第三十二話:相互協力

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 初めて会ったときには敵だった。そして、一緒に旅をしたのはほんの一週間足らずのことだった。
 最後に彼女を見たのは、荒れ狂う神獣フレイムタイラントの咆哮が響き渡る炎の中だった。噴煙を上げるアジェンタスで真紅の竜騎兵《クリムゾン・ドラグーン》と対峙した彼女は、アトラスの炎の魔剣を肩に受け、術法に吹き飛ばされて瓦礫の向こうに姿を消す直前に、なんと言ったか。
 ──ごめん、セテ。あたし、もう一緒に旅できない──
 何度も夢でうなされた。どうして彼女を犠牲にしてまで自分が生き延びたのか分からなかった。己を生き延びさせた神を心底呪った。そしていま。
 セテに生涯、忘れ得ぬ傷をつけた赤毛の少女剣士が、目の前に毅然と立っていた。
「ピアー……ジュ……!?」
 呆けたような表情で問う。彼女はほんの一瞬だけ表情を崩したかのように見えたが、その瞳は依然として厳しい光を放っていた。
「ボサッとしないで! ここはあたしが引き受ける! セテはもうひとりを!」
 少女の甲高い声が鋭くセテを叱責する。
「もうひとり……」
 そこでセテはようやく我に返り、すばやく体を起こした。アスターシャである。
 アートハルクの狙いはサーシェスであるが、ロクラン側はアスターシャの帰還を願っている。黒砂漠商会がどちらから、どのような依頼を受けたかは問題ではない。アスターシャをこのような野蛮な連中に触れさせてはいけないのだ。
 ピアージュは新たに迫り来る敵に向かって剣を振り回した。アサシン・ブレード。その暗殺者の剣にほんの少し触れただけで、ふつうの人間なら意識を失う。長時間接触すれば命に関わる、〈土の一族〉の恐ろしい業物だ。
 セテは床に転がる男たちの体を飛び越え、アスターシャの船室を目指して駆けだした。甲板へと続く階段の上で、ジョーイがはしごを破って侵入してきた輩と格闘しているのが見えた。
「セテ! お姫サンを!!」
 ジョーイが剣とモップを器用に振り回しながら叫ぶ。続いて少女の悲鳴。アスターシャの声だ。
「アスターシャ!!」
 階段の上からジョーイの妨害を突破した男たちが飛び降りてきたので、セテは拳を構えた。セテが突き出した拳を男たちはなんなくかわすが、彼らの隙間から、数人の男たちに囲まれているアスターシャの姿が見えた。
「どけ! 邪魔だ!」
 セテは膝下を繰り出すが、足首を掴まれひねられる。セテは足首を防御するために体ごと脚をひねり、体を反転させる際にもう一方の脚で男の顎を捕らえた。見事にブーツが直撃し、脳しんとうを起こして敵はガックリと膝をついた。その敵を押しのけ先へ進もうとしたが、そこでセテは別の男に髪を掴まれ、二発、三発と拳を食らうはめになった。
「セテ! セテーッ!!」
 アスターシャがセテの姿を見つけて叫んだ。手足をばたつかせて男たちを振り払おうとしているのだが、すぐに両手をひねられ、そのまま男に担ぎ上げられてしまう。
「クソッ! どきやがれ!!」
 セテの手が右腰を探り、飛影《とびかげ》の柄を掴んだ。引き抜いたとほぼ同時にセテに襲いかかろうとした敵がのけぞる。超硬質の飛影《とびかげ》の刃が、男たちの腹や利き腕を切り裂いていた。
『王女を確保した。総員撤退せよ!』
 伝声管から男の声がする。黒砂漠商会の手の者だ。その言葉を合図に、戦闘中だった男たちはほんの一瞬動きを止め、それから格闘していた相手を突き飛ばして逃走の姿勢を見せた。
「野郎! 逃がすかよ!」
 捕らえたアスターシャを担ぐ男を追うセテの前がまたしても塞がれるが、セテは躊躇なく飛影を振るい、男たちの膝下や太ももを切り裂いた。悲鳴をあげて転げ回る男たちをセテは難なく飛び越え、アスターシャと黒砂漠商会の男の後を追う。アスターシャを担いだ男は船首へ向かって走っている。この先は行き止まりだ。そこでなんとか追いつけるはずだ。
「アスターシャ!!」
「セテ!!」
 男の肩の上でアスターシャがセテの声に応えた。彼女は懸命に手足をばたつかせているが、屈強な男の腕で両手両足を掴まれており、彼女の力ではどうにもふりほどくことができないようだ。王女を担いでいる男の両脇には追っ手を撃退すべくふたりの男が固めており、三人は互いに絶妙な距離感を保ったまま、まっすぐ廊下を走り続けている。
 だが潮時である。案の定、彼らは船首のあたりで立ち往生となった。そこへセテが駆け寄ってきて飛影《とびかげ》を構えた。滑り込むように間合いを瞬時に詰めた青年の姿に、男たちは狼狽しているように見えた。彼らに逃げ場はない。いくら手練れといえども、たかが黒砂漠商会のような素人に毛の生えたような連中に、人質を抱えたまま職業軍人の剣をかわす余裕などあるはずがない。セテが勝利を確信してニヤリと笑い、硬質な飛影の切っ先で男の足下を切り裂くべく下からなぎ払ったが。
 その瞬間、男たちの姿がきらめき、歪む。飛影の刃は手応えのない中空で振り上げられただけだった。アスターシャを捕らえたまま、男たちの姿は忽然と消えてしまったのだ。
「門《ゲート》!? まさか!」
 セテは吼えるように叫び、あたりを見回す。移動用の門《ゲート》を発動させるには、魔法陣が必要だ。しかし、こちらの船にそのような仕掛けがあるわけでもなく、床にはその痕跡もない。
 セテが振り返ると、さっきまで廊下や階段などで格闘してた男たちの姿も、次々に消えていく。ちょうどジョーイがすぐ目の前の男にモップを突き出そうとしていたところだったが、モップの先が宙を仰いでそのままジョーイの体も前のめりになり、派手に階段を転げ落ちてくるのが見えた。
「ジョーイ!!」
