第十八話:辺境の助け手

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 突然の突風に助けられた一行は、ぎょっとして町中の人々が見つめる中、港町を走り抜けていった。さすがに巨体の剣士と彼に抱えられる痩身の青年、もうひとり若い男、そして若い高貴な育ちに見える女性と子どもの団体が走っているのは、相当異常な光景だろう。
 船の停泊する波止場までやってくると、海そのものの匂いと、船や波止場にこびりついている黒い塊──後で一行はジョーイから、それが「海草」というものであることを聞かされたのだが──の生臭さが強くなってきており、その臭いが気に入らないベゼルは終始、鼻をつまんだりしていた。
 レイザークは担いでいたセテを降ろし、地面に座らせた。まだ気を失っている青年の後ろからその肩に両手を当てると、気合いを入れて軽い電撃術法を見舞う。突然セテが「アチッ!」と意識を取り戻したので一行はほっと一息ついたのだったが、当のセテは辺りを見回しながら、何が起きたのかを把握するのに必死のようだった。
「ごめん、また俺やっちまったのな」
 落ち込んだ様子でセテがそう言った。
「いつものことだ、気にするな。偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》でさえ強力な術法を使えば、数時間意識不明になることだってあるんだ、いままで術法が使えなかった人間が耐えられることもあるまい」
 珍しくレイザークがそう言った。
 船着き場に停泊している船は数隻あったが、さきほどの声の主はそのうちの一隻に近寄るよう指示し、一行はおとなしくそれに従った。不思議と危険な罠であるという感覚は起きなかった。その証拠に、慎重なレイザークが剣を担いで警戒するという態勢を取ることがなかったからであった。
 セテは初めて見る船と、その向こうに広がる「海」をまじまじと見つめた。本で見てはいたものの、海がこれほど無限の広さを感じさせるとは思っても見なかったし、どうしてか心の奥底からにじみでてくる懐かしささえ感じる。もしかしたら、自分は以前にも海というものを見たことがあったのかもしれないとセテは思った。
 また、海を行き来するための船の仕組みにも興味があった。昔は、ガレー船などといって奴隷に櫂でこがせたものもあったそうだが、いま見ている船は櫂でこいで進めるような大きさではない。大小の帆が船上のマストに取り付けられ、これで風をあやつって進むのだそうだ。
「どこだ、あの声の主は」
 サーシェスは警戒した様子で船の右舷を見つめている。その脇で、レイザークが少し困惑したような、困ったような仕草で頭をかいている。
 そのうちに、人影が船のへりに現れ、それが波止場に向かってひらりと身を翻した。一行が悲鳴をあげる間もなく、その人物はまるで空中浮揚をするかのように静かに波止場に舞い降りた。女だ。
「やっぱりお前だったのか!!」
 レイザークが声をあげた。一行はきょとんとした顔で、あわてるレイザークとその女の姿を交互に見やる。
 女はとても背が高く、そしてとても筋肉質だ。黄金のゆるいウェーブのかかった髪をしているが、きれいに整えた巻き毛などと呼べるものではなく、無造作に伸ばした感じで獅子を彷彿とさせる。
 筋肉質だ、と分かるのは、その女がとても露出度の高い格好をしているからだった。甲冑ほどではないが、適度に身体の急所を防御するために装備したショルダーパッドや胸当てがあるものの、鍛え上げられた上腕二頭筋があらわになっており、チュニックの下から覗く足は素足のまま。ブーツと装備は毛皮を主に使用している。いわゆる蛮族らしい出で立ちであった。表情にさえ、野性味を感じさせる独特のものがあり、日焼けした皮膚が映える神秘的な顔立ちである。
「バルバロイ《蛮族》……」
 アスターシャは聞こえないようにつぶやいたのだったが、女は耳がいいのかそれを聞きつけ、大声で笑った。
「そうそう、バルバロイって呼ばれてるけどね、辺境の人間は。まぁそれ以上に、私は根っからの蛮族だし」
 気を悪くしたわけでもなくそう言った女に、アスターシャのほうがバツが悪くなってくる。
「知り合いなのか」
 セテはレイザークに尋ねた。
「ん? あ、ああ、まあ……な」
