第七話:決死の王女

Home > 小説『神々の黄昏』 > 第二章:黄昏の戦士 > 第七話:決死の王女

 ロクラン地方は、この季節は理想的な気候が続く。夏の終わりから秋への以降はたいへん穏やかな日々が続き、優しい風が町中を駆けめぐる。通年、暑すぎもせず、寒くもないという、エルメネス大陸の中でも過ごしやすい気候なのだが、その地形のためにとくに秋の初めは緑と水の色がよく映え、もっとも美しいとされている季節でもあった。旅行者がいちばん多いのも秋の初めである。
 透き通る空を高い雲が流れ、悠々と鳥たちが飛び交っていく様を、アスターシャは自室の窓から忌々しげに眺めていた。アートハルク帝国の占領下におかれていることなど人ごとのようにはしゃぐ秋の鳥。それに比べて、いまの自分は城の中を自由に動き回れるだけの囚われの身でだ。
 アートハルク帝国が見事なまでにロクランを制圧してから今日で四日目であった。ほとんど無血の状態で制圧されたものの、帝国は自分を、そして父王をどうするつもりなのかと考えると、さすがの彼女も胃の辺りがぐっと重くなってくる。そして、五十年も昔から使われていなかった塔の牢獄に閉じこめられた親友を思うと、いても立ってもいられないのだ。だが、今の自分にいったい何ができる?
 サーシェスとともにロクランの地下迷宮をさまよっていたときのことが、ふいにアスターシャの脳裏を横切る。あのときのサーシェスの、なんと勇気のあったことか。自分は絶望し、ただただサーシェスの後ろを歩いていくことしかできなかった。それと同じだ。結局、自分はひとりではなにもできない温室の花だったのだ。そう思いながらアスターシャはため息をつき、再び窓の外の光景をぼんやりと眺めるのだった。
 ノックされる音にアスターシャは柄にもなくたいへん驚き、そしてその狼狽ぶりを声に出さないように扉の向こうの訪問者に入ってくるように促した。だが扉が開くと、アスターシャは再び驚くことになった。
 アートハルクの巫女、ネフレテリであった。少女の姿をした巫女は背後に三人のアートハルクの兵士を従えており、彼女の勝ち誇った笑みを見て、アスターシャは年貢の収めどきかと覚悟をする。
「そんなに震えて。恐れることなどありませぬよ、姫」
 優雅な仕草で巫女はアスターシャに向かって恭しく礼をし、部屋の中に入ってきた。アスターシャに向かってゆっくりと歩いてくるのだが、アスターシャは心なしか窓際に後ずさりをしてしまう。
「……とうとう、私に死刑宣告を?」
 アスターシャは眉間にしわを寄せるいつもの苦々しげな表情で巫女を見つめ、尋ねた。ネフレテリはにっこりと笑い、首を振ると、
「まさか。火焔帝は無益な流血沙汰はお好みではありませぬ。そなたを殺すといったのも、そなたの父上に決断を迫る手段であっただけのこと。まさかロクラン一の気丈な姫が、そんなことに打ち震えていたとは」
 小馬鹿にするような口調に、アスターシャは再び顔をしかめてみせた。
「お父上がお呼びですよ、姫。お迎えに参上したまでですわ」
 ネフレテリの言葉に、アスターシャは拍子抜けした。そして、自分にはまだ執行猶予が残されていることにひそかに胸をなで下ろす。
「父を幽閉して何をするつもりが知らないけど」アスターシャは胸を張って巫女の後ろに立つアートハルク兵士たちを睨み付ける。
「何もかも、あんたたちの思い通りになると思ったら大間違いよ。そのうち中央諸世界連合が本気で動き出すわ。そうなったらあんたたちアートハルクなんかすぐにやっつけてやる」
 アスターシャの強がりに、ネフレテリはさも愉快そうに笑い声をあげた。
「気丈なことで。恐怖に打ち震える高官どもより、よほど楽しませてくれる」