 セテはジョーイに駆け寄り、起き上がるのを手伝ってやる。
「俺はいい! お姫サンは!?」
 ジョーイは跳ね起きて尋ねる。だが、セテの表情を見て即座に理解したようだった。
 それからふたりは甲板に駆け上がり、レイザークの姿を探した。何人かがレイザークの剛剣にやられてのたうち回っていたり、ヨナスの砂袋で脳しんとうを起こして伸びているが、乗り捨てた〈ドラゴンフライ〉があちこちに転がっているだけで、侵入者たちの姿は見当たらなかった。
「セテ! ジョーイ! 救世主《メシア》とアスターシャ王女は!?」
 聖騎士らしい口調でレイザークが怒鳴りつけた。
「アスターシャは……やつらに連れていかれた。目の前で消えちまったんだ。門《ゲート》の魔法陣もなしに」
「サーシェスの嬢ちゃんは!?」
 問われて、セテが思い出したように甲板から降りる階段に向かって駆けだした。が、そこで足を止める。サーシェスの小さな体を抱きかかえた人影が姿を現したからだった。
「お嬢チャンは無事よ。もうひとりのお嬢チャンもね」
 声の主の脇からベゼルが泣きながら駆け寄ってきたので、セテはその小さな体を抱き留めてやる。レイザークもベゼルに駆け寄ってきて、まるで父親のように彼女の小さな頭を愛おしそうになでてやり、無事を喜んだ。確かにレイザークの年齢であれば、これくらいの娘がいてもおかしくないのだが、セテにとってはレイザークの意外な一面を見たような気がした。セテは鼻の奥がつんとするのを感じたあとすぐに目頭が熱くなってきたので、努めて平静を装って立ち上がり、抱きかかえられたサーシェスに目をやった。
 サーシェスは声の主の腕の中で相変わらず意識がないようだった。おかっぱ頭の銀髪が少し乱れていたが、見たところ怪我はない。セテはサーシェスの体を受け取り、強く抱きしめた。軽い。ずっと以前にロクランでサーシェスを抱きしめたときの手応えはまったくなくなってしまっていることに、不謹慎ながらも納得がいかないが、なにより彼女が無事でいたことが自分にとってのすべてだ。
「あ……やっぱり、キミ、セレンゲティからの乗組員だよね?」
 ジョーイが間抜けっぽい声を発したが、その声に一同は注目する。短く刈り上げた赤毛に、大きなつり上がり気味の瞳、小柄で華奢だが腰には二本の剣を差し、剣士らしい均整の取れた体躯の少女に対してである。
 レイザークが少し険しい表情で彼女を見つめる。
「いや、セレンゲティからの船に女は乗せていない。ヴィンスの船にも女の乗組員はいないと聞いている。助けてもらったようで礼を言いたいところだが……」
「密航者……ってところかな」
 少女は含みを持たせてそう言い、少しいたずらっぽく笑った。
「ピアージュ……」
 セテがそう名前を呼んだ。名前を呼ばれた少女は、うれしそうに目を細めた。
「久しぶり。セテ」
「ピアージュだと? あの、アジェンタスの?」
 レイザークが珍しく口をパクパクさせている。セテの話では彼女はアトラスとの対決の際に命を落としていたはずだ。幽霊とまでは思ってもいないだろうが、その表情は生き返った死人を見た人間のそれである。
 ピアージュは軽く手を叩き、一同の気を引き締めてやる。
「積もる話もあるけど、まずは状況を整理すべきよ。やつらがなんで消えてしまったのかは分からないけど、残った何人かの捕虜に聞かなきゃならないこともあるでしょうし」
 戦闘不能状態で置き去りにされた黒砂漠商会の男たちは、ヴィンスの命令で即座に乗組員たちに拘束され、引き立てられていた。マストの上にいたヨナスもそれを見届けられたことに満足したようで、ようやくふわりと甲板に降りてきた。
「あいつらの尋問は俺に任せておけよ。こういうの、テオドラキスから教わってんだ」
 ヨナスが得意げにそう言った。〈気〉の力で人を操ることのできるテオドラキスの特技を、ヨナスも習得しているらしい。実に楽しそうである。
「それと、門《ゲート》用の魔法陣がなくとも瞬間移動は可能だ。個人用に開発された転移装置ってのが大昔にあってな、だがそんなものをあんなヤクザな連中が手に入れることはできない。アートハルクか中央の技術協力があれば別だがな」
 ヨナスがそう言ったのを受けて、ピアージュが革のパンツのポケットをゴソゴソと漁った。
「たぶん、アートハルクでしょうね。捕虜のひとりが持ってたけど、こんなのが辺境のあちこちでばらまかれてるんじゃないかな」
 ピアージュが差し出したのは、セテがハドリアヌスの影から見せてもらった手配書である。しわくちゃでところどころ破けて血糊がついているが、文字を判別するのに十分だ。内容はもちろんだが、ロクランとアートハルクの紋章が描かれていることに、レイザークが軽く舌打ちをした。






 ヴィンスの表情はずっと苦々しいままである。当然だ。弟の仲間とはいえ、関わり合いになりたくないと言っていた矢先から二度も海戦に巻き込まれ、二度目は錨《アンカー》やら〈ドラゴンフライ〉だので自慢の船体を傷つけられたうえ、ならず者たちの血糊で甲板や船内を汚されたのではたまったものではない。
 彼の頭の中では船の修繕費用がたっぷりと積み上げられており、それを聖騎士の男にどう請求しようかの算段をしているに違いなかった。
 黒砂漠商会の捕虜たちは拘束され、ヨナスの術法による尋問を受けている。ヨナスの用が済むまでの間、船は海上で停泊し、船内の一室で船長であるヴィンスと、レイザークたち一行はテーブルを囲んで待機することとなった。
