Act.6

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 ハイ・ファミリーの青年が小さく息を飲むのが聞こえた。人影は臆することなくハイ・ファミリーの青年に向かってゆっくりと歩み寄ってくる。そして、すぐ近くまでくると、それが昼間セテが相まみえた、金髪の大女であることにレトはすぐに気がついた。
「楽しそうじゃない? でも未成年に対する強制的な性的暴力はアジェンタスじゃ重罪だってこと、分かっててやってるんでしょうねぇ」
 女剣士は地面に抑えつけられているセテの様子をちらりと見、それからハイ・ファミリーの青年を見下ろした。確かに、女のくせに青年を頭から見下ろしてしまうほどの身長差があるのだった。
「……何者だ、貴様」
 青年のかすれたような声に、女は楽しそうに微笑んで見せた。
「通りすがりの正義の使者で〜す」
 呆れるほどの間抜けな答えに、ほかの剣士たちが小さく鼻を鳴らした。だが、青年は彼女のマントの留め金に掘られた、三本の矢を掴むタカの紋章に身をよじる。
「まさか……聖騎士団か!?」
「あったり〜」
 女剣士がまたまた愉快そうに笑った。途端にセテを拘束していたふたりの剣士と、レトを羽交い締めにしていた剣士がその手を離し、はじかれたように立ち上がる。
「お楽しみのところ悪いんだけど、こういうのも私の仕事のひとつでね。あなた方を逮捕します」
 急に女剣士が真顔になり、剣を抜いてハイ・ファミリーの青年の首筋に切っ先を当て、動きを封じる。そして、周りにざわざわと人が動く気配を感じると、彼らはあっという間に路地の入り口を出口を塞ぐ黒い制服の連中に包囲されていた。
「ふざけたマネを……! 私はハイ・ファミリーの人間だ。冤罪として、お前たち聖騎士団を逆に訴えてやることもできるんだぞ」
 青年のひとこともハッタリではない。ハイ・ファミリーの中には、聖騎士団、聖救世使教会、はては中央諸世界連合を動かせるほどの権力を持った一族がいくつも存在する。
 しかし、女剣士はそれを鼻で笑うと、
「……だってさ? ザイル?」
 そう言って、彼女は後ろに控えている黒い制服の青年を振り返った。ザイルと呼ばれた青年は、いまだ女剣士の剣で動きを封じられたままの青年に近寄ると、懐から身分証明書のようなものを取り出して見せた。それを見たハイ・ファミリーの青年が大きく目を見開くのを、女剣士は楽しそうに見守る。
「……ザイル・ワルトハイム・イ・ロクラン、ロクラン王家ゆかりのワルトハイム出身です。また、ご存じでしょうが我々には殺人許可証が与えられております。ご覧になっているようにね。ほかになにか?」
 ザイルがそう言うと、ハイ・ファミリーの青年が悔しそうに歯の間からうめき声を漏らすのが聞こえた。それを確認すると、ザイルは周りにいた同じように黒い制服を着込んだ連中に顎で指図をし、
「連行しろ。ハイ・ファミリーご出身のようだから、くれぐれも丁重にな」
 ハイ・ファミリーの青年とその取り巻きの剣士たちは、黒い制服を着た連中に促されてとぼとぼと歩き出す。その後ろ姿を見送ると、ザイルが小さくため息をついてみせたので、女剣士が不満そうに彼を振り返った。
「なによ、そのため息は」
「このファミリーネームを出すのはちょっとルール違反ですからね。親の権力を傘にしてハイ・ファミリーの若い連中をやりこめるのにも少々飽きました」
「でもま、あんたのおかげでいつもやっかいな貴族のバカ連中を抑えつけられるんだもの。オヤジさんに感謝するのね」
 女剣士はそう言ってザイルの肩をポンポンと励ますように叩き、それから自分の腫れ上がった顔を気にもせず、それ以上にボコボコにされて倒れている少年に自分の上着をかぶせてやるレトに歩み寄った。レトは女剣士に気がつくと、小さく礼をし、それから気を失っているセテの頬をぱちぱちとたたく。
「だから言ったでしょ。気を付けなさいって。あいつらはね、前も同じような事件を起こしてるの。そのときは地元の騎士団が事件をもみ消されちゃっててね。困っていたところなのよ。今日はあのカタブツ男のザイルに感謝しなさいな」