 そう言って、ネフレテリはアスターシャを優雅な仕草で案内する。アスターシャはネフレテリを横目で睨み、そして兵士たちの横をすり抜けた。その後ろを征服者たちは、彼女の一挙手一投足を見逃さないといった隙のない身のこなしようでゆっくりと歩きだした。
 王の自室の前まで来ると、アスターシャはごくりと唾を飲み込んだ。もし父が見るも無惨な姿で自室に監禁されていたらと思うと、膝から下ががくがくと震え出す。
 ネフレテリが扉を叩き、そして開かれたドアの向こうに恭しく礼をした。アスターシャはその後に続いて、おそるおそる王の部屋に足を踏み入れた。
「アスターシャ!?」
 アンドレ王が驚いたように叫んだ。まさしく愛娘の姿であることを確認すると、その目にうっすらと涙が浮かぶのが見え、アスターシャも目頭が熱くなるのをぐっとこらえる。少なくとも征服者たちの前では、絶対に涙を流すつもりなどなかった。
「父娘水入らずで話したいこともあるでしょう。私どもは席を外させていただますわ」
 相変わらずの勝ち誇ったような笑みを残し、ネフレテリは兵士たちを引き連れて部屋の外に出ていった。
 アスターシャは彼らが外に出るのが早いか父王に駆け寄り、そしてその身体をしっかりと抱き留めた。少しやつれたのと無精ヒゲが生えているのを除けば、父の身体に異常はなかった。だが、アスターシャはそれでも信じられないのか、父の身体をぱたぱたと掌ではたいて感触を確かめた。
「本当にあいつらに拷問されてない? 暴力を受けてない?」
「ははは。三文小説の読み過ぎだ。だいじょうぶだ、やつらは私には何もしていない」
 その言葉を聞いて、アスターシャはやっと安心したのか、思い切り父に抱きすがる。
「お父様! 本当に、よかった。もう会えないかと思った」
「私もだ、アスターシャ。お前がひどい目に遭わされているのではないかと思うと、夜も眠れなんだ」
 ふたりは四日ぶりとはいえ、もう何ヶ月も会っていないような錯覚を覚えていた。とにかく無事でよかったと、父王は娘の柔らかい金髪をなでながら鼻をすすった。
「それよりアスターシャ、たいへんなことになっているのだ」
 アンドレは娘をいったん身体から離すと、その愛らしい顔を見つめながら小声で話しだした。
「『三つの要求』のことですね」
「そうだ」
 アスターシャもアートハルクが提示した三つの無体な要求については聞かされていた。ひとつは中央諸世界連合の解体、ふたつ目は「要石」とやらの解放、そして三つ目は「神の黙示録」の第一、第二のいずれかの探求である。だが、中央諸世界連合の解体については理解できたものの、あとのふたつの要求についてはその存在自体知らなかったので、アスターシャには理解する気も起きなかった。
「やつらはその三つを中央に飲ませるために、ヘルディヴァ公国とアジェンタス騎士団領を攻撃するつもりだ。すでにアートハルクの軍隊がそちらに向かっているとのこと。まんまとしてやられた。やつらは時間稼ぎをしていたのだ。ロクランを人質に取っておいて、そのほかの国々で実力行使するつもりらしい」
「ヘルディヴァとアジェンタスを? なんてことを……!」
 そういえばと、アスターシャはふと思い出す。サーシェスが話してくれた彼女の友人たちが、確か故郷のアジェンタスに戻ったはずだと。
「私はいまでは囚われの身。大臣や高官の連中も同様だ。だが、どうにかしてこれを中央に知らせなければ取り返しのつかないことになる……!」
「でも、どうやって……」
 アスターシャも城の中を歩き回れる程度の自由を与えられているとはいえ、囚われの身に変わりはない。アスターシャはうつむき、そして許しを請うかのように父王の手を握りしめた。
「おお、そうだ。今日メリフィスから手紙をもらったのだ」
