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[つれづれコラム]

最初は何も知らなかった

 突発的に本編とは別にコラムを書いてみたくなったので、新コーナーを作ってみました。その第一回目は表題のとおり、「最初は何も知らなかった」です。いまでこそエラソーに「魅力的な小説サイトをつくろう!」なんてサイトを立ち上げて、いろいろ小うるさいことをツラツラ書いているわけですが、本当に最初のころはな〜んにも知らなかったんです。

 私とパソコンの出会いはそれほど古くはありません。ちょうど一回目の転職を考え始めたとき、いまからざっと8年ほど前(2002年8月現在)になります。コンピューターに関しては、大学2年のとき、一般教養科目に「コンピューター概論」というのがありまして、そこでMS-DOSを触ったことがありました。確かBASICで簡単なプログラムを組まされたり、計算式を覚えさせられたりしたのですけど、私は学生時代は遊びまくっていてほとんど出席したことがなかったので、DOSの簡単なプロンプトくらいしか身に付いていませんでした。ただ、DOSがどんなものなのかくらいは漠然と理解していたような記憶はありますが。
 卒業前にアメリカに旅行に行った際、ちょうどそのころ付き合っていた人のお兄さんという人がニューヨークに住んでおり、ご自宅に遊びに行ったとき、リビングに燦然と輝くMacintoshを見たことがありました。そのお兄さんは外資系企業に勤めるかなりのエリートで、リアルMacintoshユーザー。LCIIとかそんな類のマシンだったと思いますが、常時電源がオンになっていて、スクリーンセイバーが動いているのを見て、「をを〜すげ〜! なんかかっちょいいぞ〜!」と思いましたです。ええ、そのころのMacintoshのスクリーンセイバーといえば本当にシンプルなもので、黒い画面にラインアートのようなものが次々と描画されては消えていくといったものでしたが、それがすごくかっちょよかったんですね。OSがどうやって動いているのかなんて知らなかったもんですから、買えばああいうのが自分でもできると思っていたようです。
 それから卒業して社会人になり、コンピューターとはまったく縁のないアパレル業界に勤務していたのですが、実は私は以前からCG、特に3DCGに憧れていて、いつかはパソコンを自分で買って、使いこなしてみたいという野望を抱いていました。もちろん、そのころはパソコンなんて高くて買えないものでしたし、MacintoshとDOS、OS/2(知ってる人はいるかしら)、UNIXといったOSの違いなんてさっぱりです。ただただ、なんとなく「グラフィックはやっぱりMacintosh」なんて妙な先入観は持っていたようです。

 社会人としてある程度経済的にゆとりができてきたところで、とうとうMacintoshについて本格的に勉強をし始めようと決意しました。まだその当時はMacintosh関連の雑誌は巷にあふれかえっていたので、本屋にいけば必ずなんかしらのMac雑誌が手に入りました。ちょうど転職を考え始めたのもこのころで、雑誌を買って基本的なことを学び、広告を見てMac本体の価格とにらめっこしながら、いつか買ってやるぞと執念を燃やし始めました。
 雑誌を隅から隅まで読んだってのは、後にも先にもあれがはじめてだったと思います。なんせ、OSってなに? ってゆーかFinderってなによ。えっ! Macってこんなに高いの? メモリってなに? MBって単位はなんなのさ。こんな状態。毎日が新しい情報との出会いで、頭が混乱するとともに、とても楽しかった記憶があります。

