第一話:男料理屋台計画

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「剣士は大酒飲み」とはよく言われることのようだ。
 浴びるほどの量の酒を豪快にあおったにも関わらず、敵を目の前にしたときには俊敏に剣を振るい、その剣先には一寸の狂いもない──。剣士にはそういったある種の伝説的な印象が根付いているようだが、大昔の剣豪たちが活躍する大衆娯楽小説のおかげで、ずいぶん誇張されているものだ。
 概して剣士たちは確かに大酒飲みではあるが、架空の剣豪たちの酒豪ぶりには決して勝つことはできないだろう。若い剣士は例外なく酒を好むが、さすがに大量に飲めばひどく酔うし、深夜まで愚痴をこぼしたり大声で笑ったり歌を歌ったり、けたたましいことこのうえない。会話の内容も格段に下品となる。
 飲み続けて気分が大きくなったときには喧嘩沙汰になることも珍しくないが、街中での抜刀は固く禁止されているため、刃傷沙汰になることは絶対にない。では拳で言い聞かせてやるとしたとしても、相手に掴みかかろうと立ち上がったとたんに足下はおぼつかなくなるし、伸ばした腕は相手の服にかすることすらない。仮に、彼らが剣を抜いて決闘だと宣言しても、まともに剣を握ることは叶わないだろう。それほど泥酔するのが剣士の常であった。
 剣士といえども、その辺にいる元気のいい若者とたいして違わないか、あるいはずっとタチが悪い。酒をたしなむ若い剣士は、要するに酒癖が悪いのだ。そして、アジェンタス騎士団領の若い騎士たちも例外ではなかった。
 いつもどおり二日酔い気味の頭で、軽い吐き気と頭痛に悩まされながらも、午前中の訓練をこなしたアジェンタス騎士団領の若い剣士の面々は、その日の夕方、珍しく会議室に集められて発表された内容に、これまた珍しく抗議の声をあげたのだった。
「地域貢献度向上週間? ナニソレ」
 昨晩、遅くまで飲んでいたために分解しきれなかったエタノールが体内でアセトアルデヒドに変わり、たいへんな頭痛と吐き気をもたらしている。そのせいで上官の説明や先輩同僚たちの声がよく聞き取れなかったセテが、しかめっ面をしたまま隣のレトに尋ねた。正直、二日酔いの頭で人の声など聞きたくなかったのだが、こうも珍しく先輩たちが憤っているなら聞かないわけにもいかない。
「アジェンタス騎士団をもっと理解してもらうために、地域との密着な交流をするんだと」
 レトも相当に昨晩の酒が残っているのだろう、肘をついて顎を支えながら気のなさそうにそう返した。
「なんでも騎士団の敷地内を一般人に開放して見学会を開いたり演し物をしたり、出店《でみせ》をやったり」
「なんだそれ! 文化祭かよ! 騎士団は遊びじゃねえし、俺たちゃお祭り要員じゃねえんだぞ」
 セテが憤って返したが、
「そう、それで先輩たちも怒ってるんだけどさ」
 レトが前方の総務担当の上官を指差した。あまりの怒号にすくんでしまって声が届かない。事務方は現場の荒くれ剣士たちにいつも歯が立たないのだ。
 セテはその上官を眺めながら鼻を鳴らした。
「あらら、かわいそうに。これでスナイプスが出てきたら先輩たちも黙るだろうけどさ、これじゃあ」
 そう言いかけた矢先のことであった。
「貴様らうるせえぞ! そんなに腕立て伏せがしてえのか!!」
 野太い声が会議室に響き渡り、一同の怒号がピタリと止んだ。その、まさかのスナイプス統括隊長の声であった。
「ウソだろ、たかがこんなことでスナイプスが出てくるなんてよ」
 セテがレトに目配せしながら小声でそう言った。レトも納得できないまま頷き返した。