 船室は客人用のもので、毛足の長いふかふかした絨毯に、年代物で多少黒ずんではいるがピカピカに磨き上げられたテーブルと、座り心地のいい革張りの椅子、豪奢な飾りのついたクリスタルガラス製のシャンデリアといった、大昔の古い書物に出てくるような調度品が詰め込まれている。言葉を選ばずに言えば、海賊船の船長が悪巧みをする部屋とでも表現できそうな、まさに旧世界《ロイギル》時代の遺物といったところか。これもヴィンスの言う美学なのだろう。
 ヴィンスは上座の椅子にどっかりと腰を下ろし、両足をテーブルの上に載せたまま腕組みをして考えている。ブーツの筒を固定するベルトについているドクロの形をした飾りが、波に揺られる船体に合わせてチリチリと小さな音を立てていた。
「終わったぞ」
 ヨナスが船室の扉を開けて入ってきた。
「下っ端ばかりで苦労したが、指揮官相当の男がいた。やっぱり依頼主はアートハルクのようだ。直接ではないが、間にいくつかの民間軍事組織を挟んでいるらしい。そういった連中に、あの手配書が配られてるんだとさ」
「まぁいつものことだな」
 ヴィンスはさして驚きもせずにそう答えた。
「それで、あのお姫サマはいったんアートハルク側に引き渡されるそうだ」
「ロクラン直送じゃないのか? なぜ?」
 セテが驚いて声をあげる。
「アートハルクも間抜けじゃない。ただでロクランの望みを叶えてやるとは思えん。まして、自分たちの望んでいた救世主は手に入らなかったわけだし、それも想定して、ふたりともまずは自分たちの手に置くことが条件だったんだろうよ」
 レイザークがそう割って入ったので、ヨナスは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「アートハルクが不逞の輩から占領国であるロクランの王女を奪還したとなれば、世論を味方につけられる。そろそろ世間もロクランの占領すら忘れている頃だろうしな。アジェンタスを火の海にしたことだって忘れられ始めてるんだ、王女救出を表向きの和平工作に利用できるならするだろうよ」
 レイザークはセテと、その向かいに腰掛けているピアージュをちらりと見ながらそう言った。
「王女の引き渡し場所を聞き出せたぞ」
 そうヨナスは声を張り上げ、自分の優位性を示すために胸を張りながら偉そうに言った。
「助けに行こう! いまなら間に合う!」
 セテがそう言ってテーブルについている面々の顔を見回したが、レイザークもヴィンスも渋い顔をしたまま答えない。
「なんだよ、なにしょぼくれてんだよ!」
「船の損傷が激しい。それに燃料がもたん。おまけに、長老には入国を禁じられているしな」
 ヴィンスがそう説明した。
「あんなバアさんの言うことなんか無視して、いったん港で補給すればいいだろ?」
 セテが食い下がるが、
「長老はラナオルド議会の監視人兼助言者だ。ただの末裔の者でも隠遁者でもない。ま、実際に議会に顔を出すことはないから隠遁者みたいなもんだが」
 ヴィンスがそこでいったん言葉を句切り、ジロリとセテを睨む。
「そんなことより、俺はもう関わりたくない。通常業務に早く戻りたいんだ。損害賠償だってそこの聖騎士の旦那と相談してどう支払ってもらうか考えなきゃいかんし、遅れてる積み荷の運搬も、代わりの船を見つけて遅延金をさっ引かれながらこなさなきゃならん。これ以上、あんたらの戦争ごっこに付き合うつもりはさらさらない」
 ヴィンスの言葉に、セテはぐっと唇をかんだ。巻き込んでしまった負い目がある。もともと辺境のどこかで降ろしてもらう予定だったのだ、長老の言い分と同様、巻き込まれたくないという彼らの要望はもっともである。
「レイザークは? どうすんだよ、これから」
 セテはレイザークに尋ねた。レイザークが腕組みをして唸る。考えているか、考えが及ばないか、あるいは拒絶をどう切り出すかを考えているレイザークのいつものクセだ。
「あんたまさか」
「片方だけで済んでよかった──ってことだろ?」
 そう言ったのはヨナスだ。
「救世主を奪われるよりは、王女のほうが深刻度は低い。ロクランは王女の身の安全が欲しいだけだが、アートハルクはそうじゃない」
「冗談でもそんなこと言ってんじゃねえぞ」
 セテはヨナスを睨みつけた。しかし、
「不謹慎だが、ヨナスの言うとおりだ。ガートルードが神の黙示録の解読を完遂するのに、救世主が重要な鍵を握っているのは確かだが」
 レイザークまでもがそう言ったので、セテは声を張り上げ、テーブルを両手で乱暴に叩く。
「ひでえ言い草だな! アスターシャは仲間だぞ!?」
「影響の大きさを話している。黒砂漠商会はべらぼうな礼金のおかげで依頼主には義理立てするだろうし、しばらくは王女の身は安全だ」
「安全かどうかなんて分からないだろ!? やつらに乱暴されない保証はないだろが!」
「お前、案外ゲスいこと考えるんだな」
 ヨナスが横やりを入れる。
「うるせえ! 黙ってろ!!」
 セテがヨナスを怒鳴りつける。ヨナスが「へいへい」と軽く受け流したのが気に入らなかったのか、セテはテーブルの脚を蹴った。
「その点は安心しろ。確かにあいつらのような組織はクズだが、ああいった連中の義理堅さは天下一品だ」
 ヴィンスがさらに割って入ったが、セテはヴィンスまでも睨みつけて嫌悪感をむき出しにする。
「アートハルクに引き渡されたらどうなると思ってんだ」
「さてな。だが少なくとも、あんたらと一緒にいるよりは身の安全は確保できるってそこの旦那は言いたいんだよ」
 ヴィンスが手をひらひらさせながらそう言った。まるでだだっ子をかわすような仕草である。
「そういうわけだ。ヴィンス、すまないが最後の願い事だが、我々をどこか適当な停泊地で降ろしてほしい。損害賠償については後ほど口座に支払う。船賃も上乗せする」
 レイザークがそう言ったので、ヴィンスは交渉成立に気をよくしたのか、パンと両手を打った。
