Act.2

Home > 小説『神々の黄昏』 > 挿話:遙かなる憧憬 > Act.2

 出場登録をする剣士たちで、舞台袖にしつらえられた控え室はごった返していた。登録机の前にはずらりと行列ができており、あと三、四十分後には腕試しが行われるというのに、いまだに登録作業は終わっていないらしい。
 その行列の前のほうに、賞金につられてやってきた級友たちを見つけて、セテとレトは大きく手を振って声を張り上げた。
「よー! お前らも出場すんのかよ!」
 一見、優男風に見える背の高いオラリーと呼ばれる少年と、それとは対照的なぽっちゃりした体型のクルトと呼ばれる少年が振り向き、驚いたようにセテの名を呼んだ。
「なんだよ、セテ、やっぱお前が出るのかよー。勘弁してくれよー」
 オラリーがそう言った。悔しそうな台詞ではあるが、顔はほころんでいる。
「俺はあんまり乗り気がしないんだけど、レトが出ろ出ろってうるさいからな」
「嘘つけ。母ちゃんたちの前ではかっこつけて『絶対優勝しますから』なんて言ったくせによ」
 端で見ていたレトが肩をすくめてそう言った。セテがレトの脇腹を小さくつついて顔をしかめてみせた。
「なんだよ、レトも出んだろ?」
 クルトが尋ねると、
「俺は勝てないと分かってて戦うのは嫌いなの。こいつなら絶対賞金取ってこれそうだからな。セテは俺の代役みたいなモン」
「あーそーだよ、俺はどーせ代役だよ」セテはふてくされたようにそう言い、それから前で並んで待っている友人の顔をきっとにらみつけると、
「でもま、お前らと当たったからって手加減はしねえから覚悟しとけよな。俺だって新しい剣の一本や二本はほしいもん」
 捕らぬ狸の皮算用よろしく、賞金でロクラン料理のフルコースを食べるだの、新しい剣を買うだの、鞄や靴や服を買うだの、若い彼らは自分の名誉のためにさんざん強がって見せるのだった。
 いつのまにか自分の番が来ていたのに気づかず騒いでいるセテたちを見て、後ろに並んでいた剣士たちがいらつき始めていた。
「ほら、騒いでないでとっとと登録すませろや、あんちゃん。後ろつっかえてるぞ」
 受付係の強面の男にせっつかれて、セテはあわててペンを取り、登録用紙に向かう。なにげにほかの登録者のリストに目を走らせると、その中に異様に長い苗字を見つけたので彼は鼻を鳴らした。
「なにほくそ笑んでんだよ」
 登録を終えて列の脇で待っていたオラリーに小突かれて、セテは振り返り、顎と目線で合図をした。クルトとオラリー、レトがその視線の先を見ると、立派な身なりをした数人の剣士が固まって話をしているのが見えた。腰に下げた剣の鞘は、周りにいる人間の持っているそれと比べて、はるかに贅沢な飾り付けがしてあった。
「ハイ・ファミリーのやつらだよ。ふん、金に困ってるわけでもないクセにさ、こんな小さな町の腕試しに出るなんて、ホント嫌みなやつらだよな」
 セテはそう言い、嫌悪もあらわに唾を吐いた。
 長い苗字はたいがいハイ・ファミリーと呼ばれる貴族出身の人間である。ハイ・ファミリー同士が結婚すれば当然分家ができるが、分家はふたつ以上の苗字を組み合わせて名乗ることが多い。例えば、ロクラン王国を支配しているロクラン王家の分家でワルトハイムという姓があるが、フォリスター家、メリデーラ家といった大御所と結婚したことにより、ワルトハイム・イ・メリデーラだの、フォリスター・イ・ワルトハイムといった長い苗字ができあがる。ふたつの苗字がつながるのならまだしも、みっつ、よっつといった具合にだらだら続けば、僧侶が儀式の際に詠唱する祝福の呪文に近いものがあってかなり滑稽だ。
「おい、ハイ・ファミリーにちょっかいは出すなよ、頼むから」
 レトがセテに耳打ちをしたが、セテはそれを鼻で笑い、
「ふん、別にちょっかい出すわけじゃねえけどさ。試合であいつらの鼻っぱしらを折ってやるくらいなら誰も文句は言わねぇだろ。正々堂々とさ。あの鼻高々なあいつらの顔見てるだけでイライラしてくる。いい機会だから最高に無様なかっこさせてやるさ。そんくらい、別にいいだろ?」
 自信満々のセテの表情を見て、レトはセテには分からないように小さくため息をついた。
 セテの悪い癖だった。そうやって、気に入らないやつや自分より強そうに見えるやつに面と向かって勝負を挑んで、相手をボコボコに叩きのめす。勝って帰ってくるので野郎どもにはたいへんな人気があるのだが、同じ年頃の少女たちにはセテの蛮行はえらく不評だった。
 レトはこの負けん気の強い親友が、そのうちやっかいごとに巻き込まれないかがとても心配だった。喧嘩でも剣でもほとんど負けたことのないこの金髪の少年が、「いつか聖騎士になってやる」と豪語しているのを聞いてはいるものの、こんなふうに血の気が多いのではそれも難しいのではないかと正直思ってもいた。
 確か五年くらい前、レトやオラリー、クルトたち悪ガキどもと一緒にアジェンタス山へ冒険し、奇跡の生還を果たしたあと、セテがまるで何かに取り憑かれたように聖騎士に憧れるようになったのは有名な話でもあった。二百年前の汎大陸戦争から人類を救った「聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》」のひとりでもあり、聖騎士の始祖。偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》が作った伝説の聖剣エクスカリバーを片手に戦う黄金の聖騎士、パラディン・レオンハルトに、セテは心底惚れ込んでいるのだ。