 総務の事務官も突然のスナイプスの登場に驚いたようだったが、剣士たちの尋常でない不平不満の声に太刀打ちできないことが分かっていたので、内心、心強いと思っただろう。
 なにしろ鬼の統括隊長の異名を持ち、現場における総指揮権を持つ人物だ。実質的にガラハド提督の次のお偉方ということになる。騎士団員の中で彼のしごきを受けなかった者はいないうえ、色黒で上背もある。なにより全身を鋼のように鍛えた太い筋肉で覆われた、文字どおり鬼のような強面の、ついでに付け加えれば熊のような大男だ。
 先ほどまでのざわめきはさざ波のように引いていき、やがて場内は静寂に包まれる。さすがにこの局面において、スナイプスに抗議の声をあげる命知らずはいない。
「どうしてかって? お前らみたいな頭の足りない連中にも分かるように、いまから俺が丁寧に説明してやる。おい、後ろのヤツ、聞こえてるか?」
 出動の前の作戦会議などで、後ろのほうに陣取る人間に大きな声で檄を飛ばすスナイプスの口癖である。
「治安維持は各国の騎士団に課せられた最も重要な任務だ。近年の世界情勢を鑑みるにアートハルク戦争以降、我が国も治安悪化が懸念されている。とくにアートハルクの残党どもがダフニス前皇帝の遺志を継いで錦の御旗を掲げてからは、辺境の国々も騒がしい。難民や違法な移民も増えてきて、貧困に起因した犯罪も後を絶たない。汎大陸戦争終結後に封じられたモンスターどもも、最近はやけに騒がしくて、虚数空間から飛び出ては民家を襲う事件も増加してきている。だからこそ、治安を守る我々アジェンタス騎士団の活動を、民間に広く理解してもらう必要がある」
 スナイプスは、作戦会議のときのように壇上を行ったり来たりしながら集まった面々の顔を睨みつけ、説明を始めた。
「それは広報部の仕事だろっての」
 前のほうに陣取っていた何人かの先輩らが、小声でそう話すのが聞こえた。そのとき、スナイプスの拳が力強く机の盤面を叩いたので、一同は背筋を伸ばしたのだった。
「以上が広報部の公式な見解だが、これは建前だ、アホウどもが」
 スナイプスが鋭い眼光で一同を見回した。それから、持ってきていた書類束を取り出してパラパラと芝居がかった仕草でそれをめくる。
「下品な会話を大きな声でしているので女性客が寄りつかなくなった。飲食店店長より。泥酔しているのに強い酒を延々飲み続けるので止めに入ったら怒り出した。飲食店店長より。給仕係の女性に言い寄って迷惑している。飲食店店長より。夜中に大きな声で下手な歌を、しかも複数人で合唱のように歌うので近所から苦情がきている。飲食店店長より。トイレと間違えたらしく倉庫で小便をされた。飲食店店長より」
 書類に書いてあるのを棒読みで読み上げるスナイプス。一同は互いに顔を見合わせながらざわつき始めた。
「まだあるぞ。騎士団長や統括隊長の名前のボトルを勝手に空けた挙げ句、新しいボトルの分は彼らにつけろと言われた。飲食店店長より」
 セテの近くに座っていた、セテやレトと仲のよい先輩たちらしき一群から、蛙が呻くような変な声があがった。
「これらはすべて広報部宛に来た、近隣の飲食店からの苦情だ。つまりだな」
 スナイプスは大きなため息をつきながら書類を机の上に放り投げるように広げた。
「貴様らの飲みがひどいという苦情がごまんと来ていて、広報部がたいそう困っているというわけだ。俺も酒をたしなむ身として、飲むなとは言えん。ひどい飲みをするなとも言えん。我々の任務は常にストレスと隣り合わせだ。多少羽目を外すくらいはいつも大目に見ている。だがな」
「……たしなむって程度じゃないだろ、あのオッサンの飲みはよ」
 セテが小声でレトに軽口を叩いたが、そこで再びスナイプスが拳を机に叩きつけた。
「俺のボトルを勝手に空けたヤツだけは許せん!」
 騎士団の面々は心の中で肩をすくめた。