 アンドレは傍らの引き出しを開け、一通の白い封筒を取り出す。
「メリフィス様から? いったいどうやって?」
 メリフィス司令官もアートハルクの監視下におかれているはず。いぶかしげに父を見つめると、
「なに、食事のテーブルの下にはり付けてあった。やつらもそこまでは調べなかったというわけだ」
 アンドレは封の開いた手紙を広げ、アスターシャに差し出す。アスターシャはそれを受け取ると、アンドレの顔と手紙を不安そうに交互に見ながら流し読みをする。
「塔に幽閉したあの娘を、なんとかしてこちらに有利なようにできないものかという内容だ」
「サーシェスを!?」
「そうだ。あの娘の首にはめられている術封じの首飾り。あれをはずさせてもう一度『開封の儀』に引きずり出すことができれば、諸刃の剣ではあるがあるいは……」
「やめて! もうサーシェスを苦しめないで!」
 アスターシャは父の手を握りしめ、叫んだ。サーシェスの失われた記憶を取り戻すために行われた「開封の儀」に列席していなかったものの、過去にアスターシャは何度か儀式を見聞きしたことがある。術にかけられた者は相当な苦痛を伴うと聞いていた。その恐ろしげな儀式に親友が再びかけられるのを考えると、心が張り裂けそうになる。
「何を言う。あの娘は恐ろしい力を持った魔女だぞ。お前の友人は大僧正リムトダール殿を死に追いやった張本人ではないか!」
「それでもサーシェスはサーシェスよ! 私のたったひとりの友人よ! それでいいじゃない!」
「わからんのか! ロクランの、いや、全世界の一大事なのだぞ! いまはあの娘がかわいそうだとかそんなことを言っている場合ではない!」
 アンドレに言われてアスターシャはうなだれた。伏せたまつげの奥で涙が光っているように見えた。
「すまぬ、アスターシャよ、父を許せ」
 声を荒げてしまったことを悪く思った王は、娘の手を優しく握り返し、柔らかい金髪を愛おしげになでてやる。
「聞いてくれ、アスターシャ。お前の協力が必要なのだ」
 言われて、アスターシャは驚いて父の顔を見上げる。懇願するような父の目を見るのは、本当に生まれて初めてだったかも知れないと彼女は思った。
「父の願いを聞いてほしい。城の中で自由を与えられており、しかも私に近しく、あの娘と面識があるのはそなたひとりだ。何とかしてあの塔に近づき、そしてあの娘を解放することはできぬものだろうか」
「私が……?」
「そうだ。あの娘の力を使えば、いま封鎖されているロクランの結界を越えるのもたやすいはず。娘の首につけられている術法封じの首飾りを取り除き、そして光都オレリア・ルアーノへ行ってほしいのだ」
 オレリア・ルアーノ。光都と呼ばれる中央諸世界連合の本拠地であった。汎大陸戦争より以前の旧世界《ロイギル》の文明が神獣フレイムタイラントの炎から免れてほぼ残っている、夜を知らない都である。中央諸世界連合の最高意志決定の場である中央諸世界評議会と、中央の全寺院を束ねる聖救世使教会、そして、各国騎士団の頂点に位置する聖騎士団など、中央を構成する諸国における重要な各機関の拠点が置かれているのだ。
 アスターシャはしばし父の顔を見つめ、思いを巡らす。たったひとりで、自分ひとりでそれをやるなど荷が重すぎる。だが、それをできるのは本当に自分しかいない。
 アスターシャはぐっと腹に力を入れ、震えてしまう唇を固く引き結んだ。やるしかない。自分にしかそれはできないのだ。
「わかったわ。お父様。私が必ず援軍を連れてきます」
 何食わぬ顔をして扉を開けると、直立不動の姿勢のままアートハルク帝国の兵士が廊下に待機していたので、アスターシャは小さくため息をつきながら顔をしかめてみせた。王の自室を始め、城の扉はほとんど防音されているはず。さきほどの算段がばれるはずはないと分かっていても、心なしか心臓が高鳴る。