 そしてそこへ朗報が! 当時私の妹は某百貨店に勤務していたのですが、そのとき、店内に新しくパソコンショップがオープンするのだという情報を仕入れました。秋葉原でも有名なパソコンショップの支店で、オープニングセールということでMacintosh本体がとんでもない価格で売り出されるとのこと。先着3名だったのでそれを目的に並ぶのは諦めていましたが、いい機会だったのでパソコンショップというものに行ってみて、気に入った機種があれば買ってみようと思い立ちました。
 事前にいろいろ勉強していたとはいえ、やっぱり初めて見るパソコン本体や周辺機器の種類の多さに大パニック。なにを買えばいいか分からないし、店員さんに話を聞いても、なにをしゃべっているのかさっぱり理解できなかったんです。で、目についたのが、この当時オールインワンでモニタ一体型のPerformaシリーズ。いくつか実用的なアプリケーションが最初から付属していて、モニタ一体型なので別でモニタを買う必要もなし。これならいいだろうと思ってその場で購入してしまいました。
 スペックはいま市場に出回っているものと比べるとたいへん貧相でしたが、それでも確か30万円以上は払ったと思います。Performa 5220、CPUはPowerPC 603/75MHz、なつかし〜(笑)! メモリは16MB(最高64MB搭載可能)で内蔵ハードディスクはなんと500MB。大容量です! OSは世界でもっともダサい名前だったでしょう、漢字Talk7.5(当時は最新OSでした)! 漢字Talkですよ、あなた。いまでこそ「OS X」なんてかっちょいい名前がついてますけど、ホント、Appleの日本法人はどうしてこんな名前をつけて発表したのか、いまだに謎です。
 会社から帰ってきて、雑誌やハウツー本を片手に、そりゃ毎日いじくりまわしていました。お恥ずかしい話ですが、最初はFinderってのがなんだかよくわかっていなくて、とにかく背面に回ったウィンドウをクリックして前面に出して操作する、なんてことすらできなかったんです。
 操作に慣れてくると、今度は腐れMacユーザーへの道をひた走ります。とにかくシステムのカスタマイズ! 機能拡張ファイルやコントロールパネルもガンガン入れて、「あ〜ん、コンフリクトして起動しない〜」とか「また爆弾が出て落ちた〜」なんてことは日常茶飯事、そのうちにResEditなんてリソースを直接編集するツールにはまり(Windowsで言えばレジストリエディタでシステムをいじるようなもんです)、OSの警告ダイアログやらメニューの文字列やらをカスタマイズするなどなど、アホなことばかりやってました。
 同時にこのころ、3DCGソフトの廉価版やグラフィックソフトの廉価版を買って、起動画面やデスクトップピクチャーを自分で作るほか、このころはどのマシンにも必ず付属していた簡易オーサリングソフトのハイパーカードにはまって、簡易データベースやら簡易ゲームのようなもののプログラミングをやり出しました。もうこうなると、明日出勤だろうがおかまいなしに朝まで熱中してましたね。
 そして驚くべきことに、このPerformaのシリーズには必ずFAXモデムが付属していたんですね。いつでもパソコン通信ができる状態。さらにいえば、インターネットに接続できる状態だったんです。まずパソコン通信に興味を持ち、ニフティサーブ(現@nifty)と契約してパソコン通信の会員になりました。そのあと、どの雑誌を見ても「これからはインターネット」のようなことが書かれてあり、ついにインターネットの世界へ。いまはDTIなんですけど、いちばん最初はリムネットで契約しました。プロバイダーもBEKKOAMEかASAHIネットかリムネットかニフティか、それくらいしか選択肢がなかったと記憶しています。
 もうね、たいへんだったんですよ。なんせモデムは14.4kbps。パソコン通信ならとてもさくさく楽しめるのですが、電話回線を通じたインターネットなんて、当時はうんこみたいなもんでした。まだまだホームページなんて言われるものが少なかった時代ではありますが、それでも画像を少しでも使っているサイトは重くて見てられない。しかも自宅の回線、キャッチホンのおかげで寸断するする。それでもハマったのは、インターネット上のあるチャットで何人もの友人を見つけることができたからでしょう。それからはチャットにハマリ、親には申し訳ないので自分で電話回線を引き、仕事があっても朝までチャット(笑)。テレホーダイなんてまだありませんでしたから、当時最高に支払った電話料金は、月額8万円でした。このチャットのおかげで、私のキーストロークの速さが鍛えられたといっても過言ではないでしょう(笑)。
 さて、このインターネット上で知り合った友人たちは実にさまざまな都道府県から集まってきた人たちでした。社会人もいましたがほとんどが大学生で、しかも理系の学科が多く、授業でHTMLやCGIを習っていたようでした。彼らと話しているうちに、なんだかHTMLっておもしろそうだぞ、自分でもホームページなるものを作ってみようかな、そんな気になってきたのです。これが私とHTMLの最初の出会いでした。
 このころはまだいまのようにたくさんの書籍が出回っていたわけではありませんでしたから、とにかく人に聞いて覚える、すでにあるサイトのソースを見て覚える、そんなもんでした。チャットの話題はいつもHTMLに関する疑問や質問で、そうしているうちに人並みくらいにはHTMLが書けるようになったのです。
 当時作っていたサイトはとってもおバカなことばかりやっているテキスト系サイトで、そのバカさ加減が評価されたのか、さまざまな雑誌で紹介されたこともありました。もちろん、メールボムとか悪意あるメールもたくさんいただきましたけど(笑)、そのときの経験はインターネットビジネス(主にコミュニティなど)に携わる自分にとってはいい糧になったと思います。
 ちなみに、このときの友人とはいまだにつきあいがあり、先日そのうちのひとりの結婚式に呼ばれて出席してきました。あのころの思い出話と言えば、「そういえば俺、ゆうぞーに『文字の色変えるのってどーやるの?』なんて聞いたんだよなぁ」。そんな彼も、いまではWeb関連のシステムアドミニストレーターをやっています。