 珍しくレイザークが歯切れの悪い言葉を返した。
「知り合いだなんてよそよそしい。会いたかったよ、レイザーク!」
 女は突然レイザークに抱きついた。驚いたのはレイザークだけでなく、周りのセテやアスターシャたちだ。
「うわっ! よせ! よせっての!」
 珍しい、レイザークの恋愛沙汰なのかもしれない。レイザークは女を無理矢理引きはがして額の冷や汗をぬぐう。
「なにやってんだオッサン。カノジョと感動の再会ってやつじゃねーのかよ」
 セテがここぞとばかりにからかうのだが、
「うるせえ、そんなんじゃねえ」
 そう言ってレイザークは女から数歩後ずさった。女は腰に手を当て、レイザークのそんな様子を見ながらうれしそうに笑っているだけだった。
「俺たちをどうするって? そのために来たんだろう、お前は」
 レイザークが問うと、女は後ろの船を振り返り、指でそれを指し示してにやりと笑った。
「そう。あんたたちをかくまってやれって。テオドラキス様からのご命令さ」





 長い廊下を、いらだたしげな様子の早足で歩いていく音が響き渡る。紫禁城《しきんじょう》の飾り気のない長く白い廊下に、赤茶色の髪と裾の長い黒の戦闘服が踊る。真紅の竜騎兵《クリムゾン・ドラグーン》アトラス・ド・グレナダが、端正な顔立ちに怒りと悔しさをまぜこぜにしたような表情で歩いて行くところであった。
 光都オレリア・ルアーノを出た救世主を奪還せよと命じたのは、誰でもない火焔帝ガートルードのはず。それを、遂行半ばで門《ゲート》で引き返させたのはなぜか。時限ゲートであったのは確かだが、それは自分が救世主を確実に捕獲するまでの話。救世主奪還が完了した後に、自分の合図でゲートが作動するはずだったのに、あそこで引き返させたのはどんな理由があってなのか。
 アトラスはその理由をガートルード本人に確かめたかった。
 再びあいまみえた、あの金髪の青年──青き若獅子──と、鋼の豪腕を持つと言われるパラディン・レイザークとやり合う可能性も、密かに彼は楽しみにしていたところであった。子どもが急にお気に入りのオモチャを取り上げられた。そんな表現がふさわしいと我ながら情けなくも思ったが、真紅の竜騎兵のふたつ名を持つ自分の矜持とでもいうべきか。
 怒りが全身を駆け巡り、それが大きくふくらんでいくたびに、固いブーツの踵が高い音を鳴らして紫禁城の廊下を振るわせていた。
 ガートルードの部屋の前では側仕えと警護を担当する術者ふたりが控えており、アトラスの憤怒の表情を見てひるみながらも、用件を聞き出そうと必死になってアトラスの前に立ちふさがる。
「そこをどけ。俺はガートルードに用がある」
「火焔帝はいま、ランデール様とご面会中です」
 アトラスはその名を聞いて舌打ちをする。アトラスはランデールがあまり好きではなかった。どちらかといえば嫌いな部類の人間だ。ひょうひょうとした性格は人好きがするものの、もったいぶったような物の言い回しだとか、にこにことしたその笑顔の裏に隠されている黒いものの匂いがたまらなく気に入らない。剣による正当な戦術による闘いを糧とする自分と違い、術を駆使し、どちらかといえば戦術よりも人の心理を煽るようなやり方も気に入らなかった。そしてさらに気に入らないことに、ランデールはガートルードに取り入るよう、たびたびこうしてガートルードの部屋を訪れ、密談をしているらしいのだった。
「構わん。どけ。作戦に関することで用がある」
「ですがアトラス様……」
 困ったような側仕えの者たちが顔を見合わせたりしていると、
「よい。アトラス、入ってくるがいい」
 部屋の中からガートルードの声がした。側仕えの術者たちはその声を聞いた途端、アトラスに頭を下げながら後ずさり、部屋のドアを恭しく開けたのだった。
 アトラスが部屋に入ると、術者たちが再び恭しく扉を静かに閉じた。その気配を感じる前に、アトラスは歩を進めて部屋の中央にきていた。そして、ガートルードと対面している術者の男の顔を睨みつける。
「これはアトラス様。ご機嫌うるわしゅう」
 ランデールはいつものようにそう言うと、舞台俳優のごとく軽く頭を下げる。アトラスはそれが気に入らなかったが、努めて軽く会釈を返した。
「それでは私はこれにて」
 ランデールがガートルードにそう言いながら頭を下げたのだが、