 廊下の窓際で、ネフレテリは窓の外をじっと眺めていた。その後ろ姿を見ている限りでは、あどけない少女が秋の高い空を無邪気に見ているようにしか見えないのに。自分よりも、そして父王よりもずっと長く生きているはずなのに、なぜあの巫女は少女の姿をしたままなのだろうか、偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》はどうして年を取らないのだろうとアスターシャは漠然と思った。死ぬまであの姿のままなのだろうか。それはうらやましくもあったが、永遠に若い姿のままというのは人間のあるべき姿ではなく、とても寂しいことなのではないかとアスターシャは思った。
「もうお済みで?」
 振り返りもせずネフレテリが尋ねたので、アスターシャは大げさに驚いてしまう。
「またしばらくはお父上とも会う機会はありませんから、十分にお話しするのがいいですよ、姫」
「……もう済んだわ」
 アスターシャはなるべく悲嘆にくれていると聞こえるように声のトーンを落とした。
「けっこう。それでは私もアンドレ王にご挨拶でもいたしましょう」
 ネフレテリは王の自室の扉を開け、恭しく優雅に礼をしてみせた。
「何か忘れ物か、ネフレテリ」
 入ってきたネフレテリの姿を見て、王が毒づいた。ネフレテリはさして気を害したふうでもなく、
「私もご挨拶を。三日ほどロクランを離れますゆえ」
 それを聞いたアンドレとアスターシャは、気づかれないように互いの顔を見返す。ネフレテリがロクランを離れるとは、勝機が訪れたのか。
「ずいぶんと余裕だな。指揮官がいなくなった途端に占領国で暴動が起きるかもしれぬぞ?」
「いいえ、ご心配なく。私はロクランにとどまったままですわ」
 アンドレとアスターシャは、ネフレテリの言葉に首をひねる。謎かけのつもりなのか、ネフレテリの言っている意味がさっぱり理解できない。それを後目にネフレテリは王とアスターシャの顔を交互に見つめながら、
「そうそう、忘れておりました。あの塔の牢獄に閉じこめられている娘、明日には中央に送ろうかと思っておりますゆえ、ご友人の姫には最後の面会を許しましょう」
「な……!?」
 アスターシャが声をあげる。
「聞こえませなんだか。あの娘を中央諸世界連合へ、オレリア・ルアーノへ送ります。今日が最後でしょうから、姫をあの塔へご案内いたしましょう」
 アンドレは声にならない呻き声をあげた。いったいどういうつもりなのか。あの娘を仲間にしたがっていたのは、他でもないガートルード本人ではなかったか。それを、ロクランにとどまらせるならまだしも、手放して敵の本拠地でもある光都オレリア・ルアーノにゆだねるとは。
 危険度の高い術者、主に精神に異常をきたして術を暴発させたり、制御不能の力を持っているがゆえに突発的に力を爆発させるなど、手に負えない術者は中央の監視下におかれることが決まっている。たいがいはいまのサーシェスのように首に術封じの首飾りをつけられて一生を過ごすか、「記憶調整の儀」にかけられ、監視付きで過ごすことを強いられる。その際に、中央に忠誠を誓うように記憶を改ざんされ、洗脳されてしまうこともあると、まことしやかなうわさ話も民間で広くささやかれている。言うことを聞かない子どもにそんな話をすれば効果覿面でもあった。
 中央諸世界連合に送り、彼女に破壊活動をさせるつもりなのか。それにしても不確定要素が多すぎる。あの娘の力が封印されてしまえば何の役にも立たないはず。アートハルクはいったい何を考えているのか。諸刃の剣である術者であっても、ロクランの最後の希望が費えてしまう前になんとかしなくては……!
