセテを襲った。四肢を引きちぎるほどの風圧と水中で溺れたときの息苦しさや耳の不快感が交互に押し寄せ、セテは食いしばった歯の間からかすかにうめいた。
 最後に天井にたたきつけられたような衝撃を感じたあと、唐突に不快感が止んだ。いつの間にか膝をついていたセテは安堵のため息をつき、二、三度、深呼吸をして息を整えた。ついた手のひらに冷たい床の感覚。顔をわずかに上げると、テオドラキスの小さな足が見えた。
 セテは乱れた前髪をかきあげ、耳の中に入れていた生体同期《シンクロ》用の装置を取り出した。レイザークも無事だが、少し足下がおぼつかない様子だった。
「よかった。間に合いましたね。プログラムが暴走を始めて、サーバーを緊急停止しようかと思ったところです」
 テオドラキスがそう言いながらにっこりと笑った。まったく、彼の笑顔からは緊急事態が発生したことなどみじんも感じられないので拍子抜けするばかりだ。
「あんまり気持ちのいいもんじゃなかったけど、助かった」
 セテは小さく肩をすくめてテオドラキスに笑いかけた。
 その視線の先で、幼女の姿をしたサーシェスが立っている。先ほどのメタトロンの立体映像の中と同じように、目を伏せ、うつむいていた。小さな肩がかすかに震えているのが見てとれた。
「サーシェス」
 セテが呼ぶと、サーシェスの小さな身体がびくりと跳ねた。
「セテ……」
 サーシェスは、叱られるのを怖れて震える子犬のような顔をしてセテを見上げた。セテはサーシェスの目線に合わせて腰を落とし、その肩に両手を添えた。それでも、サーシェスの不安そうな表情は変わることはなかった。
「ごめんなさい……隠していたわけでも、自分の罪を赦してもらうつもりでもなかった……。ただ、あなたに拒絶されるのが怖かった」
「サーシェス……それは……」
 殊勝なサーシェスの言葉に、セテは動揺を隠せなかった。救世主《メシア》とも呼ばれた少女が、人に拒絶されることを怖れるなんて信じられなかった。
「私にすべてを与えてくれたふたりの人間がいた。ひとりは私を生み出し、私に知識と感情を授けてくれたレオーネ・シエロ。鬼気迫るほどの研究熱心なその姿に、同僚たちからは〈青き若獅子〉というふたつ名で呼ばれたけれど、語源をたどれば彼女の本名が意味する美しい言葉でもある。そしてもうひとり、ネオ・アースと地球との戦争を回避しようと働きかけた、地球から移民してきたばかりの青年将校……セテ・アーチボルド」
 セテの身体がぴくりと動いた。自分と同じ名前を持つ青年将校。初めてサーシェスの口から語られる人物だった。
「アーチボルドの姓が意味する〈勇敢さ〉同様、勇敢な彼の行動は彼の死後なお、〈勇気〉を冠する名前の英雄として受け継がれることになる」
 レオンハルトがかつて言ったことがあった。セテという名は勇気を表すのだと。実在の人物に由来していたのだ。サーシェスは、青き若獅子と呼ばれた母のような女性と、勇気の名を持つ青年の姿を、彼らが死んだ後ずっと誰かに重ね見て生きてきたのだろう。たったひとり、その長い命を抱えて。
「アーチボルドは──そのセテは、私に本当の愛情を教えてくれた最初の人間だった」
 サーシェスはつぶやくようにそう言うと、小さな腕をセテの首に回し、しがみつくように抱きついた。セテはその反動でよろけそうになったところでなんとか踏みとどまるのだったが、サーシェスの信じられない行動にどう対応すべきか分からなかった。
「ごめんなさい……私の過去の想いだけで勝手にあなたを選んでごめんなさい……巻き込んでしまって……本当にごめんなさい」
 サーシェスの声は震えていた。セテはサーシェスの背中に手を回し、その小さく華奢な身体をしっかりと抱きしめ返してやった。ロクランのサーシェスと交代して出てきた救世主の人格ではあったが、なぜだかロクランで過ごしたときの感情とよく似たものが胸に押し寄せてくる。救世主は愛した人間をずっと追い求めてきた。自分を委ねられる相手を探していたのだ。なんともいじらしい、ふつうの女性の姿ではないか。かつて自分が愛したサーシェスと同じ魂がここにいる、そう思えて、セテはこの小さな姿のサーシェスをとてつもなく愛おしいと感じた。
「謝る必要なんてない。君が必要とするとき、俺が力になればいい。そして俺が必要とするとき、今度は君が俺を支えてくれればいい。守護神廟で誓ったとおりに」
「セテ……」
 サーシェスはもう一度、力の限りにセテを抱きしめた。幼い腕は大人のセテを抱きしめるには小さいが、セテの身体に優しい力を注ぎ込むのに十分な抱擁だった。
 そのとき、足下から激しい衝撃音とともに振動が伝わったために、セテとサーシェスの身体は大きく傾いだ。きな臭い煙が、白い地面のすき間から漏れてきて、何かが次々にはじけるような音がする。
「過負荷でメタトロンが加熱したようです! サーシェス、セテ、ここを離れましょう!」
 テオドラキスがふたりをせかすが、それを合図にサーシェスはぷっつりと糸が切れた人形のようにセテの腕に倒れ込んだ。
「力の使いすぎです。ずっと、メタトロンと生体同期《シンクロ》してヴィジョンを実体化させていたんですから」
 テオドラキスは冷静な様子でセテとレイザークにそう説明した。
「つかまってください。転移します」
 テオドラキスの差し出した手に、セテとレイザークはおのおの手を差し出すが、触れるか触れないかの瞬間に彼らは外の入り口まで転移させられていた。その瞬間、メタトロンへの地下道の奥底で何かが崩れ落ちる激しい衝撃音が鳴り響いた。おそらく、床が崩落した音だろう。一行はそろって安堵のため息を大げさについたのだった。
 セテは意識のないサーシェスの小さな身体を抱きながら、力を使い果たし憔悴した幼い顔を見つめた。サーシェスはすべてを話してくれたはずだ。だが、まだ聞かなければならないことがある。そして、なにか重要なことが抜け落ちているような気もしたのだったが、いまはサーシェスがゆっくりと休めるよう、温かい寝床を用意してあげることを優先しようと思った。
 そう。なにか重要な。まだパズルのピースは完全ではないはずだ。
「さあ、夜も更けました。そろそろ集落へ戻りましょう」
 テオドラキスがそう促し、セテはサーシェスの身体を抱きかかえながら立ち上がった。彼女の身体は小さく軽かったが、それでも両腕に加わる重みは、知ってしまった真実の重みなのだと思った。

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