「承知した。だが港というわけにはいかん。手配書が回っているんだ、そこでまた戦闘に巻き込まれてはかなわん。非常時の中継基地がある。そこまで付き合ってもらおう。ジョーイがよく知っている。そこからの足はできるだけ確保してやる」
「了解、兄貴。恩に着るよ」
 ジョーイが礼を述べたのに対し、ヴィンスは苦々しげではあるものの、まんざらでもないようだ。年の離れた弟に頼られるのは気分がよいのだろう。ヴィンスはジョーイに頷き返しながら立ち上がり、部下たちに指示を与えるために船室を出て行った。
 それからヨナスも、王女を奪われたことで意気消沈しているベゼルが気になるらしく、部屋を出て行ってしまった。ガキだなんだと言っても、女性には優しいところがあるらしい。
 憤懣やるかたなしなのはセテである。拳をテーブルに叩きつけ、怒気を含んだため息を荒い鼻息とともにはき出してどっかりと椅子に座り直す。
「さて、と」
 レイザークは椅子に浅く座り直したかと思うと、ヴィンスと同じようにテーブルに足を載せ、セテをじっとりと睨みつけながらそう言った。
「お前が言ってたのはあの手配書のことだな。なぜ知ってた。俺たちが航海中に、あんなものを目にする機会はなかったはずだ」
 静かに、だが疑わしげな低い声でレイザークはセテを詰める。こういうときに必ず自分の体がわずかに反応するので、レイザークにはお見通しなのかもしれないとセテは思った。
「警告と言ったな。誰が警告した。そこのお嬢ちゃんでもあるまい」
 セテがピアージュに視線を移したのもレイザークはよく観察しているようだ。言い訳の切り札にするつもりだったが、ピアージュが姿を現したことで驚いていたのはみんなに知られている。時系列が合わないことなど、レイザークでなくとも分かる。
「まったく」
 ため息交じりにそう言ったのはピアージュであった。
「そろそろ正直に言ったら? 自分は飼い犬だってさ」
 いたずらっぽく笑いながらだが、少女の言葉は実にとげとげしかった。セテの体がびくりと震えた。
「中央にいるやんごとなき飼い主サマが、これまでのあれやこれやを手引きしてたんでしょ。あんなバカみたいな条件までつけちゃってさ」
「どういうことだ。はっきり言え。条件とはなんだ」
 レイザークの表情は尋問のそれだ。大柄の聖騎士が身を乗り出して尋ねたそのとき。
『〈中央〉とひとくくりにされても困る。中央とて一枚岩ではない』
 聞き慣れない声に、一同の体が緊張に固くなる。扉の近くに黒い影がにじみ出すように現れ、それが人型になるまでそう時間はかからない。レイザークが忌々しげに舌打ちをしている間に、闇から現世《うつしよ》に舞い戻ってきたような長身の男の姿に変わっていた。
「やっぱりあんたが糸を引いていたのか」
 レイザークはタバコを取り出して火を付け、大きく吸い込んだあとに現れた男に向かって盛大に煙を吐いて見せた。当人がそこにいるわけではないと分かっていても、精一杯の悪態をついたつもりなのだろう。
「知ってるの?」
 ジョーイが小声でレイザークに尋ねると、
「聖救世使教会祭司長ハドリアヌス、俺の上司、といっても直属じゃなく超上位のだがな」
 ジョーイが蛙のようなうめき声を発した。無理もない。中央の組織の中でも術者を束ね、独自に聖騎士団を従えている特異な位置づけの、その頂点にいる人物だ。
 フードを目深にかぶり、顔こそは見えないが、銀色に輝く裾の長いシルクのローブに金糸で綴られた鳳凰の刺繍が揺らめいている。鳳凰は聖救世使教会の紋章であり、式典でもないのにこのような法衣を常にまとえるのは、祭司長ただひとりである。
『パラディン・レイザーク、救世主をよく守り、よく働いてくれた。礼を言う』
 ハドリアヌスの言葉に、レイザークが再び舌打ちをする。
「行きがかり上、仕方なく、だ。望んだことではない。あんたがこのバカをそそのかしてくれたおかげで、こっちは余計ないざこざに巻き込まれてたいへんな目に遭った。あんたには説明責任がある」
〈このバカ〉とはもちろんセテのことだ。
『君たちにとって救世主が記憶調整を受け、罪に問われるのは都合が悪かろう。私はそれを手助けしただけだ』
 ハドリアヌスは素知らぬ素振りでそう言った。
「償いも記憶調整も本人が望んでいた。そうさせたくないならしかるべき手続きを踏めばすむ。あんたにはそれができたはずだ。光都にいればアートハルクの連中に追い回されることもない」
『ひとつは、光都はもはや安全ではないという点だ。ガートルードはヴィヴァーチェという脆弱性を利用して中央議会を振り回し、内側から光都の要石を開放する一歩手前まで成功した。ヴィヴァーチェに身をやつしたアートハルクの巫女が、救世主を拐かすことも可能だった。これも私の機転と君たちの働きで未然に防げたわけだが』
「ふん」
 レイザークが鼻を鳴らした。この大柄で色黒の聖騎士は、よほど自身の頂点にいる男が気に入らないらしい。
『ふたつ目は、中央とて信用できないということだ』
「あんたもその〈中央〉を構成する要素なわけだが」
『一枚岩ではない、と先ほども述べたとおりだ。ラファエラ・フォリスター・イ・ワルトハイム将軍の後釜の、マクスウェルとかいう若造だが』
「少なくとも俺には十分オッサンだがな」
 レイザークが面白くなそうに茶々を入れるが、ハドリアヌスは気にも止めなかった。
『あれの頭には中央特務執行庁や特使ばかりか、中央議会まで自分のいいように扱うことしかない。自分の野心に忠実で、権力と権限をはき違えている、ただの無能だ』
「そこだけは同意だ」
 レイザークが肩をすくめてそう言った。
『アートハルクはもとより、中央にも救世主を渡すわけにはいかない。かといって、中立を保つべき私が介入するわけにはいかない。そこで白羽の矢が立ったのが』