 王の思惑をよそに、ネフレテリは後ろで控えていた兵士を手招きすると、
「それでは、私は自室に戻りましょう。さ、姫、そこの兵士たちに塔に案内してもらうがいいでしょう」
 しかし、アスターシャはネフレテリの顔を睨み付けると、
「サーシェスを中央に送るって……どうする気? 私がサーシェスに会いに行って、中央へ援軍を連れてくるように頼んだらどうするの? そうなったらあんたたちアートハルクなんて中央諸世界連合の力に屈するだけでしかないのよ。自分たちの不利になるようなこと、進んでやるなんて信じられない」
「それもまた一興。あの娘にはぜひとも中央にたどり着いてもらいたいものですわ」
 コロコロと笑いながらネフレテリは王の自室を後にし、廊下をすべるように歩いていく。その後ろ姿を見送るのを許さないかのように、アスターシャはアートハルクの兵士たちに付き添われ、ネフレテリの去った方角とは反対方向に向かって廊下を歩き出さざるを得なくなった。






 ロイギル《旧世界》風の庭園を横切り、ロクラン城の敷地の最奥まで進めば、背後に森を控えた塔にたどり着く。森があるせいで空気がとても澄んでいるのだが、湿った土と二百年の間に苔むした塔の外壁が、とても陰鬱な印象を与える。緑色のこけを手で触りながら、アスターシャは気が滅入るような高さの塔を見上げた。あの最上階に、彼女の親友がたったひとりで閉じこめられているのだ。
 父王から子どもの頃、この塔は悪いことをした人が入れられるのだと聞かされていた。二百年前、汎大陸戦争が終結した直後の大混乱のさなかには、当然のように領地や主導権の奪い合いが起こった。後に初代国王となったデミル・ロクラン将軍とレオンハルトは、そういった争いやいざこざに収拾を付けるために奔走したというが、この塔はロクラン建国前、ここに砦を築いたときの見張り台の名残なのだそうだ。
 ロクランの建国直後、デミル・ロクランを国王に担ぎ上げ、新しい国家を築いたレオンハルト率いる軍隊が、主導権を狙う反対勢力と真っ向から対立したのだという。鎮圧されたときには、何百人もの過激な反対派の主力となっていた人間がこの塔に拘留された。そして、反乱の主導者は処刑されたのだが、中には当てつけにこの塔の牢獄で自殺をする者までいたということだ。そういう血なまぐさい話がこの塔の牢獄に残っているので、幼い頃のアスターシャは、お仕置きにこの塔に閉じこめると言われればすぐに聞き分けのいい子どもを演じる必要があった。
 塔の最上階へ続く道は長い階段ただひとつ。入り口を入るとすぐに術者の結界の気配が感じられ、ここから逃げ出すどころかこの中で術法を発動することもかなわない。各階に通じる踊り場にさしかかると、必ず両脇にアートハルクの兵士が立っているので、アスターシャは当てつけのように顔をしかめて睨み付けてやる。だが、アートハルクの兵士たちは意に介さない様子で無表情のまま彼女が通り過ぎるのを見守っているだけだった。
「そちらの階段の突き当たりです」
 ようやく最上階にさしかかる階段に到着すると、アスターシャを先導していた兵士が階上の扉を指さした。アスターシャはごくりと唾を飲み、不安そうに兵士を振り返る。
「ネフレテリ様からの許可は出ておりますゆえ。どうぞご面会を」
 兵士に促されてアスターシャは階段を登り、そして重い木の扉を開けた。扉の内側には鉄格子のはまった頑丈な鉄の扉が待っていた。そこからおそるおそる中を覗く。同じように鉄格子のはまった窓ひとつしかない薄暗い湿った部屋。若い娘をこんなところに閉じこめるなんてと憤りながら、アスターシャは扉に手をかけた。
「……サーシェス?」
 呼びかける声が震えてしまう。返事はない。サーシェスがひどい目に遭わされていたらどうしようと、そればかりが頭を駆けめぐる。