「別にそこで話を聞いていてくれても構わん」
 アトラスはそう言って、ひょうひょうとした術者が退室しようとするのをやんわりと許可してやった。これはガートルードへの当てつけのつもりであった。
「どういうことだ、ガートルード」
 アトラスは一歩前に踏み出しながら火焔帝の名を呼んだ。彼女を名前で呼ぶのは、紫禁城ではアトラスただひとりであった。
「なぜ作戦を途中で放棄した。あんたが命じた救世主《メシア》奪還だろう。時限ゲートを無理矢理作動させてまで引き返させるとはどういうことだ」
「わずかな〈ずれ〉だが……」
 火焔帝ガートルードはいったんまぶたを伏せ、一呼吸置く。
「歯車が狂いだした。お前の身に危険が及ぶのを防ぐためでもある」
「いずれ軌道修正用演算処理が働くのだろう? 微々たる〈ずれ〉ならこれまでいくらでもあったはず」
「今回はふたつの不確定要素が同時に動き出した。ひとつは、〈青き若獅子〉とサーシェスの関係だ」
「救世主が目覚めたのはこちらにとっては好都合のはずだ。だからこその奪還を命じたのでは?」
 いらだちを押さえきれず、アトラスが詰問するような口調でガートルードに問いただす。
「そのとおりだ。だが、〈青き若獅子〉の能力が格段に上がっていることは驚くべき事象だ。サーシェスの力が、あの青年に逆流しているのだと見られる」
 言われて、アトラスは思い返す。確かに、データでは術法など使えないことになっていたはずの青年が、いっぱしの術者顔負けの術を放出して彼をはじき飛ばしたのだった。
「そしてもうひとつ」
 ガートルードは今度はまぶたを開き、赤い瞳でアトラスを見つめた。
「テオドラキスが動いた」
 アトラスは表情に出すつもりはなかったのだが、わずかに驚愕の表情がその整った顔立ちに表れていた。
「生きて……いたのか……! なるほど、そういうことか」
 アトラスは納得したようにニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「あの〈気〉の力がそうだったとはな。確かに、俺ひとりでは聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》のひとりに敵うわけはない」
 アトラスは不快そうに鼻を鳴らしたあと、ガートルードを再び睨みつける。
「それで? 昔なじみに情がわいたとでもいうつもりでもなかろう。救世主一行がテオドラキスの庇護を受ければ、ますます奪還は難しくなる。辺境への出撃なら、真紅の竜騎兵《クリムゾン・ドラグーン》を出すことも可能だがどうするつもりだ」
「辺境での戦闘は、我々には地の利がない。お前も含めたお前の精鋭たちを出すつもりはない。いまランデールと話していたのはそのことだ」
「ほう……」
 アトラスはわざとランデールを物珍しい動物でも見るかのような表情で見つめた。
「ランデールには光学迷彩《オプティカル・カモフラージュ》を装備させた術者の精鋭を率いて救世主の後を追ってもらう。救世主が目覚めたとあれば、大きな軍勢を率いて動くのも感知されやすい。もちろん、こちらも術者、向こうも術者とあれば利点も欠点も同じではあるが、衝突は最小限に食い止めたい。それに」
 ガートルードは横目でランデールを見つめ、
「新しい同志にその任務を託して戦果を見てみたい」
「なるほど」
 アトラスは、あまり興味なさそうに返事を返した。
「アトラス、お前には〈土の封印〉の探索を命じたい」
 ガートルードはアトラスに向き直ってそう言った。アトラスは腕組みをしながら「ふむ」と軽く頷いた。
 ガートルードは中空に軽く腕を振った。即座に、ランデール、アトラス両名の目の前に、エルメネス大陸全土を中心とした地図を映し出す半透明な〈スクリーン〉が姿を現した。
「これは現在、中央が公開している本惑星全土の地図。そして」
 ガートルードは再度軽く腕を振った。〈スクリーン〉に映し出されている地図に、半透明な形で別の地図が重なって表示された。エルメネス大陸は現在のものよりはるかに広大で、いまでは海に点々と浮かぶ辺境の島々のある場所にも、いくつかの大きな大陸が存在している。北極、南極双方の大陸も、現在より遙かに広大さを誇っているのが見て取れる。