「こいつというわけか」
 レイザークはセテを顎で指し示し、タバコの煙を吹きかけた。
『中央とは完全に独立した組織があればよい。幸い、彼は君の非公式な組織の一員だ。彼には助言を与え、今こうして君たちを導いてもらったというわけだ』
「こんな半人前にやらせたのが間違いだったがな。おかげで中央からもアートハルクからもお尋ね者だ。これ以上、こいつに何をやらせるつもりだ。あんたのおもちゃにするには物足りないだろ、レオンハルトと違って」
 レイザークが険悪な表情で吐いた言葉に、セテの体がわずかにびくついた。ハドリアヌスは答えない。
「ふん。図星か。あんたがレオンハルトに執心していたのは一部じゃよく知られた話だったもんな。だからこそ、レオンハルトを閉じ込めていた水晶の塊を手元に置いてたんだろうし」
『歴戦の勇士である彼を保護し、旧アートハルク事件の真相を解明する義務が私にはある』
「ご立派なことで」
 レイザークは灰皿にタバコを押しつけ、セテに鋭い視線を投げかけた。レオンハルトの名が出たことでセテが呆けたような表情で口を開けたままになっているので、レイザークは大きなため息をついた。
「世界中から追われることになったし、頼みの〈水の一族〉には末裔の者含めて協力を拒否されている。どうすべきかご教示いただけませんかねェ」
 レイザークはおどけたようにハドリアヌスの影を仰ぎ見た。
『まずは資金面で最大限の便宜を図ろう。エルメネス大陸の銀行では、君たちの口座は凍結されている。金が入り用だろう。新しく口座を用意した。あとで指定した場所で照合鍵を受け取るがいい』
「くっそ……俺の十七年分の貯蓄が……」
 レイザークが頭をかきむしる。横でジョーイが「そんなに貯めてたの?」と尋ねるが愚問である。聖騎士の報酬と任務完了後の特別報酬といったら、中央の組織の中でも上位三指には入る。
『なかなか現実的だなパラディン・レイザーク。すべてが終われば凍結も解除されるだろう。それまでの辛抱だ』
 ハドリアヌスは愉快そうに笑った。しかし、その言葉でレイザークは動きを止め、ハドリアヌスを睨みつける。
「すべて、とは? 何をさせるつもりだ。なぜあんたにとってそれほど救世主が重要だ」
 ハドリアヌスの影は答えない。
「あんたまでもが〈神の黙示録〉の解読を狙っているわけではあるまい」
『なるほど、君たちはセレンゲティを訪れ、〈見た〉わけだな。ならば話は早い。我々には時間がない』
「星間弾道弾と無人殺戮戦艦《オート・ジェノサイダー》……だな」
 そこでセテがようやく口を挟んだので、ハドリアヌスは静かに頷いた。
『この事実を知るのは中央でも私を含めて数人しかいない。大戦終結後、二百年ぶりに到達する殺戮兵器だ。公表すれば民衆は大混乱に陥る。逃げる術がないと分かった人々は自暴自棄になり、残された時間で本能や欲望に任せてなんでもするだろう。二百年をかけて復興した文明や秩序が崩れ去るのだ。我々はそれを阻止しなければならない』
「ガートルードが要石の撤去を要求しているのは、フレイムタイラントで無人の殺戮兵器を撃破するからなのか」
 セテは尋ねた。どうしても自分の仮説が正しいかどうかを確かめておきたかった。
『おそらく。否定する者も多いが、私はそう見ている』
「よっしゃ!」
 ハドリアヌスの返答に、セテは声を上げて拳を振り上げた。「やかましい」とレイザークにどやされておとなしく座り直すことにしたが。
『ただ、青臭い正義感に燃えているのも事実だ。辺境と中央との格差をなくし、平等な世界を構築するのはダフニスの悲願でもあったようだしな』
「銀嶺王ダフニス……が……」
 ダフニスの名が出れば必ずレオンハルトの話題が出る。当時のアートハルクが戦争を引きおこしたこととダフニスのその悲願とやらは、無関係ではなさそうだ。それにレオンハルトやガートルードがどう絡んでいたのか。
「やはりガートルードはダフニスの悲願を引き継いでいるというわけか」
 レイザークが唸る。
『おそらく』
 ハドリアヌスが答えた。
『ここへ来て、中央はふたつの困難な課題を解決せねばならない。ひとつは、ガートルード率いる新生アートハルクの侵略やフレイムタイラントの復活だ。もうひとつは、この星に飛来する、母星からの無人殺戮兵器の阻止。いずれもこの星で生活する人々の安全を脅かすものだが、後者はいまのところ手立てがない。公表できないうえに救世主の惑星防御だけでは持ちこたえられないし、我々は迎撃する術を持たない。だが、前者だけならいま対処は可能だ』
「神出鬼没でどこにいるか分からない連中を、中央がいまだ探すことができないのにか?」
 セテがそう言ったのを受けて、ハドリアヌスの口元が歪んだ。
『私が何者か、まだよく分かっていないようだな、トスキ特使。中央の組織にできないことが、私にはできると何度も言ったはずだ』
 笑っているのだ。
『アートハルクをあぶり出すのだ。そのための切り札が、私の手元にある』
 セテは体中の皮膚が粟立つのを感じた。レイザークはなんと言ったか。ハドリアヌスが執心していたという人物が、彼の元にいるではないか。
「まさか……」
『レオンハルトに聖騎士団を率いさせ、アートハルクと会戦させる。兄が筆頭にいれば、ガートルードも黙ってはおられまい』
「こっちから戦争を仕掛けるだって? ハン! レオンハルトが黙って従うかな。中央だって全面戦争は避けるはずだ」
『そのためにいま準備をしているのだ。これは後者の課題を解決するためにも必要なことだ。ガートルードとその取り巻き連中を殲滅し、その間に救世主の中にある〈神の黙示録〉の片鱗から、惑星防御の鍵を探し出す』