 最強の剣士と世に謳われるレオンハルトは、その武勇の数々からは想像できないほど、物静かで恐ろしいほどの美貌を持つということもあってか、剣士を目指す少年たちにとっては雲の上の人であった。現役の剣士の中でも、レオンハルトの信奉者はたいへん多いと聞くし、レト自身もレオンハルトに憧れて剣士を目指している。しかし、セテの場合はほとんどビョーキに近い。
 レオンハルトの名前が載っているならどんな小さな雑誌、新聞の記事でも切り抜いて大切に保管するし、家に帰ればパラディン図鑑だの聖騎士名簿だの聖騎士団広報資料だの、市販されているものから中央諸世界連合が出版している広報誌や軍事用資料のようなマニアックな本までもが、部屋の中に所狭しと飾ってある。レオンハルトが持っていたという伝説の聖剣エクスカリバーのレプリカを、聞きもしないのにくどくどとセテに自慢されたこともあった。おまけに会話の中にレオンハルトの名前が出てくれば、セテはどんなに遠くにいても聞きつけてすっ飛んでくるのであった。
 あの金髪の少年が言うには、彼にとってレオンハルトは神様なのだそうだ。同じ憧れるにしても、レトにはそのあたりがちっとも理解できなかった。
「じゃあレオンハルトがもしハイ・ファミリーの人間だったらどーすんだよ」
 クルトの意地悪な質問に、セテは頬をふくらませて抗議をするどころか、さらりと言ってのける。
「そんときは俺もハイ・ファミリーの娘と結婚して、レオンハルトとお近づきになる」
「なんだよ、それ」
 親友たちはあきれたようにそう言い、いまだハイ・ファミリーの剣士たちをにらみつけたまま挑発の姿勢を崩さないセテを引っ張って、登録所を後にした。
 彼らと入れ替わりに、背の高い剣士が登録所に駆け込んできた。セテの脇をすり抜けたときに、かの人物が少しだけセテの肩にかすったので、彼は悪態をつこうと振り返る。背が高かったので気がつかなかったが、よく見ると女性だった。短く刈り上げた金髪と背の高さが、とても女を感じさせることのない後ろ姿ではあったが、女性ならではの曲線的な体型だけは隠せない。一行が振り返ると、女性はセテにぶつかったことも気づかないほどにあわてて登録所に駆け寄っていくのが見えた。
「……詫びもなしかよ」
 セテはぶつけられた肩に大げさに手をやりながらつぶやいた。ほかの三人もその剣士の後ろ姿を見送る。彼女は登録所につくなり、登録係の男に尋ねた。
「ねぇ、まだ登録締め切ってないわよね。あたしも出場したいんだけど」
 背の高い女剣士の元気な声が響いた。男だらけの中にあったその人物は、確かに声は女だったし胸もあるので、周りにいた剣士はひどく驚いたようだった。
「そりゃかまわねぇけど、ねーちゃん、まだ登録終わってないやつがたくさんいるんだ。悪いが列に並んで待っててくんな」
 女剣士は渋々列の後ろにまわり、イライラした様子で順番待ちをする。周りの人間が彼女をちらちら見るので、余計にいらだっているようだった。
「……別に女が珍しいわけじゃないわよね、あんたたち。あんまり見ると目がつぶれるわよ」
 彼女のひとことに周りの剣士は吹き出し、登録所はさきほどまでの喧噪をようやく取り戻したのだった。
 察するに、年齢的には二十五、六歳くらいだろうか。取り立てて器量がいいわけではないが、かといって特徴のない顔立ちというわけでもない。顔立ちだけならその辺にいるアジェンタスの女性と変わらないのだが、美しく伸ばせば見事な金髪だろうに、後ろを勢いよく刈り上げてあり、背も高く、女としては体格のいいほうだから、威圧されるというのが正直なところだろう。はっきり言ってしまえば、この登録所に詰めかけている男の剣士の平均身長よりも高いので、威圧されないほうがおかしい。
「気の強そうなねーちゃんだよなぁ……」
 オラリーがつぶやくようにそう言った。「関わり合いになりたくないね、ああいう女史とは」と、レトもクルトも頷いた。
 セテも小馬鹿にするように鼻を鳴らし、
「俺、ああいう鼻っ柱の強い女も嫌い」
「好きになるやつなんかいねーだろ、あんな女。抱く気もおきねーよ」
「逆に乗っかられちゃうかもな。まあでも、セテならああいう女にモテそうだけどな」
「冗談やめろっつーの。だいたい、ああいう女ほど始末に負えねーんだって。腕試しに出るくらいだから自信はあるんだろうけどさ。いざって時には『女に剣をあげるなんてサイテー』とかなんとかわめくに違いねえんだ。ふん、お望みどおりボコボコにして、ぜってーヒーヒー泣かせてやる」
 セテはその金髪の女剣士をちらりと一瞥すると、興味なさそうにそのまま登録所を後にする。レトたちはセテの超絶なる男尊女卑発言に肩をすくめ、すたすた歩いていくセテの後を追いかけた。そういった悪態や暴言も、試合前でいらだち始めたセテのいつものクセであった。

全話一覧

このページのトップへ