「これが、二百年前の大沈下直前までの全土の地図だ。知ってのとおり、〈土の封印〉は〈土の一族〉の末裔に管理させていたが、水没する前、〈土の一族〉はエルメネス大陸ではなく、海を隔てた大陸、当時はセレンゲティ大陸と呼ばれていたが、そこに居を構えていた」
「セレンゲティ……聞き慣れない言葉だな」
「旧世界《ロイギル》の言語のひとつで、広大な草原を意味する単語をそのまま大陸の名前に用いたものだ。文字どおり緑豊かな、〈土の一族〉にふさわしい居住区域だったはずだが、見てのとおり、汎大陸戦争でほとんどが水没している。彼らが大戦終結後にどこに避難したのかは分かっていない」
「つまり……辺境の島々をくまなく探せというわけか」
「そのとおり」
 ガートルードに言われ、アトラスは小さく肩をすくめた。
「救世主を追わないだけで、辺境に行くのは変わらんだろう」
「戦闘をしろとは言っていない。探索し、その場所をつきとめるだけでいい。彼らを引き入れたい」
「ほぅ。それはまたなぜ?」
 アトラスは意外そうにそう言ってガートルードに尋ねた。
「〈土の一族〉は我々偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》の武器となる剣を作る特殊な技能を持っている。友好関係を結んで、生体兵器となる武器を再度作らせたい。お前の持つ剣のようにな」
「一理ある。俺もこの剣のおかげで生き延びることができた。それに……」
 アトラスは自分の腰の剣をぐっと握りしめた。
「……彼女の生まれ故郷でもあることだ。この目で見たい。まさか、それで俺を?」
 アトラスは珍しく表情を和らげ、ガートルードを見やった。
「休暇、というわけにはいかないが……な。そういう機会を一度、お前に与えておこうと思ったまでだ。これからロクランの始末や、光都との小競り合いで忙しくなるだろうから」
「……了解した。いつものことだが、あんたは本当に不思議な人間だな。冷酷なのか情に厚いのか分からん」
「私は常に情に厚いつもりだが、戦争はどんな人間をも冷酷にさせるものだ」
 ガートルードは無表情のまま、平然とそう言った。





 船が大海原を泳ぎだした。
 ここへ来てジョーイは、まさに水を得た魚のように元気を取り戻して、船のあちこちで陽気に振る舞っている。
 ベゼルはジョーイに教えられた〈船酔い〉と格闘しており、船内の個室にあるベッドでゲーゲーしているらしい。アスターシャは、ベゼルに付き添っているとのことだった。
 そしてサーシェスは再び、自室にこもってしまっていた。
 残るレイザークとセテは、先ほどの使者の女と船べりに体を預けながら話をしているところであった。
 女の名はアラナ。辺境の蛮族の戦士なのだという。そして、ジョーイとも面識があり、もちろんレイザークとの面識は言わずもがなであった。
「その、さっき言ってた『テオドラキス』ってのは?」
 セテはアラナに問う。隣のレイザークはあきれたようにため息をつくと、
「お前なぁ……。本当にレオンハルトしか興味がなかったんだな」
「いいって。知ってる人間のほうが珍しいだろ」
 アラナが割って入った。
「テオドラキス様ってのは聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》のひとりで、〈気〉の力を操る術者なんだ。これも知ってるかどうかは分からないけど、聖賢五大守護神は大戦後、レオンハルトを除いて各地にバラバラと散っていったからね。そんな中でテオドラキス様は辺境に身を置いて、大戦後の混乱を収拾させるのに奔走されたし、辺境の民をまとめあげたり、たまに術者になりたい者がいれば術法の指導をしたりしている、そんなお方さ」
「へぇ……そうなのか」
 セテは目を見開いてそう言った。
「それに、いち早く〈黄昏の戦士〉の趣旨にも賛同されてね。ジョーイをレイザークに接触させたのもテオドラキス様のはからいだったんだ」
「そうなのか。さすが聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》、年の功と先見の明ってヤツだな。すげー。俺、四人ものガーディアンズと面識があることになるのか」
 セテは脳天気なことをつぶやく。