「手立てがないんじゃなかったのかよ」
『なんのために私が聖救世使教会で術者や〈智恵院〉を束ねていると思っている。中央のいかなる組織にもできないことを、私だけが成し遂げられるのだ。我々は多少の犠牲を払ってでも、この星を守らなければならない』
 ハドリアヌスの力強い言葉に、セテもレイザークも押し黙る。政治とはこういうものなのだろう。確かに、レオンハルトを前線に出せばガートルードは必ず打って出てくる。アートハルクを阻止すれば、フレイムタイラントによって地上が再び蹂躙されることはない。そしてもしハドリアヌスの自信が本物であれば、彼は母星からの殺戮兵器にも対抗できうる研究成果を出しているはずだ。身内で足の引っ張り合いを続け、何に対しても対応の遅い中央ではあてにならない。中央にいながらにして中央から独立し、中立を保つ聖救世使教会でしかできないというのは事実なのだろう。
 しかし、レオンハルトは現在も意識不明の状態だし、仮に彼が目を覚ましたとして、あの伝説の聖騎士とまで謳われた剣士が、そう簡単に実の妹を討伐する計画に賛同するとは思えない。
「大局については理解した。あんたの言うとおりかもしれん」
 レイザークが大きく長いため息をついたあと、そう言った。
「あんたのその計画を成就するために、救世主を中央にもアートハルクにも渡してはいけないというわけだろう。それは分かったが、いま我々はそのどちらからも追われている。そもそも、セテになにをさせるつもりだった」
『さすがに、計画なしでただ逃げ回れと言ったら君は激怒するだろうが』
「当たり前だ!」
 レイザークが腕組みをし、テーブルに載せた足を組み替えながら怒鳴った。
『辺境に出たのは正解だったな。〈水の一族〉に会うのだ。これは最優先事項だ。万が一フレイムタイラントが復活するようなことがあった場合の防衛に、彼らの持つ〈水の核〉は必須だ』
「末裔の者に取次を拒否されたことは知っているだろうが」
 レイザークが苦々しげに言い放ったが、
『パラディン・レイザーク、君ではない。トスキ特使に言っている。私は彼の直感的な行動を、ある意味で評価しているのだがね』
「俺?」
 セテが間抜けな声をあげた。
『聖騎士団の中堅どころのパラディン・レイザークは、十七年も仕官していたために、彼自身が気づかぬうちに中央の不文律に体が従ってしまう。しかし、君はまだ若く、特使とはいえ中央に染まっていない。君の柔軟で型破りな発想や行動に期待している』
「褒められてるのかけなされてるかよく分かんねえけど……なんとかしてみる」
『それでいい』
 ハドリアヌスの口角が上がり、満足そうに微笑んだように見えたが、その出で立ちからすれば悪玉の親分だ。そして、彼の話しぶりは見事なのだが、頂点に立つ者が常に腹の底を見せないように、彼の考えは顔が見えないこともあってまったく読み取れない。信用できないというのが本音である。
『では、後ほど銀行の照合鍵の場所をトスキ特使を通じて連絡する。幸運を祈る』
 ハドリアヌスは法衣を両手でかき寄せた。話を切り上げるつもりなのだろう。
「あ、ちょ、ちょっと待った!」
 そこでセテが声をあげた。背を向けようとしていたハドリアヌスがセテの声に振り返る。
「あの……例の話、本当なんだろうな?」
『ああ……』
 ハドリアヌスは、いま思い出したとでも言わんばかりにもったいぶってそう答え、
『もちろん、検討している』
 聖救世使教会の祭司長の影はもとの何もない空間に溶けていった。
「相変わらずイヤなヤツ……」
 セテは腕組みをしてどっかりと椅子に座り直した。レイザークが険悪な表情でセテを睨みつけているが、
「なんだよ。言いたいことあんだろ?」
 と、セテは逆に完全に居直っている。
「光都でお前の姿が見えなくなったときがあったな。そそのかされたのはそのときか」
「そそのかされたとか、人聞き悪いこと言うなよ」
「そもそも、お前の意志じゃないだろうが」
「サーシェスを助けたかったのは俺の意志だぞ。そりゃ……巻き込んじゃったのは悪いと思ってるし……」
「そうじゃない。あの男にいいようにされたのが気に入らねえんだ俺は」
「自分の上司だろ。それに、全面的に協力してくれてるわけだし」
「あの男が無条件で協力するなんてェときには、なにかよからぬことを考えてるんだよ。事実、お前は光都でネフレテリに精神攻撃を食らったが、あれだってあの男は予見していた。なのに放置しやがったクソ野郎だぞ」
「あんただって、俺をあいつの元に連れて行く特命を受けてただろ?」
 そう言ってセテが睨み返す。レイザークが唸る。
「あいつは俺の上官に当たるんだし、その件はもう片がついただろうが! あいつはレオンハルトの救出にお前が必要だっただけだ!」
「ならいいだろ。サーシェスの救出に俺が必要だった。俺と利害が一致しただけなんだよ」
 セテは横柄な態度で前髪をかきあげた。しかし、
「違うでしょ、セテ。目の前にぶら下げられたエサに食いついただけじゃない」
 そう割って入ったのはピアージュだった。
「エサってなんだ。さっきから含みを持たせて遊んでるつもりなら……」
 今度はレイザークはピアージュに鋭い視線を投げかけ、身を乗り出す。ピアージュは小さくため息をついて肩をすくめて見せると、
「セテが飛びつくエサなんて、こんなに分かりやすいものは他にないのに。聖騎士の資格、でしょ?」
「はぁ!?」
 レイザークはそう大声を上げて立ち上がり、つかつかとセテの前まで歩いていく。
「自分で言ったのか? 聖騎士にしてくれって」
「そんな小物っぽいこと言うかよ!」
「うまく立ち回ったら聖騎士にしてやるってか! そんなエサであんなクソ野郎になびいたのかお前は!」