「騎士団の任務は全員が一丸とならねば遂行は難しい。だからこそ、我々は連帯責任という形でひとりの失敗を補填し合うわけだ。こういう苦情が民間から寄せられているという事実は、極めて真摯に受け止めなければならない。これからは、アジェンタス騎士団の人間であるという自覚を持ちながら飲むことを義務づける必要があるとともに、騎士団を構成する騎士たちが高い目標を持つ高潔な人物であることを、広く知ってもらうことが早急に求められている。そこで」
 スナイプスが目配せしたので、脇に控えていた総務担当の事務官が印刷した書類を前のほうから回す。「地域貢献度向上週間」という題字とともに、先ほどスナイプスが長々説明した企画趣旨、目的がもっともらしく書かれているあとに、日程やら時間割などが事細かく記されているものだ。
「たるんだケツの穴を引き締め、全員が一丸となってこの苦情がもたらした不信感を払拭し、アジェンタス騎士団は地域との信頼関係のうえに成り立っていることを地域住民に再認識してもらうのだ。通常任務でおなじみの班分けでそれぞれ準備に当たってもらう。これは、ガラハド提督からの至上命令だ」
 地域貢献度向上週間は休日を二回挟んだ十日間。初日の平日はガラハド提督の基調講演から始まり、上層部の人間の講演やら討論会などが予定されており、騎士団や軍事に携わる外国人関係者による登壇も打診中とのことだ。無論、地域の新聞、雑誌などの媒体社にも積極的に声をかけているのだという。
 二回の休日には交代で屋台を出店して接客したり、有志からなる楽団の演奏会やら芝居、地域の人々との野球やバスケットボールによる交流試合などなど、さまざまな催し物が記されている。
 民間人がアジェンタス騎士団の敷地内に入ってくることは入隊希望者や小学生等の見学会以外では極めてまれなことで、しかも騎士団の人間が彼らを客人としてもてなすなどということは、これまで一度もなかったことであった。確かに、そういう意味ではアジェンタス騎士団の活動は実に不透明であり、苦情がきたように、人によっては迷惑きわまりない愚連隊と思っている者も少なからずいるだろう。だからこの企画は意義のあることではあるが、開催までおよそ二ヵ月、通常任務や訓練が終わっての準備作業となると、剣士たちにとっては地獄の準備期間となるわけだ。
 いくつかの質疑応答があったあと、事務官が会合を締めることを宣言し、スナイプスは来たときと同じように熊のような身体を揺らして壇上を降りた。しかしそこでふと、思い出したように一同を振り返る。
「この任務を無事に成功させることができたら、俺のボトルを空けた不届き者は不問に付す。また、最も貢献度の高かった班には、俺の秘蔵のボトルを空ける栄誉を与えてやる。俺を失望させるなよ、ガキども」
 そう言ってスナイプスは後ろ手にドアを閉めてノシノシと去って行った。
 とたんに場内は騒がしくなる。困ったのは班長だ。それぞれの班長が集まって実行委員会を設置することになっているようだが、たった二ヵ月で割り当てられた催事の担当分けを行い、どのように準備するかを検討しなければならない。通常任務がある場合も考えて担当は冗長化しておく必要もある。何もかもが初めての試みとなる。二ヵ月後に向けて一致団結するのは、誰の目から見ても困難きわまりなかった。
 それを冷ややかに──実際のところ、二日酔いで頭が働かずそういう気分にまったくなれないだけだが──見ていたセテとレトは大きなため息をついた。面倒臭い。ただそのひと言に尽きる。
 そんなふたりのところへ、近寄ってくる者があった。ジャドウィック・メイヒューとダンカン・オルブライトという、セテやレト、クルトやオラリーの幼なじみ四人組と特に仲のよい先輩ふたり組である。彼らはセテたちの三つ年上で、階級は四つ上であった。