「なぁレイザーク、あんたはそのテオドラキス様に会ったことあるのか?」
「いや、残念ながらない。名前だけだ」
「そっか……残念だな」
「なにが」
「いや、その……。あんたに剣術を教えてもらって、俺、術法の制御方法をテオドラキスって人に教えてもらえるよう、あんたを通じて頼もうかと思ったんだ」
「なんだそんなことか。まぁ俺も人様に教えられるような術法使いじゃないからな。だが相手は聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》様々だ。難しいかもしれんな」
 レイザークは術法が苦手なのかもしれないとセテは思った。確かに、聖騎士ではあるが剣は攻撃術法を載せやすくしてあると言っていたし、剣のほうが得意分野なのだろう。
「あら、そんなの簡単さ。頼めばすぐ教えてくれるだろうよ」
 アラナがそう言ったので、セテは目を丸くする。
「そ、そんなに簡単なことなのか? だって聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》のひとりだぜ?」
 グウェンフィヴァハが質素な占い師出身だったことはすっかりセテは忘れていた。
「あんたたちのこと、首を長くして待ってらしたんだ。ちょっと待って」
 そう言って、蛮族の戦士アラナは見かけによらないかわいらしい笑い声をあげた。
「いま心語が返ってきた。問題なしだって」
 アラナが即座にそう言ったので、またしてもセテは目を丸くした。
「な、なにが?」
「だから、術法を君に教えること」
「ちょ……ッ! そんな簡単に言われても、心の準備ってもんがあるし……!」
「心の準備なんていらないよ。テオドラキス様は気さくだし、それに……うん、そうだな、会ったらきっとびっくりするだろうけど、それは会ってのお楽しみってことで」
 アラナは再び、くすくすと笑いながらそう言った。セテはレイザークと顔を見合わせ、互いに少しだけ肩をすくめ合った。
「ところでさ……」
 セテは興味津々だったことについてアラナに聞いてみたくなり、口を開いた。
「なに?」
「あんた、えーと、アラナ。レイザークとはどういう……」
「お前には関係ないこった!」
 レイザークが面倒くさそうに割って入った。アラナがそこでケラケラと笑う。
「照れちゃって! かっわいい〜!」
 見れば、レイザークはそっぼを向いてはいるが、耳が赤くなっているのが見てとれた。セテはおもしろくなってフフンと鼻を鳴らした。アラナが、昔少年時代に出会った破天荒な女聖騎士を思い起こさせるので、セテにとっては話しやすいのもあった。
 ──ジョカ……今頃は元気だろうか──
 お忍びの聖騎士として、ヴァランタインの町の剣術大会で、まだ十七歳だったセテと剣を交えた彼女。顔は似ても似つかないのだが、背格好がジョカとアラナはよく似ている。そして、その外見に似合わずいたずらっぽい雰囲気を持つところなど。
 彼女は元気だろうか。作戦で右腕を失って聖騎士を辞めたあと、亡くなった妹──伝説の歌声とまでいわれたオルガ・ビシュヌという歌手のマネージメントを務めていた男性と結婚し、おそらく子をもうけ、その子どもも大きくなっていることだろう。
 彼女が幸せに暮らしていればそれでいい。セテはアラナにジョカ・ビシュヌの面影を追いながら、心が少しだけ温かくなるのを感じていた。
「うるせーな。お前は! ったく、気軽にケラケラ笑いやがって!」
 照れ隠しにそう言うレイザークの声で、セテは我に返った。
「お前が期待してることなんざ、なんにもねーんだよ」
「あらやだ。つれない人ね〜。聞いてくれる? これでもあたし、彼、レイザークに求婚したんだけど」
「求婚!?」
 セテは大声をあげた。すかさずレイザークがセテの口に手を当てて「声がデカイ!」と声にならない声でしかりつける。セテはますますおもしろくなってレイザークの大きな手をどけると、
「あんたもやるなぁ。で? 返事は? もちろんいまふたりは婚約中ってこと?」
「それがね。この人、あやふやな返事をしたままアジェンタスやらロクランやらをかけずり回って、それっきり」
「うわぁ……あんた、サイテー」
「でしょ? 男としていかがなものかと」
「うるせーな。俺はお前に求婚された覚えなんざねえんだよ」
「ほら、そうやってごまかす」