 レイザークはセテの胸ぐらを掴んで引っ立たせた。
「聖騎士になるってのがどういうことか分かってんのかお前は!? 実力もねえくせに色気出しやがって! 聖騎士をなめんじゃねえぞ!!」
 レイザークの強烈な拳がセテの横っ面に叩きつけられる。後ろの椅子ごと吹き飛ばされ、ヴィンスが大切にしていたであろう調度品が見事に砕け散った。ジョーイが「あちゃ〜」という顔をしてふたりを見守る。
「ああそうだよ!! 俺は在学中に聖騎士資格を取れたあんたと違って実力がないんだよ!! そんな俺の焦りなんか、あんたにゃ分かんねえだろ!?」
 ワイングラスだのの破片にまみれ、殴られた頬も気にせずセテがそう噛みついた。
「当たり前だ! 焦って聖騎士になれるんなら、俺は百万回くらい聖騎士になれたわ!」
「聖騎士になれた人間の言葉なんかに意味なんかねえよ!! 俺があんたのそばであんたが剣を振るってるのをどんな気持ちで見てたかってのも、あんたに言ったって仕方ねんだよ!!」
 絞り出すように叫んだセテの言葉に、息を荒くしたレイザークが呆れたようにため息をついた。
「あの男が本当に聖騎士にしてくれると思ってんなら、もう俺に言うことはねえ」
 レイザークは彼は拳を収めた。その拳は震えている。それから大柄な聖騎士は大股にのしのしと歩いて船室の扉を開け、乱暴に後ろ手で閉めて出て行った。廊下にレイザークの怒りの足音が響き渡っていたのが聞こえなくなったところで、ジョーイが大きなため息をついて立ち上がり、セテに手を差し伸べて立たせてやる。
「まぁ、セテの気持ちは十分すぎるほど分かるし、旦那の気持ちだって分かるよ」
 ジョーイが手ぬぐいを差し出して、切れたセテの唇に押し当ててやる。
「分かるわけねえだろ。気休めはやめてくれ」
 セテは小声で悪態をついた。
「分かるって。俺だって兄貴がうらやましくてさ。ちゃんと地元の海軍に合格して立派に任務をこなして帰ってくる兄貴は、すげえかっこよかったよ。早期に退役して自分の会社まで作っちゃって。俺は海軍に合格できなかったから、兄貴がうらやましくてねたましくてしかたなかった」
 セテが意外そうな顔をしているので、ジョーイは軽く微笑んだ。
「そういうの、表に出してもしかたないからさ、言わなかっただけで。それと旦那の場合はね、自分でセテを育て上げてみたかったんだよ」
 さらにセテの表情が驚きに染まる。
「ああいう性格だからさ、酔ったときにしか本音を言わないんだけど、よく酒を片手に言ってたなぁ。あいつをいっぱしの剣士にしてやるんだって。だから、育て上げる前に祭司長みたいなのが余計なちょっかい出してくるのが気に入らないんだよ。別に、本気でセテのことを実力がないなんて思っちゃいない」
「だったらそう言えばいいのに」
 できるだけ感情を殺した声で、セテがぽつりとそう言った。ジョーイはまた笑う。
「だから、言えないんだよ。セテは俺よりレイザークと一緒にいる時間が長いんだから、そういうの知ってると思ってたけど」
 言われて、セテはため息をついた。ふと顔を上げた先には、ピアージュがいた。
「あたしも。あのおじさんの気持ち、分かるな」
「おじさんなんて本人が聞いたら、八つ裂きにされるぞ」
 セテが悪態をついたが、ピアージュは気にも止めない。
「あたしも気に入らないもん。あたしの知ってるセテは、そんな都合のいい条件に踊らされるような男じゃなかったはずなんだけどな……。あんなよく知りもしないような男に利用されて、すっごく気に入らない。セテ、変わっちゃったね……」
 ピアージュが寂しそうにそう微笑みながら言ったので、セテはピアージュから視線を背けることしかできなかった。
「どうして生きてたのかって聞きたいよね。ふふ。あのときは本当にたいへんだったもの。あいつに切られた左肩は、いまでもちょっと動きにくいんだ。ほら」
 ピアージュは袖のないチュニックの肩のラインを引っ張り、見せてやる。肩口から鎖骨の下まで、大きな傷跡が残っている。心臓に達しなかったのは幸いといっていいだろう。
「目が覚めたときには瓦礫の下だった。たぶん、もう少し意識が戻らなかったら、そのまま失血死してたと思う。そのあとなんとか孤児院に戻って治療を受けて」
「……さんざん探したんだ。でも見つけられなかった」
 申し訳なさそうにセテが言う。ピアージュは分かったというように頷きながら、
「うん。孤児院にいたからね。あたしも、セテは死んじゃったんだって思ってたし」
 ピアージュは倒れた椅子を起こし、そこに座るようセテにすすめた。セテが座るのを見届けて、ジョーイも近くに腰を下ろした。
「傷がふさがったあとはキースに顔を見せに行って、それからアジェンタスの復興事業に参加したんだ」
 傭兵組合で〈暁の戦士〉亭を営み、ピアージュを始めとする傭兵たちに仕事を斡旋していた男である。元気でいるならなによりだ。
「アジェンタスはアジェンタシミル周辺が壊滅状態だったし、アジェンタス騎士団もガラハド提督を失ってたいへんだったようだけど、騎士団の人たちと協力して瓦礫を撤去したり。そうそう、ジャドウィックさんだっけ。セテの先輩だった人。あの人と一緒に作業する時間が頻繁にあって、よくセテの話をして笑い合ったよ」
「ジャドウィック先輩……無事だったのか……」
 騎士団でセテをかわいがってくれ、セテはよく朝まで飲みに付き合わされたが、陽気で豪快な先輩だった。最後に会ったときは総督府の道すがら、アートハルクの兵士と交戦中で、セテとピアージュが総督府に向かったあと、彼がどうなったのかは知らなかった。
「他の騎士団の面々は……?」
「うん、交戦で亡くなった人もいたみたいだけど、投降したのもあって八割くらいは無事だったみたいよ」