「サーシェス。私よ。アスターシャ」
 もう一度アスターシャは声をかけ、そして部屋の中に足を踏み入れた。部屋の隅で誰かが身体を起こす気配。そして大袈裟に息を飲み込む音が聞こえた。
「アスターシャ!」
 サーシェスはそう叫ぶと、戸口に立っていたアスターシャに駆け寄り、そして思い切り抱きついた。アスターシャもサーシェスを抱き返すが、親友の身体にけがや痣などがないことを確認してほっとため息をついたのだった。
「ごめん、サーシェス。なかなか面会に来られなくて……。それから、お父様を許してあげて」
「気にしないで。来てくれただけでもうれしい」
 サーシェスの顔が以前よりやつれて、少し青白いのが気になったが、それでもうれしそうに微笑む彼女の顔を見ると勇気がわいてくる。
「無事でよかった。もしあなたがひどい目に遭わされていたらどうしようと思ってた」
 サーシェスがそう言うので、アスターシャは思い切り首を振り、
「それはこっちの台詞よ。私だって、あなたがひどい目に遭わされていたらと思うと夜も眠れなかった」
 自分のことを差し置いて心配してくれていたサーシェスの手を握り、アスターシャはしばし涙ぐむ。彼女が無事であればほかのことはどうでもいいとまで思ったが、そこで父の願いをようやく思い出す。
「サーシェス、聞いてほしいことがあるの」
 そこでいったんアスターシャは話を区切り、扉の向こうの様子をうかがう。先ほどここまで案内してきたアートハルクの兵士は、階段の下で待機しているようで、こちらの様子にはあまり注意を払っていないようだった。
「なんとかあなたをここから助け出す方法を考えているの。だからそれまで辛抱していてほしいのよ」
「私を?」
「そう。その術法封じの首輪をなんとかはずしてあげる。だからロクランのために協力してほしいの」
「だめよ、だってこの首輪は……」
 サーシェスは自分の首にしっかりとはめられた金色の美しい首飾りに手をやる。見かけの装飾はたいへん美しいものだが、全体にびっしりと神聖文字が彫り込まれている。これは大昔、イーシュ・ラミナの術を封じるために開発されたものだという。これをはめられれば、どんな強力な術者も力を封じ込まれてしまう。ふつうの首飾りのようにホックで止めるようなシロモノではなく、どこからはずれるのか、その継ぎ目も分からないくらい肌にぴったり密着しているのだった。これをはめられたときは、なにかご大層な呪文を詠唱された記憶もあるとサーシェスは思い返す。
「はずしかたも分からないのよ。それに、これをはずしたらまた私は……」
 サーシェスは言葉につまり、先日の自分の振る舞いを思い返したのか唇を噛み締めた。またいつ暴れ出すか分からない。自分が自分でなくなってしまう恐怖がどっと押し寄せてくる。
「そんなのどうでもいいよ! サーシェスはサーシェスじゃない。あなたがおかしくなったら、あたしがそばにいてぶん殴ってやるから絶対だいじょうぶ! それに、明日にはあなたはオレリア・ルアーノに連れて行かれるのよ! それでもいいの!?」
 子どものように強気でそんなことを言うアスターシャに、サーシェスは弱々しく微笑んだ。
「とにかく、明日の朝までに絶対、なんかしらの方法を考えてまた戻ってくる。その首輪のはずし方さえ分かればいいのよね。待ってて。必ず戻ってくるからね」
 アスターシャは一方的にそう言うと、サーシェスが呼び戻そうとするのも聞かずにさっさと階段を下りて行ってしまった。