 アラナは腕を組み、怒ったような表情でレイザークを睨みつけている。
「あ、あのさ……」
 険悪な雰囲気になっては困る。セテはあわてて間に入った。
「求婚って、その……ちゃんと結婚してくださいって、アラナが言ったんだろ?」
「バカか! この女がそんな殊勝なマネするか!」
 今度はレイザークが腕組みをした。
「剣での一騎打ちを申し出てきたんだ。言われればやるしかないだろうが」
「……それがなんの意味が……」
「あたしが説明するよ」
 困惑するセテに、アラナがにこやかにそう言った。
「あたしの部族の風習でね。気に入った男と一騎打ちして、勝てばそれが求婚の意味を持つのさ」
「はぁ!?」
 またしてもセテは大声をあげた。
「レイザーク……あんた……負けちゃったのか……」
「……女に本気で斬りかかっても仕方ないだろう」
「でもそれ、求婚の儀式だったわけだろ?」
「そんなの知ってたら最初から受けるか!」
 セテはレイザークとアラナを交互に見やる。アラナは相当レイザークに入れ込んでるようだ。
「レイザーク。あんた今年でいくつだっけ」
「……三十九になった」
「……あんたもそろそろ身を固めること、本気で考えたほうがいいんじゃない?」



 約五時間後、船は荒波にもまれることもなく、嵐に見舞われることもなく無事に到達地点にたどり着いた。
 到着前、これまで見渡すばかりの水平線だった前方に陸地の影が見えだしたときには、セテは心がはやってうずうずしたものだった。そして、船内でも乗組員たちが〈海図〉と呼ばれる海の地図を広げながら、航路や現在の方角、風向きなどに気を払いながらにぎやかしく動いているのを見て、騎士団の喧噪とは別の高揚感に浸ったものだった。
 いよいよ目的地の港に船はすべるように近づいていく。帆を操る者たちの声がいっそう大きくなり、港にも多くの人手が詰めているのが見てとれた。
 やがてゆっくりと船は船首を回し、スターボードで港に近づいていく。その頃には、帆はたたまれ、巨大なマストが天を突くかのようにそびえ立っていた。
 港側から木製の橋が運ばれてきて、甲板に渡された。船の到着が知らされたので、ベゼルとアスターシャ、サーシェスも甲板に出てきていた。ジョーイは船内の人間と親しいのか、船の航行について打ち合わせたりと忙しいようで、セテとレイザークはそれまで船内を行き来したり、甲板で潮風に吹かれながら海を見たりしていたのだが、到着間際からずっと甲板で船べりに体を預けていたのだった。
 アラナが先頭に立ち、一行もその後に続いて船から港へ降り立った。出迎える人たちから歓声が上がる。たいそうな歓迎ぶりだ。中央からは追われる身で、辺境では歓迎される身、セテは不思議な気分だと思いながら出迎える人々を見やった。
 目につく人々の耳はとがっている。ほとんどがそうだ。辺境の人々は、偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》の血が濃いのだろうかとセテは思う。
 やがて一行を取り囲む人の輪は自然に左右二手に分かれていく。その奥から、十三、四歳くらいの少年がパタパタと走ってくるのが見えた。
「お帰りなさい! 長旅は疲れたでしょう!」
 少年は息を切らせて元気に声を掛けながら一行に近づいてきた。そして、船酔いで顔が真っ青のベゼルを見とめると、
「おや? 船酔いですか? 無理もない。海の旅に慣れない人には船はきつい。大丈夫ですか?」
 そう言って少年はベゼルに声をかけた。
「あ、ありがとう……うぇ……っ」
 ベゼルは口元を押さえながら少年に軽く礼を言う。
「みなさんもお疲れでしょう。用意をしておりますから少し休まれるといいですよ」
 少年は一行に向かってにっこりと笑った。金色にほど近い赤毛を肩のあたりまで伸ばし、司祭の着るような装束を身につけたこの少年の耳は、やはりとがっている。テオドラキスの使いの者だろう。
「アラナ、あなたもお疲れさまでした。たいへんな役をあなたに押しつけてしまってすみません」
 少年はアラナを見上げてそう言ったが、アラナは首を振り、
「いいえ。神々の加護が味方してくれましたからね。それより……」
 アラナはいたずらっぽく笑って、後ろにいるセテたち一行を親指で指さす。少年は一瞬首をかしげたのだったが、すぐに思い出したように目を見開き、