 さて、そして運命のときがやってきます。ちょうど世間ではWindows95が発売されて大騒ぎだったのですが、その一ヶ月後、私はアパレル業界を辞め、とあるPC/IT系の出版社に転職することになりました。その会社ではWindowsをメインに通常業務を行い、MacintoshでDTPとCD-ROM制作を行うのが私の仕事。これまで独学でMacintoshをいじってきたとはいえ、仕事として扱うMacintoshはこれまでの自分の操作手順の水準をはるかに超えていました。そしてもちろん、Windowsなんて触ったことのない私ですから、右クリックメニューなんてもんも知らず、強制終了だって知りません。そんな人間がこんなところにいていいのかよ! と自分ツッコミ。毎日が「?」の連続でした。
「バッチファイルを作ってバッチかけといて」と言われれば「え? バッチファイルってなんすか?」、「テキストで保存してメールで送って」と言われれば「テ、テキストってなんすか?」といちいち聞き返さなければなりません。Windows95ではProgramFilesの下にアプリをインストールするなんて知らなかったし、ドライブレターってなんなのよ、ってゆーかアンインストールってなに? こんな状態。DOSのほうがまだましだ。ホントになんにも知らなかったんですよ。
 それでも仕事となるといやでも覚える速度は速くなります。なんにもしらなかった私が、そのうちにPhotoshopで何千枚もの画像をバッチ処理でフォーマット変換し、レタッチをし、割付ソフトで本のページ割付をし、Illustratorで表紙データやCD-ROMのレーベルデータを修正し、テキストエディタのマクロ機能を使って数十ファイルものHTMLを書き、JavaScriptを自分で書き、MIDIファイルを修正し、映像ファイルを編集し、Webサイトを構築し、気がついたらやったことがないのは自作パソコンくらいになってました(いや、もちろんほかにもやったことないってのはたくさんありますけど)。

 そんな仕事を経て6年。その会社も退職していまではフリーでパソコンを使った仕事をしています。そんなふうにいろいろやってきたおかげで人並みに教えられるくらいのいまに至るわけですね。パソコンが性に合っていたのだとも思いますが、諦めることが許されなかった環境だったから、ここまでできたのかもしれませんけどね。だって期日までに作業が進まなかったら、何日でも会社に泊まっていたわけですから(笑)。
 パソコンはなにかを形作るための道具に過ぎません。その道具でなにができるのかを理解しなければ、うまく使いこなすこともできないのだと思います。


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