「そっか……。無事ならよかった……」
 セテの目から涙がこぼれた。懐かしい古巣の仲間たちである。彼らが元気で復興作業に従事していたというのは、本当に喜ばしいことだ。いっぽうで、そこから逃げ出したような自分が急に恥ずかしくなってきた。
「それから、アジェンタスを離れていったん故郷に戻ったんだ」
「故郷って……〈土の一族〉の?」
「そう。セレンゲティ。復讐も考えたけど、まずは父さんに」
 ピアージュの父、ジャスティン・ランカスターの墓参りである。妻を亡くしてからピアージュの持つアサシン・ブレードを作り、命を落としたのであった。その後、ピアージュとその妹のアルディスは数奇な運命に翻弄されることとなる。
「あたし、そこであの男を見たんだ。あの、アトラスとかいう男。あたしがどれだけ驚いたか分かるかな。セテを殺し、アジェンタスを火の海にした張本人が目の前にいたんだもの」
 アトラスがランカスターの家を訪れていたとは意外であった。やはり、アトラスにとってアルディスという娘は本当に大切な者だったのだろう。それが、後にさらなる悲劇──自分がその娘の姉を殺したことを知るに至るとは思いもよらなかっただろう。
「復讐の時を神々が与えてくれたのだと思った。でもやめた。それで様子を見ようと思った。そのおかげで、あたしはさらに驚いたわけだけど」
 ピアージュはそう言ってセテの顔をのぞき込むようにして見上げた。
「セテ、あなたがいた。何人もの仲間と一緒に。あたし、ずっと見てた。あのアトラスとあなたが決闘したときも」
「じゃあ……アトラスとアルディスの話も……?」
「うん……」
 ピアージュは背筋を伸ばし、少し深呼吸をするような姿勢で天井を仰ぎ見た。
「あいつ、アルディスと一緒にいてくれたんだなって。アルディスを大切にしてくれてたんだって分かった。だって、父さんの墓を見舞って、アルディスとのことをとてもうれしそうに話してたんだもん。そんなの聞いたら、剣なんて振るえなかったよ」
 ピアージュの目に涙が光っている。生き別れの妹とは再び会うことは叶わなかったが、彼女の生きた証を辺境で見つけられたことを心から喜んでいるのだろう。
「大切な人って、人を強くも弱くもするよなぁって思った。それまでのあたしだったら、実家であの男を見たとき、斬りかかってたと思うんだ。弱くもなったし、強くもなったんだと思う。セテもそうでしょ?」
 ピアージュの大きなアーモンド型の瞳が、セテを真正面から捕らえた。
「セテ、あの小さな銀髪の女の子の無事が分かったとき、すごく幸せそうな顔してたよ。あ、そっか、セテの大切な人ってこの子のことだったんだって分かった。船内での大乱闘のときも、真っ先にあの子の部屋に駆けつけたもんね」
 ピアージュはそう言って笑った。その微笑みには、少しだけ寂しそうな感情が見え隠れしていた。
「叶わないなぁ……って。ホント、あたし最初から叶わなかったんだなぁって思ったよ。あの子を見てすぐ思い出した。あたしとアルディスが引き離される原因を作った張本人なのに、あたしちっとも彼女のこと、憎らしくない。ただ……悔しいなって」
 ピアージュは大きく伸びをして大あくびをして見せた。おそらく、涙が出てきたのをあくびでごまかすためだろう。
「本当は、あいつを追って、アルディスのことを聞きたかったんだ。アルディスは幸せだったのかってさ。それで、そのあとはずっとセテたちの後をつけてたんだ。あいつにもう一度会えると思って。だからあたし、全部知ってる。セテがあの祭司長とやらと話してたことも」
 船の廊下で感じた気配は、彼女だったのだ。サーシェスの暴走の際、ジョーイが見かけたというのは、間違いなくピアージュであったというわけだ。
「セテ。復讐とかそういうの好きじゃないって言ってたよね。本当にセテらしくて、あれでよかったんだと思う。でもね、セテ、やっぱりいまのセテはセテらしくないよ。ジャドウィック先輩も孤児院のみんなも、せいいっぱい自分のできる範囲でできることをしてたよ? 聖騎士の資格なんて、いまどうでもいいじゃない。セテができる範囲で、できること、やっていこうよ」
 セテはぐっと唇をかんだ。叱責されるより、こんなふうに言われるほうがズシンとくる。悪い酒を食らって悪酔いしていたところから、急に素面《しらふ》に戻ったような気分だ。
「俺もそれには同感だな。セテ、君がいまできることで真っ先にやらなきゃいけないこと、あるよね?」
 ジョーイも身を乗り出してセテの肩をポンと叩いた。セテは少し考えて、それから意を決したように頷き、立ち上がった。
「そうだな。まずはレイザークに謝ってくることだよな」
 ピアージュもジョーイも立ち上がり、セテの肩をポンポンと、まるで子どもを褒めるように優しく叩いてやった。





 高速艇が人気のいない桟橋に滑り込んできた。桟橋には十数人の男たちがいてなにやら物々しい雰囲気が漂っている。武装しているのだ。辺境の言葉でいくつかのやりとりがあるのを船室の窓からぼんやりと聞きながら、アスターシャは自分の両手にはめられた手かせを見つめていた。
 彼女が押し込められた船室は狭かったが、部屋が暗いこと以外に不自由はない。自分たちをさらった男たちは、最初こそ乱暴に彼女を引っ立てたが、案外、紳士的に自分を扱ってくれたとアスターシャは思っている。乱暴もされていないし、怪我もない。だが、心臓のあたりが確実に痛い。心が叫び声を上げているのだ。
「やっぱり最初にサーシェスのほうに向かってた……私のことなんか二の次だった……」
 アスターシャは誰に言うとなくそう呟いた。

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