「ああ! すみません、忘れてました。ようこそセレンゲティへ。私がテオドラキスです」
「えええええッ!?」
 一行から驚きの声が上がったのは言うまでもないことであった。






 テオドラキスたちは港からそう遠くない森の中に居を構えていた。森と人との共生、中央ではあまり考えられない暮らしぶりではあったが、貧しいわけでもなく、木造りの家々が立ち並び、人々は生き生きと生活しているようだった。
 テオドラキスを筆頭にした一行が休憩所に案内される間、周りの人間たちはテオドラキスを見るにつけて何かと声をかけ、そしてテオドラキスも気さくにそれに応えている。
 アラナが言ったように確かに会えば驚くというのはあったが、彼が辺境の民にたいへん慕われていることがよく分かる光景であった。
 しかしまさか、聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》のひとり、〈気〉の力を操る術者テオドラキスが、まさかこんな年端もいかない少年だったとはとセテは思う。だが、サーシェスの一件といい、偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》はふつうの人間よりも長寿であるし、それに加えて自分の力が最大限に発揮されると思われる年齢に自分の外見を保つことができるのだというから、この少年が二百年以上生きているのは明らかである。
 休憩所でおよそ二時間ほど体を休めた一行は、再びテオドラキスとの会談するためにアラナに呼び出された。その頃には、もうどっぷりと日が暮れてしまっていた。
 森の中にある集会所とでもいうべきか、木々に覆われた中に広場があり、中央にはたき火が赤々と燃えさかっている。客人を歓待するための宴の準備がすでに始められており、そこかしこで小さなたき火で調理されている食べ物のよい香りが堪能できた。
 テオドラキスはいちばん奥の絨毯が敷かれた場所で、足を組んで座していた。その回りには、一行が全員座ることができるようにクッションが並べられている。アラナに促され、そしてテオドラキスにも促され、セテたち一行は腰を下ろした。
「みなさん、お疲れさまでした。改めまして、このセレンゲティへようこそ」
 テオドラキスがそう言ってサーシェスを見やる。サーシェスは無言のままテオドラキスを見つめている。
「お久しぶりですね、サーシェス」
「ああ、本当に……。久しぶりだな、テオドラキス」
 ずっと押し黙っていたサーシェスが口を開いたので、セテは心の中で安堵のため息をついた。
「しかしサーシェス、その姿は……」
「ガートルードの子飼いの者にはめられて……な。私の〈アヴァターラ〉は顕在しているいまの私以外はすべて眠らされてしまった状態だ」
「そうでしたか……ガートルードが……。ガートルードの件もそうですが、みなさんにもいろいろ尋ねたいことがありますし、みなさんも私に尋ねたいことがあればなんなりと」
 テオドラキスは一行の顔を見回した。そこでセテがおそるおそる手を挙げ、
「あ、あの……テオドラキス……様……?」
「ああ、テオドラキス、で構いませんよ。この姿で『様』付けというのも嫌なものでしょうし」
「はぁ……」
 セテは拍子抜けしたような声を出した。テオドラキスは、気さくというよりは腰が低すぎるのだ。
「あ、あの、そうだ、さっきその、セレンゲティって言ってましたけど、この村の名前ですか?」
「いや、村の名前ではありませんよ。ここはかつて、セレンゲティ大陸といって、エルメネスほど大きくはありませんが、それなりの広大な大陸があった場所なんです。二百年前の汎大陸戦争でほとんどが水没し、いまのように島々となってしまいましたが、ここはそれでもセレンゲティなのです。だから、この島を含め、私たちはこの一体をすべて『セレンゲティ』と呼んでいます」
 テオドラキスの説明にセテは頭をかくと、
「すみません、俺、海の向こうは全部『辺境』だって思ってたもんですから」
「いや、中央の人々はみなそうですからお気になさらず。セレンゲティなんて単語を覚えているのは、偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》か中央の研究者くらいでしょう」