 サーシェスは兵士とともに階段を下りていくアスターシャの後ろ姿を見送りながら、小さくため息をついた。そして、彼女に圧倒されて言い出せなかった言葉を反芻する。オレリア・ルアーノに行くのは自分の意志であると、自分はどうしても過去を取り戻したいのだということを。先日ネフレテリが自分に伝えた言葉は彼女にとって最後の希望でもあった。あの少女の姿をした巫女はサーシェスに言ったのだ。オレリア・ルアーノに行けば運命が開けるのだと。いまのサーシェスはそれを絶対のものと信じていたかった。






 小走りで自室に戻ったアスターシャは、部屋の外にアートハルクの兵士がいなくなる気配を待ち、それから裾の短い動きやすい服に着替えた。念のため、飾り帯に見せかけた剣帯を腰に巻き、そこに護身用の小さな剣を隠した。
 特に作戦も切り札もあるわけではない。だが、アスターシャはサーシェスを助けるため、ひいては父に代わりロクランを救うためならどんなことでもやる覚悟はできていた。自分はただの人質、なにかヘマをしても殺される心配がないというのが最大の強みだとも思っていた。
 あの少女の姿をした美しい巫女は、部屋に戻ったという。「オレリア・ルアーノに戻る」という謎めいた言葉の意味は分からなかったが、彼女の部屋に忍び込めばなにか方法が見つかるかも知れない。神聖語を操る巫女のことだ。なにか術法封じの首輪に関することを聞き出せるかも知れない。無謀にもアスターシャはそれをひとりでやり遂げるつもりなのだ。
 それから彼女は自室のタンスを開け、ごそごそと奥の方を引っかき回した。緑と水をモチーフにしたロクランの立派な金の紋章が白木によく合う王族のための家具だが、アスターシャが乱暴に中をあさるのでそれはガタガタと立て付けの悪いような音をたてて派手に揺れた。
 そして手に当たる何かの感触に、アスターシャはにやりと笑う。それを急いで取り出し、腰の帯の後ろにしまいこむと、何事もなかったかのごとく優雅に廊下に出て、すばやく左右を確認して歩き始めた。
 彼女はアートハルクの巫女が陣取る客室に向かっていた。来客用に二百もの部屋がこのロクラン城には存在する。どれも立派なものだが、特にあの巫女はベアトリーチェ川のよく見える部屋を気に入ったらしく、先日火焔帝からロクランを任されて以来、そこに寝泊まりしているようだった。その部屋はアスターシャも子どもの頃に気に入って出入りしていたので、敵の女がそこで暮らすのがアスターシャにはとても気に入らないことだ。
 何食わぬ顔をしてネフレテリの客室まで近づくと、アスターシャはそこで足を止め、壁のくぼみに身体を隠した。案の定、客室の周りにはアートハルクの兵士がネフレテリを守るためにふたりほど護衛に立っている。アスターシャは腰帯に隠したものを取り出し、にんまりと意地悪そうに笑った。長さはおよそ十センチほどで紐のついた筒状の棒が三本ほどその手に握られている。王女はその紐を勢いよく引っ張ると、兵士たちが立っている場所からちょうど反対側の窓の外を目がけて放り投げた。筒は窓の外に放り出された瞬間、派手な火花と爆音を散らして爆発した。当然、警備の兵士はあわてふためき、窓の外に駆け寄っていった。
「ふふふ、バーカ。まさかあんな初歩的な手に引っかかるなんて、案外アートハルク帝国って頭悪いのね」
 アスターシャは小声でくすくす笑いながらあわてふためく兵士を見つめる。彼女が持っていたのは祭りなどでよく使われる花火の一種だった。紐を引けば派手な音をたてて火花を散らすので、子どもたちにはたいへんな人気だ。彼女はよく小さいころからこうしたたちの悪いいたずらを城の中でやってきたのであったが、それが功を奏するとは彼女自身夢にも思わなかった。
 アートハルクの兵士は、ロクラン兵による反乱だと思ったのか、そうでないにしろなにか異常事態が起きたと思い、数人が外に向かって走っていくのが見えた。おかげで、ネフレテリの客室の前は無防備にも誰も護衛に立っていない状態になったのだった。