「いやぁ〜まいったなぁ。ホントにこんなんで成功すんのかよって感じだよなぁ〜」
 頭をかきながら呑気なことを言うのはジャドウィックであった。飄々としたこの剣士は、セテもよく相談に乗ってもらっていて、後輩の面倒見はとてもいい。相談の場が飲み屋である場合においてという意味だ。そして、仲間内では風俗店好きということでも有名である。
「俺は嫌な予感がしてたから止めたんだけどな」
 ダンカンがジャドウィックの横でため息交じりにそう言った。
 ジャドウィックの底抜けに明るい印象とは対照的というべきか、キリリとした顔つきで真面目一辺倒を絵に描いたような人物であり、実際の任務でも慎重に行動する、あえて言えば頭脳派という類の剣士である。後輩の面倒見はもちろんよいのだが、この理知的な先輩が主に下半身にだらしのないジャドウィックとどうしてつるんでいるのかは、いまだにセテにも分からない。
「なんだよ、お前ら。揃ってひでえ顔してんだな。また昨日飲み過ぎたのか。お前ら最近深酒が過ぎるぞ」
 ジャドウィックはレトと、それからセテの顔を交互に見やりながらそう言った。
「先輩には言われたくねえッスよ。こいつの愚痴、二時まで聞かされるこっちの身にもなってくださいよ」
 レトがセテを指さして顔をしかめた。セテは抗議のために肩をすくめて見せるだけだ。
「さておき、えー、なんスか、嫌な予感って」
 レトが尋ねると、ダンカンはジャドウィックを睨みつけた。当のジャドウィックは頭をかいている。
「いやー、まさかこんなことになるなんてさー。いや、先週さ、お前らと飲みに行っただろ。〈潮騒の道〉亭な。あそこさ、スナイプスの行きつけなんだよ」
「あー……そういえばそんなこと言ってましたよね。確か店長がスナイプスが若い頃からやってるとかで」
 セテは頬杖をつきながらそう返した。ダンカンの言う「嫌な予感」というのがなんとなく見えてきた。
「お前らも相当酔っ払ってたから覚えてないかもだけどな。最後のほう、うまい酒出してやっただろ。ロクランの十二年物とかいう」
 セテとレトは揃って背筋を伸ばしてジャドウィックの言葉を待った。
「あれな。スナイプスの秘蔵ボトルのひとつだったんだわ」
 やっぱり。セテとレトは揃って額に手を当てた。
「……ジャドウィック先輩だったのかよ……」
 セテは先輩を睨みつけた。さすがに懇意にしている先輩を、いまこの場で八つ裂きにするわけにはいかない。
「おい、俺のせいにすんなよな。お前らだってうまいうまい言いながらドンドンあおってただろが。もう一本入れる羽目になったの誰のせいだと思ってんだよ」
「それをスナイプスにつけたのは先輩でしょうが! 道理で飲み代が安いと思ったんだよ」
「あんときゃ俺が相当出してんだぞ! さすがに二本目の分まで持ち合わせがなかったからよお」
「今回の件、スナイプスが私怨の懲罰代わりにやってるの明白じゃないスか……」
 セテとレトが頭をかきむしりながら唸る。
「さっきも言ったが、俺は止めたんだぞ。こいつが全然聞かなかったのが悪い」
 ダンカンがジャドウィックをもう一度睨みつけるのだが、
「とはいえ、実際のところスナイプスがそれだけのことで騎士団を動かすわけがない。さっき曹長たちが話してるのが聞こえたが、苦情なんてものこそ建前で、実のところ、市民団体や反権力を謳う媒体社なんかがうるさいことを言ってるのを黙らせたいというのがあるらしいな」
 ダンカンはそう言って腕組みをした。スナイプスは建前と本音の部分をあえて逆にして聞かせたというわけだ。