「はぁ……」
 またしてもセテはテオドラキスの腰の低さに間の抜けた声を出すことしかできなかった。
「さて、私からもいろいろお話があります」
 テオドラキスの言葉に一行は全員背筋を伸ばした。
「中央での話はおおかた心語によって把握しています。ガートルードがいまは新生アートハルク帝国の皇帝として君臨し、中央に闘いを挑んでいることも、ロクラン占領のことも。光都でのできごとは私にとっては驚かされたものですが……」
 おそらくサーシェスのことだろう。
「サーシェス。そろそろみなさんに話してあげてはどうですか? ここまで生死を共にしてきた仲間たちでしょう。隠し事はもう、やめにしませんか?」
 テオドラキスにそう言われ、幼い少女のままの姿のサーシェスはため息をついた。
「……そうだな……。だが、何から話していいのか……。それに私は……」
 サーシェスはそこで一息つき、
「もうやめにしたいのだ……。何もかも……終わりにしたい……。救世主であることも、この世界のことも、自分の過去の話も、もうすべて忘れてしまいたい」
「しかしそれではみなが納得しないでしょう。この闘いの真の目的がなんであるか、そもそもの発端はなんだったのか」
 サーシェスは押し黙っている。テオドラキスは小さくため息をつき、木々の間から垣間見える空を仰いだ。
「二百年前の大戦で、あなたは一度命を落とすことになった。だが、あなたは十年前に復活を果たした。見えますか? いや、見えないかもしれません。ですが、あなたが十年前に復活の兆しを見せた直後、この星の空は見事な黄金色のベールに再び覆われたのです」
 セテは息を呑んだ。そう、あれは十年前、まだアジェンタスでいたずら小僧を気取っていた頃だ。アジェンタス騎士団領を囲むアジェンタス連峰のひとつに冒険に出かることになったきっかけがそれだった。
 夕方だというのに連峰を抱く空が金色に輝いたこと。不吉の前触れだと町の人は口々にそう言った。汎大陸戦争の前にも、同じように空が黄金色に輝き、オーロラのように金のカーテンが舞ったとの長老の話がセテを駆り立てたのだ。
「救世主《メシア》の防御壁、と呼ばれるものです」
「テオドラキス!」
 サーシェスは少し鋭い口調でテオドラキスの言葉を遮った。テオドラキスは物怖じせず、サーシェスをじっと見つめたままだった。
 そこでサーシェスは小さくため息をつくと、意を決したように顔を上げた。いつもの、毅然とした救世主のかんばせであった。
「そう、私は常に無意識ではあるが、この惑星全土を覆う防御壁を構成している。だから私の意識が顕在化したそのときに、空が黄金色に輝くのだ。二百年前、汎大陸戦争の前に一度、そしてその前にも何度かある。直近では十年前がそうだ。それを不吉の印と言う人の言葉はもっともだ、私が顕在化すると、必ず周囲を巻き込む戦乱が起きる」
「なんのために……そんな防御壁を……それに、とてつもない力を使うわけだろう?」
 セテはまだ半分も理解していない頭で思ったことを口にしてみた。サーシェスは無言で頷いた。
「サーシェスの力は、それを使ってもあまりあるものだということですよ。救世主はなにしろ……、偉大なる一族《イーシュ・ラミナ》の始祖であり、純血種なのですから」
「その……テオドラキス……もイーシュ・ラミナなんだろう?」
「私の能力などたかが知れています。ご存じかどうかは分かりませんが、聖賢五大守護神《ファイブ・ガーディアンズ》はもともと、それほど強い術者を束ねたものではない。サーシェスとグウェンフィヴァハが、我々の力を増幅して束ねていたくらいです。それに私は純血種ではない」
 セテはまだ理解できずポカンと口を開けたままだった。代わりにレイザークが割って入る。
「どうやら、話は二百年前まで遡って聞かないと理解できないようだな」
「そのようですね。サーシェス、異存はありませんか?」
 テオドラキスに問われ、サーシェスはしばらく無言でうつむいていたが、やがて決心したのか、顔を上げた。
 汎大陸戦争の時代に何があったのか──いよいよ語られるときがきた。夜はまだ、始まったばかりであった。

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