 ありがとうございましたと、レトはいまだに後悔の念でいっぱいの渋い顔をした青年に頭を下げた。
 セテがうっすらと目を覚ましたので、女剣士は彼のかたわらにかがみ、派手に殴られたその顔を覗き込んだ。目が開き、目の前の女剣士の姿を認めると、セテは途端に激しい憎悪の視線を彼女にぶつける。だが、殴られた腹が痛んだらしく、小さく呻いてまたうずくまった。
「ちょっと待ってなさい。いま治療してあげるから」
 女剣士はセテの顔の前で小さく法印を結び、小声で癒しの呪文を詠唱し始めた。
「慈悲深き癒しの神よ。血となり肉となり骨となりて、心正しき者の力となり給え」
 彼女がかざした右手から淡いグリーンの光がにじみ出し、そしてセテの身体全体を包み込んだ。暖かい優しい感触に、セテは小さく息を吐き出した。そしてその感覚は、彼に五年ほど前に瓦礫の山で出会った伝説の聖騎士の姿をすぐに思い起こさせたのだった。見る見るうちに痛みと傷跡が消えてなくなっていくほんのわずかな間に、セテはあるひとつの仮定を思い浮かべる。この癒しの術法は、まさか……!
「もうだいじょうぶね。立てる?」
 女剣士に手を差し出され、セテはその手を思い切りはたき返した。
「ふざけんな……! どこまで俺をバカにすれば気が済むんだよ……!」
「セテ、よせって! この人が通りかからなかったらどうなってたと思うんだよ」
 レトがたしなめるが、セテは憎悪で燃えたぎる青い瞳を女剣士に向けたまま動かない。
「誰が助けてくれって頼んだんだよ、余計なコトしやがって……!」
「強がりもいい加減になさい!」
 女剣士が強い口調でそう言ったので、セテが驚いたように固まった。女剣士は声と同じように、厳しい表情でセテを見つめる。
「そういう君の態度がこういう結果をもたらしたこと、分かってないようね。じゃああたしたちがこなかったら君がどうなってたか教えてあげましょうか。君はかなり美少年の部類に入るから、まず間違いなくカマ掘られてたでしょうね。貴族の高尚な趣味ってやつね。それから、多分素っ裸にひんむかれて、貧民窟に放り込まれてたでしょうよ。もちろん、歩けないようにアキレス腱を切られてね。そこで多分ボロボロになるまで男娼としてこき使われて、一生出てこられないか、運良く出られたとしてももう二度と剣を取ることはできなかったでしょうね」
 それから、女剣士はすくと立ち上がり、セテを見下ろす。腕を組んだ彼女からは、レトが休憩所で感じた威圧感が漂っていた。
「ひとこと言っておくわ。君、とても筋がいいけど、そんなふうにいい気になってたり人を見下したりしてるんじゃ、いい剣士には絶対なれないわよ。もちろん、現役の剣士のなかにはそういう輩も少なからずいるけど、誰でも信頼されず、頼れる友人もなくひとりで戦場へ行って、で、戦場のどさくさにまぎれて味方に斬り殺されて一環の終わり。どう? そんなふうになりたいわけ?」
「よせよ、セテはそんなヤツじゃないんだ、ただ」
「君は黙ってなさい!」
 女剣士にぴしゃりといわれ、弁解の余地を失うレト。女剣士は続ける。
「あたしには君がわざとそういうふうにしてるようにしか見えないのよ。焦ってるんでしょ。それくらいわかるわよ。でもね、さっきのハイ・ファミリーみたいに侮辱されたら誰だっていい気がしない。自分がされていやなことはしない、それくらい、ホントは君だって分かってるでしょう?」
 セテは黙ったままうつむいている。その肩が少し震えているのを確認して、女剣士は少しセテから離れてやる。
「……君には自分のことを省みずに心配してくれるお友達がいるじゃないの。やせ我慢しないで、彼に相談してみなさいよ。つらいとき、苦しいときってのは、誰かに話すだけでもずいぶん違うのよ。つらいときはつらいって、口に出してみなさいよ。すっきりするから」
 女剣士はそう言いながらザイルを振り向く。ザイルが仕草で「そろそろ時間が」と言っているのが分かったので、かたわらにいるレトの肩をぽんぽんと叩く。