「まぁ、今のは聞かなかったことにしたほうがいい。なにせ、小うるさい記者がアジェンタス騎士団の密着取材を申し込んできていて、その時期に合わせて地域貢献度週間をぶつけたという噂もある。俺たち全員が取材対象になるんだ。本当のところは聞かせず、いつもどおりにやらせたいというのがスナイプスの考えだろうからな」
 剣士たちに余計なことを考えさせないためにやったのだろう。剣士の本分は任務の遂行だ。スナイプスらしいといえばらしい。
「それでさー、お前ら、なにやる?」
 ジャドウィックがさっき配られた書類をセテとレトの前に突き出して、うれしそうにそう言った。顔からは、今度の催し物が楽しみで楽しみで仕方ないという心情が笑顔となってあふれ出ている。彼は、屋台、楽団、野球、バスケットボールといったお楽しみ要素の高いものばかりを指さして見せた。
「展示のほうにはまったく興味ないのな、お前……」
 ダンカンが呆れたようにそう言った。
「展示はお前の領分だろダンカン。さっき班長たちが話してたけど、班分けをして担当を交代制にするだろうから、まぁ最終的にはやるかもしれないけど、それより陰湿な広報部の連中と顔つき合わせてパネル制作とか公聴会の台本作りとか、俺、絶対やだわ」
 ジャドウィックがそんなことを言うので、ダンカンはため息をついた。
「でさ、いま班長たちがいろいろ考えてんだけど、立候補制にして早い者勝ちでいろいろ決めさせてくれるってよ。だから、屋台やんねえ? 屋台。仕入れなら俺、ちょっとしたツテがあるんだわ。そうだ、トスキ、お前さ」
「女装しろとか言ったら刺しますよ」
「まだ何も言ってねえだろが!」
 しかし、ジャドウィックが内心それを考えていたであろうことは、レトにもダンカンにもお見通しであった。
「トスキお前、料理得意だったろ、料理」
「男飯ですけどね」
「それがいいんだよ! 騎士団の男たちが振る舞う無骨な男料理の魅力! それを屋台風にして男らしさを誇示してやろうじゃねえの」
 そう言いながらジャドウィックが拳を振り上げる。セテとレトはそれを極めて冷静に見つめるだけである。
「前にお前が作ってくれたアレ、なんだっけ、小麦粉の中にキャベツだのエビだの肉だの放り込んで混ぜて焼いて、片面に目玉焼きを載っけるデミグラスソースがけキッシュみたいなやつとか、あーそうそう、若鶏のもも肉を炭火で焼いたのとか、レタスとかトマトを挟んだ豪快なハンバーガーとか、いくつか屋台で作れるレシピ、あんだろ?」
「まぁ……予算がいくらまで使えるか分かりませんけど、その程度ならだいぶ安く仕上げられるんじゃないですかね」
「ついでにビールも売るぞ。しょっぱいものにはやっぱビールだ! よし、決まりだな。おいダンカン、そうとなったら売上目標を立ててどれくらいの人数をさばけるかと材料費、見積もってくれよ」
 ジャドウィックは隣のきまじめな同僚の肩をバンバン叩いた。ダンカンは「なんで俺が」と小声で言うが、実際のところ、ダンカンがこうした細かい書面業務が得意で気に入っているのを、このいい加減な先輩はよく知っているのだ。
「じゃあ、計画表カッコ仮を書いて提出しとくわ。トスキ、ソレンセン、作って売るのはお前らだからな」
「はあ!? なんで俺らが!? ジャドウィック先輩はなにやるんですか!?」
 セテとレトのふたりは揃って抗議の声を上げた。ジャドウィックは腕組みをしながら偉そうに胸を張ると、
「俺は衛生管理業務に徹する義務があるからな。当日までのことは俺に任せておけっての」
 仕入れは任せられるとして、衛生管理などと言いながら当日、屋台の裏で優雅にビールをあおりながら眺めているだけであることは想像に難くない。