「頭悪いのね。こんなときに大事な巫女姫になにかあったらどうするつもりなのかしら」
 アスターシャは鼻を鳴らしてそんなことを言いながら、静かにネフレテリの部屋の扉に手をかけた。
 扉を開けた瞬間から、ずしんと頭が重くなるような感覚に囚われる。これが彼女の結界の強さなのだろうと思うと、アスターシャはようやく自分の無謀さに気付いたようだった。だが、ここまで来て後戻りはできない。アスターシャは薄暗い客室の中を見回したが、そのとき目の前の天蓋に目を奪われた。
 天蓋にかけられた薄いベールの向こうに、ぼんやりと緑色の光に包まれた人の姿があった。それが巫女ネフレテリの姿だと気付いて、アスターシャは小さく息を飲んだ。だが、巫女は緑色の光に包まれながら目を閉じ、動かない。眠っているのだろうか。そう思いながらアスターシャは静かにベールの中の人物に近寄っていった。
 巫女は眠っているようだった。静かな吐息が規則的に聞こえる。そして、巫女の顔はとても美しかった。自分の知る中では、火焔帝ガートルードもそしてサーシェスもたいそうな美しさだと感じでいたが、この少女の顔は少女であって少女でない、どこか大人びた淫靡な色気を感じさせる。同性ながらもアスターシャの喉が思わずごくりと鳴ってしまう。イーシュ・ラミナというのは、みなこのように美しいのだろう。神々のなんと不公平なことか。そんなことを考えながら巫女を見守ると、彼女を包む緑色の光は、すべて空中に浮かぶ神聖文字であることに気付く。彼女は眠ったまま術を施しているのか、それとも。
「強情な……!」
 眠っているはずの巫女の口から、苦々しげな言葉が発せられた。アスターシャは飛び上がらんばかりに驚いたが、彼女は目を閉じたままだ。自分の存在に気がついたのではなかったのでほっとしたのだが、寝言にしては物騒な台詞だ。よく見ると、巫女の額にはうっすらと汗がにじんでいる。
「……なるほど、確かに預言者と呼ばれるだけはある。さすがは聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》のひとり。だが、いつまで保つか時間の問題ではないか? オレリア・ルアーノの美しき賢者よ」
 目を閉じたまま巫女は笑った。その笑みのなんと凶悪なことか。見ているだけのアスターシャの背筋を鳥肌が走った。そして、巫女は小さく手を動かしながら術法を展開するための印を結んでいる。彼女は眠ったまま、オレリア・ルアーノにいると思われる術者と戦っているのだ。だが、そんな術法は聞いたことがない。恐ろしさでアスターシャの足がすくみ、もつれてよろめく。よろめいた拍子に彼女の腕が椅子に当たり、それは派手な音をたてて倒れた。
 途端に、ネフレテリの瞳が開く。アスターシャは小さな悲鳴をあげて身を翻した。その後を追うように、攻撃術法がアスターシャの背後で発動する。だが、方向が定まらなかったのか衝撃波は部屋の壁のとんでもない方向にぶつかり、爆煙をあげた。
「ネフレテリ殿!」
 廊下から数人の兵士が駆け寄ってくる足音。爆発から頭を守るために座り込んでいたアスターシャは、術法がはずれたのをこれ幸いにと再び身を翻し、廊下に躍り出た。
 遅れて部屋に入ってきた兵士がネフレテリに駆け寄り、彼女が起きあがるのを助けてやる。巫女は術の直後で力を使い果たしているのか、ひとりでは立っていられない状態のようだった。
「術の直後でねらいが定まらぬ! とんだ不覚だ。わたくしの術の最中に忍び込むとは……!」
 兵士に支えられ、ふらふらのネフレテリは小声で悪態をついた。そして部屋に入ってきた数人の兵士を睨み付けると、
「小娘と思ってあなどっていたが! あの娘を捕らえよ! 我が術を見たからには自由にしておくわけにはいかぬ!」

全話一覧

このページのトップへ