「じゃ、あたしそろそろ行かなきゃ。いろいろ予定が込んでてね」
「……あんた……聖騎士なのか……?」
 うつむいたまま、セテが彼女に声をかけた。女剣士は金髪の少年に振り返ってにっこりと笑うと、
「そうよ。嘘ついて出場したのは悪いと思ってる。でもどうしても君に言っておきたいことがあってね。ホントは試合が終わった後、すぐに君のところに行って説教したかったんだけど……。パラディン・ジョカよ。あなたは?」
「……セテ……」
 セテの力無い自己紹介に、ジョカは優しく微笑んだ。
「いい名前よね。その名前、誇りに思うべきよ。『勇気』って意味なの。知ってた?」
 ジョカの問いに、セテは答えなかった。もう一度小さく微笑むと、彼女は数歩先で待っているザイルを追って歩き出した。甲冑と同じ黒いマントが月夜に翻るとともに遠ざかっていくブーツの音。その足音が聞こえなくなるまでずっと、セテはうつむいたままだった。
 レトはセテを抱え起こそうとその腕を自分の肩に回すが、そのときセテが小さく震えているのに気がつき、その顔を覗き込んだ。
「だいじょうぶか? まだどこか痛いのか? ひとりで歩けるか?」
 セテはレトに覗き込まれた顔を無理矢理背け、片手で自分の顔を覆った。
「……セテ?」
 レトの問いに、セテは答えなかった。レトはもう一度セテの横に腰を下ろし、打ちひしがれて震える親友の姿を見守る決意をする。
 あの女聖騎士に言われたことは、すべて分かっていたことなのだ。それを言い当てられて、自分の中に抑えていた気持ちが一気にはじけとんだに違いない。抑えた手の間から、涙がどんどんあふれてくるのが見て取れた。
「……レト……俺……」
 セテが声を絞り出すように言う。
「分かってるよ。俺が何も知らないとでも思っていたのかよ」
「違うんだ……俺……早くレオンハルトみたいな聖騎士になりたくて……早く一人前になりたくて……。でも、気持ちばかりが急いて結局何もできないんだ。いつもイライラして、自分がだめな人間なんじゃないかって思うときもある。誰よりも強くなりたいって思ってても、そんなの思うだけじゃなんにもならないじゃないか。どうしようもなくなって、ほんとに自分でもどうしていいか分からないくらい不安になって……。いつの間にか人を見下すことで自分の価値を上げようとしていた。気がついたら俺……ほんっとヤなヤツになってた……」
 セテは顔を覆ったまま、声を震わせて思いのうちを吐き出していた。レトはそんなセテを強く抱きしめてやり、まるで小さな子どもをあやすようにそのまっすぐな金髪をなでてやった。
「分かってるって。お前がいつ俺にそうやって相談してくれるのか、ずっと待ってたんだぞ、俺は。あのさ、お前の悪いところってのはいっぱいあるけど、ひとつだけ直してほしいことがあるんだ。できるか?」
 問われて、セテはレトの腕の中で小さく頷いた。
「自分の中にためないでさ。なんでもいいから俺に相談してくれよ。ツライときや苦しいときにさ、ツライって言ってほしいんだ。そんで泣きたいときは思いっきり泣けばいいじゃん。俺、受け止めてやれるから。な?」
 レトは言いながら、セテを抱きしめる腕に力を込めた。苦しげにセテが小さく身をよじり、そして鼻をすすりながら涙を拭うのが分かった。
「……ロクラン料理……」
「ん?」
 セテがあまりにも小さな声で言うので、レトはその口元に耳を当てるようにしなければならなかった。
「ロクラン料理のフルコース……。みんなで……食べに行こうか……。二千セルテスもあるんだしさ」
 そう言うなり、セテは顔を上げてレトを見つめ返した。泣き腫らした目でまだぎこちないが、セテはせいいっぱい微笑んでみせた。レトは頷き、まるで小さな子どもを誉めてやるようにセテの頭を優しくなでてやった。
 ふたりを静かに照らすヴァランタインの月は、今夜が満月だった。

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