「そうと決まったら予行演習だな予行演習。寮の倉庫にバーベキューセットあっただろ、アレで今日なんか作ってみようぜ。ひとつ作って売るのにどれくらい時間がかかるかやってみなきゃわかんねーだろ。接客の練習もしなきゃだしな。よしよし、何人かに声かけておくから、今日十九時ごろに寮の中庭に集合な。夜間作業の届け、俺から出しておくから。あ、そうだ、酒も用意しておくからな。料理に合わせた酒の選択も重要だからな〜」
 こうなるとジャドウィックは話を聞かない。ウキウキしながらまくしたてるジャドウィックの横で、ダンカンは困ったように肩をすくめ、セテとレトも大きなため息をついて肩をすくめることしかできなかった。





 実際に、それからのジャドウィックの手際のよさは驚くべきものであった。
 セテはジャドウィックに急かされて、その場でいくつか考えられそうな屋台向けのレシピを書き上げ、そのメモをジャドウィックに渡した。彼はそれを見ながらふむふむと頷き、それから外出許可をもらって仕入れ先に足を運んだようだった。
 確かに彼の言うように、仕入れは彼の古い友人のつてがあるらしく、けっこうな質のものを破格の値段で仕入れることができたようだ。その日の夜だというのに、試験的に作る料理のためのそこそこの食材がすぐに集まり、同じように何種類かのビールが用意された。もちろんビールに関しては、ジャドウィックの好みが多分に反映されたものばかりであった。
 訓練のあと、私服に着替えたセテとレトが揃って寮の中庭に姿を表すと、倉庫から引っ張り出してきたバーベキューセットの網が頃合いもよく赤い色をして、パチパチとはぜる炭火に照らされていた。中庭には香ばしい煙が立ちこめており、夕食のあとだというのに胃が活発に動き出す。ジャドウィックやダンカンはもちろん、同じ班の先輩や同期が十人ほど集まっており、試しに巨大なソーセージを網に載せてワイワイやっている。食欲をそそる香りは焼けたソーセージの肉汁であった。各々、すでに片手にはビールの瓶を持っているのだが、要するに、いつもの宴会が野外に切り替わっただけであった。
 短時間でよくこれだけの準備ができたものだとセテは驚いていたのだが、これがジャドウィックという男の不思議な魅力のひとつなのである。周囲の人間をいい意味でも悪い意味でも惹きつける。巻き込まれた側も彼を悪し様にいうことは絶対にない。みな、ジャドウィック・メイヒューという剣士の兄貴肌なところを気に入っているのだ。もちろん、準備をしたのは彼ひとりではないが、彼は人を動かすことに長けているというわけだ。早ければこの十年以内に、ジャドウィックはその人望の厚さや指示の的確さを買われ、騎士団の要職に就くことになるだろう。
「おお〜来たかトスキ、頼むぞ。ほらソレンセン、そこのビールから好きなの持ってけ」
 少し赤い顔をしたジャドウィックが、氷を入れたバケツに何本も刺さっているビール瓶を指さした。十九時は少し過ぎた頃であるが、あのジャドウィックが赤ら顔をしているということは、準備はもっと前から進められており、そこから結構な量を飲んでいるのが分かる。
「それとも、こっちのがいいか? これはなー、あんまり大きな声じゃ言えないけど、スナイプスの部屋に掃除に入ったときに一本ちょろまかしてきたヤツなんだけどさ」
 そう言って、ジャドウィックは中庭のテーブルにあるゴツゴツした琥珀色の瓶を指さした。ラベルや瓶の造形から年代物の高級品らしい匂いがする。スナイプスが好んで飲みそうな逸品である。
 またそういうことを。セテを始めとする屋台組予備軍は頭を抱えるしかない。
「とりあえず会合の許可は取ってあるから、今日は騒いでもいいぞ。寮長や他の班の連中にも声をかけてあるから、続々お客さんがやってくる。適当になんか作ってくれ」
「は? お客さん? 同志から金、取るつもりですか?」
 セテが前掛けをかぶりながら尋ねる。しかも、すでに自分は飲み屋のおかみさん扱いだ。
「当たり前だ。今日の今日だし俺の小遣いでやってんだぞ。いつもの会費制の飲み会と同じかそれ以下だ。それに、お前の腕から適正価格を調査するのも必要なこったろ? ま、お前とソレンセンは今日はタダでいくらでも飲み食いしていいぞ」
 はいはいと適当に返事をして、セテはレトからビールを受け取り、それをあおった。半分ほど勢いよく飲んだあと、テーブルに積まれた食材を検分する。
 騎士団の作法で武器点検をするように、紙袋や麻袋に入っている食材をひとつひとつ手にとっては食材名と数量とその検分結果を読み上げていくセテの様子に、周囲の剣士たちは大いに沸いた。騎士団の飲み会では、騎士団の中でしか通じない「あるある」ネタを使っておどけるのはいつものことであった。
 とりあえずセテはまず、ジャドウィックの仕入れてきたとても大きくて身の詰まったソーセージを焼き始めた。肉汁が滴り落ちて炭の上で跳ねるたびに、香ばしい煙がもうもうと上がる。レトは焼き上がったものをチーズ、レタス、トマトを挟んだバンズにさらに挟む形で載せていき、手際よく周囲の人間に配っていく。気がつけば、いい香りに釣られてやってきた剣士たちが、網の周りを囲んで焼けるのをいまかいまかと待ち構えていた。
「はいはい、そんじゃ、一列に並んでくださいねー。一応、ひとりひと皿ですからねー」
 レトは調子づいた声で周囲の人間を手で誘導し、一列に並ばせた。試験的に仕入れたものだから数はそれほどない。肉類は何種類か用意されてはいるが、ひとりで何皿も食べる大食漢の騎士団では、ある程度の決まり事を作らなければあっという間に食糧難に陥るのだ。
 味付けされた鶏肉が用意されていたのでそれも焼いてバンズに挟もうとしたのだが、いい香りがするのを我慢できなくなった連中にそのまま寄越せと言われ、仕方なく紙皿に盛ってやる。そのうちに誰かが調理室から余ったジャガイモを持ってきたので、セテはそれらを半分にぶった切り、網の端に並べた。セテはついでに塩コショウとバターを持ってこさせ、焼き上がってきた芋の上にそれらを手際よく振るのだが、焼き上がればすぐに誰かがそれをかっさらって行ってしまう。結局、酔っ払い連中相手には予行演習にもならないことが証明されたわけだ。
 それから、セテはジャドウィックが気に入っている、小麦粉にキャベツやさまざまな食材を混ぜて焼く、デミグラスソース味のキッシュ風焼き物を振る舞ってみた。今回は、用意された一袋分の小麦粉を水で溶き、キャベツ二玉くらいをザクザク千切りにしたのにいくつかの食材をゴロゴロ切って混ぜ合わせた生地を、網ではなく鉄板の上に広げて焼くのである。かなりの分厚さが出るので根気よく焼き、プツプツと表面に空気泡ができたころに裏返す。頃合いを見計らって表面に卵を落とし、もう一回裏返して押しつぶすように焼き目をつけたあと、最後に表に返してデミグラス風のどす黒いソースをたっぷりかけ、そこに乾燥魚の削り節と青のりをかけるのだ。
 旧世界《ロイギル》の古い言葉でオコノミヤキとかなんとかいうものだそうだ。
「おーコレだよコレ! このしょっぱさ! このデミグラスソースみたいなのに鰹節と青のりってのがいいんだよなぁ」
 ジャドウィックは一番乗りにそれをほおばり、ビールで流し込みながら大喜びだ。次いで、周りの人間も次々とつまみ出し、あっという間にネタはなくなってしまった。その味は好評で、ひとつの料理に何もかもが混ざって焼かれ、ホクホクした食感を生み出すのがとてもよいとみなが口々に言う。乾燥した魚や海藻の、海産物独特の風味が加わる点も気に入ったようだ。
 セテはワショクという異国風の料理を振る舞う店で教わったものであるが、どの国にもあまり見られない取り合わせが新鮮で、かつてセテが初めて食べたときもえらく感動した覚えがある。作り方もいたって簡単だ。
「うまくて安くあげられるんですけどね、ちょっと当日の回転とタネを仕込む手間を考えると、あまり効率的じゃないかも。屋台のコンロはいくつくらい確保できるんですか?」
 ビールと一緒に味見をしながらセテがそう言った。
「確かになぁ……。コンロは他の連中との兼ね合いがあるから、二台くらいしか確保できないだろうし、焼く時間を考えると、包丁を使わずに焼いて挟むだけのハンバーガーのほうが効率いいかもなぁ……」
 ジャドウィックが残念そうに鼻を鳴らした。あまりにガッカリしているように見えたので、セテはクスリと笑った。
「屋台じゃなくても、この程度ならまたいつでも作りますよ」
 そう言って、セテは最後に残ったオコノミヤキのひとかけらをジャドウィックの皿に載せてやる。
「まぁ、だがなかなかみなが集まるこうした機会もないだろうし、来年、同じことをやるのかどうか、できるかどうかも分からんしな」
 ジャドウィックが珍しく、声の調子を落としてそう言いながらビールをあおった。空はすっかり夜のとばりが降りていて、炭火の炎と煙が寮の壁や空を焦がしているのをじっと見つめている。遠くに見えるアジェンタス連峰の際《きわ》の部分だけが、遥か地平線に落ちきらずにうろついている太陽の光をわずかに残していた。
 アートハルクはいまはまだ辺境を味方につけてコソコソと画策しているだけだが、出方によってはいつ戦争が起きてもおかしくない。五年前のアートハルク戦争のときはセテもジャドウィックも学生だったが、ふたりともアジェンタス出身なので、そのときの恐怖を忘れたわけではない。そして剣士になったいまでは、最前線に立つ可能性だってあるのだから。
「スナイプスが好きそうな言い回しだがな」
 ジャドウィックが言う。
「常に死と隣り合わせってのは剣士になったときから自覚しているつもりだ。ただ、そのときがいつ来るか分からないからな。だから俺は、いまできることはいまやっておきたいし、感傷的なことを言うつもりもないが、生きている間に作れる思い出とか生きている間に他人に与えられる思いやりとか、そういうのを大切にしたいって思ってるんだよ」
 だからジャドウィックは全力で飲み通すのだ。こうした、今日の今日で馬鹿な思いつきと人が聞いたら言いそうなことも、全力で準備して、周囲の人間を巻き込んで同じ時間を共有する。いつかできなくなって後悔するくらいなら、やって失敗したとしても、楽しければそれでいい、とも言う。
 一見、刹那主義な印象も与えるが、彼が剣士であり、剣士が必要とされるような事態が起これば、それはとても重要な意味を持つ言葉だ。剣士には、いましかないのだ。
「来年……できますよ。そしたら来年は、オコノミヤキで出店しましょうよ。あとは……そうだな、月一で有志を集めて、この中庭でこんな会合をやるのもいい。それこそ、スナイプス公認にさせたらいい」
 セテがそう言うと、ジャドウィックは大声で笑った。いつものジャドウィックだった。
「そうだな。俺が集めた酒、あいつに品評させるのも悪くねえな」
 数日のうちに、ジャドウィックの班ではセテ考案レシピによる男料理屋台計画が承認された。ダンカンが、古びたバーベキューセットで煙にまみれながら試行錯誤するセテとレトを横目に、集めた試験材料の価格をもとに試算をし、あっという間に必要書類を仕上げて見せたのが功を奏したのだった。

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